【魔王と勇者】短編③ 2/14 恋人たちの日
外伝的なお話です。
中世にあったバレンタインのイベントを異世界風に描いたものです。
作中としての時間軸は厳密に指定していませんので、一種のパラレルワールド的な世界観としてご了承ください。
「ああ、そう言えば今日は恋人たちの日か」
早朝、王城に出仕するために移動していると、町中に薔薇の造花が飾られているのを見て思わずそう口に出してしまった。リリーが不思議そうな顔を向けてくる。
「恋人たちの日、ですか?」
「特に王都ではそう呼ばれているね。アーレア村では違った?」
「はい。のこぎり草の日でした」
「地域が違えば呼び方も違うか」
ちなみに前世ではバレンタインデーと呼ばれた二月十四日だ。バレンタインデーと呼ばれるのは聖バレンタインという聖人の日という意味なのだが、この世界には聖バレンタインという人物がいないのでその名称が違っている。にもかかわらず日付が同じなのはゲーム世界のせいなのかね。
ちなみに余談だが前世で聖バレンタインと呼ばれた人物は三人いたりする。研究者によっては三人ではなく五人だという人もいるぐらいこの名を持つ人物は多く、そのうちどの聖バレンタインさんが二月十四日の由来なのか、実はわかっていない。それはともかく。
「恋人たちの日はもともとは貴族の占いの日だったんだよ」
花を手にして“すき、きらい”と言いながら花弁を一枚ずつ千切っていき、残った方が意中の人の気持ちという、前世でもあった花占いだ。これ、じつは前世でも恋占いとして中世の頃には存在してる。前世の場合は女性限定の占いだ。
前世の中世においては、二月十四日に薔薇の花を一輪折ったものを使って占うというのが正式なやり方。占い中にも作法というか決まりごとがあったらしいが、占術は詳しくないからその辺は正直知らん。
占いとはちょっと違うがこのほかにも恋の燭台ってのも前世にあった。誤解を恐れずに言うとハロウィンのランプに近い。カボチャで怖い顔のお化けを作って蝋燭を入れるのがハロウィンランプなら、カブなどで笑顔を彫り込んで作り、蝋燭を入れる容器が恋の燭台になる。貴族の館だと銀製とか陶器製の物もあるみたいだな。
この恋の燭台の前で告白したら成就する……とかも言い伝えとしてはあるが、さすがにそれを信じていた奴はいないんじゃなかろうか。
とりあえずこの世界では、朝日が顔を出した時に新品のはさみで切り取った朝露のついた薔薇を家紋が付いたハンカチで持ちながら、カーテンも締め切った部屋の中で恋の燭台の明かりの中で花弁を一枚づつ千切る、だったはず。
その他細々なんかお祈りの言葉とかあるらしいが、その辺もさっぱりわからん。姉か妹がいれば詳しかったのかもしれないが、俺はまったく興味がなかったんで聞いた事があるだけだ。
薔薇の花って綺麗に咲かせようとすると手間もかかるし肥料もいるし花につく虫の対応なんかも必要だから、基本的には財産のある家でないと植えられない。したがって前世同様、この世界でも貴族御用達の占いという事になる。
「今じゃいろいろあって街中では薔薇の造花を飾る日になったというわけ」
ちなみに紙も布も高価なので、よく似た色の別の花の花弁を薔薇の花の形にまとめて草の蔓とか藁で縛って作る。子供でも作れるんで恋人の日というより小遣い稼ぎの日かもしれない。
貴族家では使用人クラスに少額の貨幣を持たせ、町で売っているそういう市民が作った物を買いにいかせてやるのもお約束。使用人が自室や自宅に飾る物を貴族が用意してやりつつ、市民にもお小遣いのおすそ分けという所だ。
「のこぎり草の占いもありますよね」
「へえ、だからのこぎり草の日なのか。どんな感じ?」
「恋人同士がその日の早朝に採って来たのこぎり草の小枝を贈りあって、夕方にそれを確認するんです。相手から贈られた草がしおれていたらその相手とは不幸になると言い伝えられていますね」
「そいつは怖い」
異世界でも占い好きの子ってのはいるもんだなあと思ったのは、リリーがどこか嬉々として説明してくれているからだ。やってみる気はないが色々な文化の話を聞くのは嫌いじゃないから俺としても興味深い。
それにしても、恋人に贈るってことは庶民のラブレターがわりだったのかもしれないな。
「それ、マゼルなんか大変だったんじゃないか?」
「兄は誰にも贈りませんでした」
俺が思わずそう聞いたらリリーでさえ苦笑しながらそう答えた。ああ、なんとなくわかる。贈ったというだけで村中の話題になりそう。
「リリーは?」
「お父さんになら……」
そう恥ずかしそうに小声でリリーが応じた。我ながら性格が悪いと思うが、ちょっとその光景を見てみたかったと思わなくもない。あのどっちかというと強面なマゼルの父親、顔が土砂崩れでも起こしたんじゃなかろうか。
「お、王都では何かそういうのはないのですか?」
「あるっちゃあるし、考えてみるとマゼルがいなかったのは幸運だったかもしれん」
話題を変えたがっている様子のリリーのご要望に応じることにしたら学園でのイベントを思い出しついそんなことを口にしてしまった。もう一度リリーが不思議そうな表情を浮かべている。
「学園では今日は祭日になっていてね……」
「はい」
学生たちは校舎に入る際に男女が別々に大きな箱から札を取り出す。ちょっと前世のおみくじに近いかもしれない。その札には番号が書かれていて、男女でペアになるようになっている。
「同じ番号同士のペアが“その場限りの恋人”になる」
「えっ?」
「学園内というか校舎内限定だけど、疑似カップルになるわけ」
この疑似カップル関係は学園の門を出たり学生寮に入ったらおしまい。また、触れるのは手の甲に口づけをしたり、ダンスを踊るとき限定でそれ以上は禁止。節度と限度は守りましょうという事だな。
なお学生間での札の交換も禁止されている。交換が許可されると絶対に揉めるからなあ。
「この祭りの間だけはそれ以外の関係は無視。婚約者がいる人どころか既婚者ですら本来のパートナー以外のだれかと疑似カップルになる」
「……え、それっていいんですか」
「お祭りだからね」
恋愛ごっこと言い換えてもいいかもしれない。男女両方がこの日の関係はその場限りだとわかっているので、役者気分でその日限りのパートナーと疑似恋愛ごっこをすることになるわけだ。
真面目な表情で相手に想いをささやき、相手の美しさを褒めたたえ、愛の告白をして相手もその場限りなので喜んだ演義をしながらそれを受け入れる。
「大丈夫なのでしょうか」
「実際、過去にはやらかした奴もいなかったわけじゃないらしいけど」
やらかしたといっても襲ったりしたわけではないらしいが、それでも男性陣からは“騎士、貴族の風上にもおけない”と面と向かって罵られ、女性陣からは“野獣”だの“品性がない”だのと毎日聞こえるように白眼視された挙句、学園どころか王都に居場所がなくなって領地に逃げ込み、晩年まで独身で過ごすことになった奴がいたらしい。
伝説になるレベルで話題になったので、この日が来る前に家族や教師、先輩貴族や騎士、役人などの皆様がたからそりゃもう耳にタコができるぐらいにやりすぎるな、あくまでも演技だと言われ続けるので、それ以来この日に事件が起きた話はきかない。
結果、ごっこ遊びだとわかっているから周囲の目もお構いなしに演劇かドラマかと言いたくなるような歯が浮くようなセリフが飛び交い、そこかしこで冷静だったら砂糖が口から溢れそうな会話をする光景が繰り広げられるという、なんとも言い難い日だ。
ちなみに町で飾られていたり売られている薔薇の造花だが、もともとはこの疑似恋愛の際に男性から女性に贈るためのものとして設定されていたのが起源。お遊戯なんだから高価なものではなく終われば捨ててもいいレベルの、演出小道具だった。
ところがまあ貴族ってプライドがあるもんだから、そのうち「嘘でもこんな安物を贈れるか!」とか言いだした奴がいて、その後、造花はどっちかというと市民のお祭りの小道具になったという経緯があるらしい。
ただ、この学園祭っていずれ本命に告白するときのために行われる“練習の場”として学園側というか国側から設定されている気がするんだよな。羞恥心を一度振り切ってしまえば意外とそう言うセリフも口にできるようになるのかもしれない。
「考えてみれば地方から王都に来たばっかりでそういう異性と話をした経験もない場合、堂々と練習する場があるのは悪い事じゃないと思う」
「そ、それも、そうですね」
しかし、よく考えると王族も学園に通う事があるから王太子殿下も誰かと疑似カップルになっていたことがあるのか? ……あの方だといけしゃあしゃあと理想の王子様を演じていたような気もする。籤で相手をすることになった女生徒は狂喜したか胃が痛かったか、どっちだろう。
そして、それよりも父がそういうシーンを演じている姿の方が想像できん。ちなみに母は学園生時代に女性から告白されたことがあるそうだ。コメントはさし控える。
「多分、マゼルがいたら疑似でもパートナーになった女性が周囲から嫉妬される羽目になった気もするから、いなかった方がよかったかもしれない」
ついでに言うと演技でも愛の言葉なんかささやかれた女生徒がストーカー化したりしてしまうかも。ありえそうで怖い。
「あの、それはヴェルナー様もでは……?」
「ないない」
思わず苦笑いしながら手を振ってしまった。王都襲撃イベントの事を考えるとそれどころじゃなかったし、魔物暴走、というかマゼルと知り合う以前には仮病使って過ごしていたこともさえあるしな。
俺を贔屓目で見てくれているのはありがたいと言えなくもないが、実際は俺と同じ番号札になった女生徒から見れば優等生の伯爵家嫡子相手で運が悪くなかった程度で終わりなんじゃないかねえ。
リリーはまだ何か言いたげだったが、それには気が付かなかったふりをして学園での話をいくつかしつつ、館に戻った。
館に戻りノルベルトに手配していたものが届いているかを確認。その後で槍の練習をしているうちに夕食の時間。
今日は恋人たちの日なので料理もそれにふさわしいもの、という事で卵料理や卵を産むという事で鳥の肉をメインにした料理、種のある果物が並ぶ。鳥の種類はその日手に入った良質の鳥肉という事で鶉だったり鳩だったりと様々だ。ワインが赤限定なのは恋の色、という事だろう。
館の使用人にも鳥肉や赤い果物などが下げ渡されるのが貴族の家のルールだ。このあたり、前世の中世貴族とあまり変わらない。地位や立場がある者、自分たちの恋愛だけに明け暮れるのではなく家臣の家族にもよい出会いを祈れ、という事だろうか。いやまあ、人頭税を前提にすれば産めよ増やせよが正義になるのは避けられないんだけど。
食事が終わったところで母がリリーに軽く目配せをした。一度下がったリリーがワゴンにデザートを乗せて入って来る。……って、これはあれじゃないか。このあたりも前世中世と同じなんだな。
「ど、どうぞ、ヴェルナー様」
「ありがとう」
ガッチガチである。そう緊張されてもこっちが困るというか。
リリーが並べたのは無花果やプラムなどで赤や紫色をつけた、楕円形というか前世で言えばボートかカヌーのような格好をしたプラム・シャトルと呼ばれる焼き菓子だ。梭という、織物の時に使う道具の形をしている。
この梭という道具は布や絨毯などを織る時に、縦糸に横糸を通すときに用いられる。それから転じて、このプラム・シャトルは“あなたの人生という縦糸に、横糸(私)を加えてください”と言う意味になったわけだ。要するに前世中世で媚薬効果があると言われていたチョコレートが広まるよりも前に、バレンタインで本命の恋人に贈るための菓子になる。
当然ながらというべきか、箱に入れて送るという風習はないので袋に入れてこっそり渡すか皿にのせて出すことになるんだが、これ家族の前で食うのってちょっとした羞恥プレイだな。
「うん、美味しい。焼き加減も甘さもちょうどいいね」
ポーカーフェイスを作りつつ口に放り込み、一つ食べきってからそう言ったらほっとした表情をリリーが浮かべた。仮に不味くても美味いと言ったと思うが、事実として美味しいのでそんなほっとしなくてもいいのにと思う。さすがに口にはしないけど。
とりあえずそのあたりは置いておいて、皿の上のプラム・シャトルを平らげてから俺も腰に下げておいた袋に手を伸ばす。
「俺からはこれを、リリーに。受け取ってくれ」
前世日本では女性が男性に贈り物をする日になっていたが、欧州では男性が女性に花や小物を贈る日なのがバレンタインデーだし、そのあたりはこの世界でも同じだから準備はしてあった。正直に言えば両親やら使用人やらがいるここでじゃない方がよかったんだけどなあ。
贈ったのは∞を象った金のペンダントトップになる。金は“変わらぬ愛”を、無限を意味する∞は“尽きぬ想い”をそれぞれ意味していて、恋人に贈るためのものだ。身に着けていると相思相愛の恋人がいます、という意味で色事の虫除けになったりもするので普段使い出来るサイズにしておくのが普通。アクセサリーとしての用途はペンダントだったり髪飾りだったりするらしいが、∞のマークがあることも含めてこのあたりも前世同様だ。
「ありがとうございます……!」
受け取りながらそう感極まったような声を出さないでほしい、俺の方が恥ずかしくなるから。多分意味も知っているのだろう。
よく知ってるな……と思ったが後で聞いたところによると、数日前から一部の使用人たちの間で話題になっていたそうだ。さすが貴族の買い物、館の使用人全員にこっそり隠し事をするのはまず無理か。プライバシーもへったくれもないな。
それと、後で母にはもう一言ぐらいつけ足しなさいと言われたが、あの場であれ以上はもう拷問の範疇だと思うのですけど。さすがに無理です。
ヴェルナーとリリーにもお菓子やプレゼントをおすそ分け。
書籍版四巻までの発売に伴い、たくさんのファンレターやイラスト、お菓子や飛行靴デザインのアクセサリーまで、本当にいっぱいご声援を頂いており、嬉しく思っております。
愛知県のS様はじめ、皆様、応援本当にありがとうございます。
書籍五巻の執筆終了後にWeb版の更新も再開する予定ですので(お忙しい中スケジュールを調整してくださいました山椒魚先生、ありがとうございます)、もう少しお待ちください。