私たち、旅に出ます!!
——空は快晴。新たなる門出には相応しい天気だ。
「リリィ、忘れ物はないですか?」
『収納』に私物を全て詰め込んだ私とは違って、エミリィは大きな鞄を背負っていた。荷物を詰め込む様子を見ていたが、かなりの重量があるはずだ。それを、汗一つ流さず背負っているのだから、エミリィの侍女力の高さがうかがえる。
「私は魔法があるからね。エミリィこそ、荷物、放り込まなくて大丈夫?」
「はい! 笑われるかもしれませんが、天気が良い日に大きな鞄を持ってお出掛けするのって、何だかワクワクしませんか?」
「あはは、ちょっと分かるかも」
ピクニックのような、そんな気分。エミリィが笑いながら言った言葉に共感してしまって、私も同じように笑う。まあ、私は重たい荷物を持ちたくないから、魔法をフル活用するけどね。
忘れ物はない。やるべきことも済ませた。玄関扉をくぐって、あとは無駄に広い庭を抜けて門を出るだけ。そうすれば、私はもう二度と、この屋敷の土を踏むことはないだろう。
一歩、また一歩と踏み出す。その時だった。屋敷の中から、妙な感覚を覚えたのは。
……これは、魔法、いや、魔力の気配だ。誰かが私に向けて、微弱な魔力を放出し続けている。アンジェリーナたちではまず気づかないような、微弱すぎる魔力を。
こんなことができる人間は……この屋敷には二人しかいない。
「……ごめん、エミリィ。やっぱり忘れ物しちゃってた。すぐに行くから、門の前で待っててくれない?」
「はい、分かりました」
エミリィを先に門に向かわせ、私は屋敷の中へと引き返す。魔力の出所は二階にあるユリウス兄様の自室だった。二度ノックをすると、中から『入れ』という声が聞こえる。
「……やはり、ユリウス様でしたか」
魔力は、ユリウス兄様から私に向け、真っ直ぐと放たれている。糸のように細く精密な魔力は、私が部屋に入ってすぐに消えてしまった。
「お前なら気づくと思っていた。呼び立ててすまない」
「平民に謝罪など不要です。それより、何か御用でしょうか? もしや、昨日渡した書類に、何かおかしな点でも?」
「いや……渡したいものがあってな」
ユリウス兄様は虚空に手を突っ込むと、どこからともなく小さな布の袋を取り出した。中からじゃらじゃらと、金属の擦れる音がする。
それを渡すそぶりを見せた兄様に近づき、受け取って中身を確認すると……布袋の中には、大量の硬貨が入っていた。
「こ、これは……」
「王都でも、慎ましく暮らせば半年は生きていけるだろう。当面の生活費に充てるといい」
確かに、物価の高い王都では半年……地方に移れば、一年程度なら暮らせるほどの金額に見える。だが、少なくとも、私にはこんなものを貰う理由がなかった。
「こんなに頂けません。ましてや、ユリウス様からだなんて……」
受け取った布袋を、そのまま兄様に突き返すものの、彼はそれを受け取らなかった。
「いや……それは父上からだ」
「公爵様から?」
尚のこと、訳が分からない。昨日渡した、密告書に対する礼だろうか。だとすると受け取るのも吝かではない、が。だとしても、金額が多すぎる。
「一体、何に対するお金なのでしょう?」
「祝い金だ。『これまで愛してやれなくてすまなかった』と、父上が言っておられた」
続けて、兄様はもう一つ、布袋を取り出した。こちらも、金額は控えめではあるが、硬貨が山ほど入っている。
「それから、これはあの侍女への補償だ。横領されていた金額も全て含まれている」
……なるほど。あの密告書を見て、エミリィへの扱いが不当だと判断してくれたのか。ならば、こちらは喜んで受け取ろう。エミリィだって喜ぶはずだ。
だが、祝い金とやらは、やはり受け取る気になれなかった。『愛してやれなくてすまなかった』だなんて……今更、どの口が言っているのか。
「……お二人は、私のことを疎ましく思っていたのではないのですか? 公爵夫人様やアンジェリーナ様たちの私への仕打ちを、見て見ぬ振りをしていたではないですか」
私はもう、公爵家への人間ではない。これまでずっと聞かないでいたことを、一つも包み隠さず、ユリウス兄様にぶつけた。
兄様は目を見開いて驚き、目を逸らした。居所が悪そうに、俯くように。
「……確かに、魔法が使えないお前のことを、俺たちは疎ましく思っていた。だが、父上は違う」
「……違う?」
「父上は父親である以前に、『ファルドマン公爵』だ。魔法の才がある子供を差し置いて、魔法の才がないお前を優遇するわけにはいかなかった」
今更、何を言うのかと思えば……高位の貴族特有の、世間体だとか、お家柄だとか、そういう話か。公爵は私のことを守らなかったのではなく、守れなかったと。
……そんな馬鹿な話があるか。記憶を取り戻す前の私は、毎日毎日、執拗な嫌がらせや暴力を受けていたんだ。誰にも助けてもらえず、一人で部屋で泣いていたのに。だというのに、手を差し伸べる素振りすら見せなかった。
「それでも……父親なら、助けてくれたってよかったんじゃないですか? 私がこれまで、どれほど苦しんできたかっ……」
感情を荒げ、今にも手が出そうな勢いで言うと……ユリウス兄様が、深く、頭を下げた。
「……すまない。これまで見て見ぬ振りをしてきた俺が謝ったところで、お前の気分は晴れないだろう。だが、父上はお前が毒によって昏睡状態に陥った時も、一人、夜も眠らずに原因を調べておられた。父上は確かに……お前のことを愛していたんだ」
「……っ!」
あの時使われた毒は、体内に成分が残りづらく、原因の特定が難しい特殊な毒だった。結果的には、診察をした医師もアンジェリーナたちと繋がっていたのだが、そうでない医師が診察をしても、特定は不可能だっただろう。
だけど……だけど、なんで、今になってそんなことを言うんだ。やっと、この忌々しい家から抜け出せると思って、清々した気分だったのに。今になって愛していただなんて言われたって……もう、何もかも遅いのに。
「……一度でも助けてくれていたなら、その言葉を信じることができたのにっ……」
「……すまない」
ぼそりと呟いた言葉は、兄様の耳にも届いたようだった。私は祝い金と言われた布袋をその場に捨て去り、エミリィへの贈り物だけを受け取って、踵を返した。
「……公爵様に伝えてください。少しでも申し訳ないと思う気持ちがあるのなら、私を愛さなかった分、他の誰かを……家族でも、領民でもいい。私のように弱い誰かを愛してあげてください、って」
兄様の返事を聞かず、私は部屋から飛び出した。自分では分からないと思うけど、多分、泣いていたんだと思う。エミリィに見られる前に、涙の痕を消さないと。
……情けない。転生する前は『森の大魔女』だなんだと呼ばれ、何百年も研鑽を積んできたのに。こんなことで心を乱されるなんて、私もまだまだだ。
玄関扉から外に出て、庭を抜けると、私の姿を認めたエミリィが門の前で大きく手を振っている。
「リリィー!」
大声で私の名前を呼ぶエミリィ。いつもと変わらず、元気な笑顔だ。
……うん、大丈夫。少し気持ちが乱れていたけど、エミリィとなら上手くやっていける。
「忘れ物は見つかりましたか?」
「うん。あ、これお土産」
「お土産? ってえぇ!? 何ですか、このお金っ!?」
「何だろうねぇ」
兄様から渡された布袋を、そのままエミリィに手渡すと、彼女はあんぐりと口を開いて慌てふためいていた。今すぐ説明してもいいけど、面白いからもう少しだけこのままにしておこう。
目覚めてから一ヶ月。記憶を取り戻してアンジェリーナたちに復讐して、ようやくここから、新しい人生を始められる。まだ旅の行く末も何も決めちゃいないが、なるようになるだろう。
「——じゃあ、行こっか!」
エミリィの手を引き、大きな門を越える。これから先、私がこの屋敷に戻ることはないだろう。一度だけ振り返って、生まれ育った屋敷を目に焼き付けると……私たちはゆっくりと、歩き出した。




