『長靴をはいた猫』2
猫は、百年生きると、人間の言葉を話せるようになるそうです。
さすがに、人間のほうが、そこまで持ちませんから、おじいちゃんやおばあちゃんが飼っていた猫がしゃべれるようになるのを、おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなった後、自分が大人になったときに、ようやく、しゃべれる猫を見ることができるというような時間感覚です。
でも、人間も、二歳になる前にしゃべれる子もいれば、三歳になってもしゃべれない子もいますから、個体差というものがあります。きっと、猫の中にも、八十年でしゃべれるようになったり、百三十年でようやくしゃべれるようになる個体があるはずです。
猫は、しゃべれるようになるころ、尻尾が二つに割れるとも言いますが、これだって、しゃべれるようになってから尻尾が割れる個体と、尻尾が割れてからしゃべれるようになる個体があるはずです。尻尾が割れた猫を見かけたら、そろそろしゃべるんだなということがわかって便利ですね、多分。
これは、想像なのですが、猫は、しゃべり出す前に、猫がしないようなことを、少しずつするようになるのではないかと思うのです。
自分の食べ物を自分でお皿に盛るとか、ブラシを使って自分の毛づくろいをするとか、身の回りのことは、少しずつできるようになるのではないかと。
なぜそんなことを考えるようになったのかというと、見てしまったんです。
何をって、ほうきを使って掃き掃除をする猫を。
玄関の掃除をしていました。
長靴を掃いた猫、私は確かに見たんです。