一本の木
去年は「列車は進む」という小説だったんですが、今年はこれを文化祭で発表しようと思っています。
ですので、気になった点、良かったと思う点がありましたら、ぜひ感想を頂きたいです。
一本の木がある。彼は家族だ。大地の奥深くに根を張り、力強くたたずむその木。押しても動かず、声をかけても返ってくるのは葉の間を駆け抜ける風の音だけ。何をしてくれるわけでもないし、僕もその木に何をするわけでもない。何という木なのかも知らないし、いつからそこにあるとも知らない。只、それだけが僕を唯一支えてくれる家族なのだ。
僕のカゾクは虚構という言葉がよく似合う。親は昔から僕に道徳という、大人が自分の人生観で得た我儘極まりない偏見を押し付けてきた。僕がその道徳に納得がいかず、首を横に振ると「生意気だ」と殴られる。
皆が正しいと思い込み生まれた偏見を否定すると、僕の存在が否定されたのだ。僕の、いや人間の存在はそんな偏見に生かされているのか。その偏見を受け入れて初めて人間と成りえるのか。
だとすれば僕は人間になることは出来ないのだろう。カゾクの言う道徳を理解しえなかった僕は、人間になることを許されないのだろう。
常識とは何だ。それが理解できない僕はカゾクから異端を見る眼で見られ、異物として扱われる。人間に成りえない異物として。
僕は人間でなくなってしまったのだ。いや、もとより人間でなかったのだろう。この世界の全ての人間は、人間に成りえただけなのだ。考えることができたから。理解することができたから。偏見を受け入れることができたから。それが出来たから人間になれた。
そして、僕にはそれが出来なかった。僕は常識を理解できず、偏見を受け入れられなかったから。
だから僕は人間になることを諦める。
カゾクと、家族になることを諦める。
どれだけ歩いたかは分からない。今自分がどんな姿をしているのかも分からない。ただ目の前に一本の木があるここに、僕はいる。
目の前の彼は何も言ってはくれない。僕を認めることも、人間になることを諦める僕を諭すことも、何もしてはくれない。
でも、否定もしない。
僕は木になる。
人間には成りえなかった、だから僕は木になる。考えも理解も捨て、ただそこに力強くたたずむ。今の僕には精いっぱいすぎる生き方。
この木には悪いけれど、僕も彼になろう。
太い枝に縛り付けたロープの先を、首にまわす。
さよなら、人間。僕は木になる。
終幕。