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盾の魔女と魔導の杖  作者: 雨谷結子
第九章 約束
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9 いつか

 けれども、穏やかな時は長くは続かなかった。ユーリスがはっとした様子で振り向き、杖を構える。

 気づけば、七々子たちは機構と連盟の魔術師に取り囲まれていた。

 その中心にいるのは、瞳子だ。


「ニケ・プシュカ。大量殺人未遂容疑で、魔術師法に基づき機構に連行するわ」


 七々子は信じられない思いで立ち上がり、瞳子に詰め寄った。


「そんな。ニケは子どもの頃に結ばされた魔法契約で仕方なく——」

「その辺りのことは法廷で裁かれるわ。どんな事情があれ、罪は罪。あなたと仲良しだからって、彼だけ無罪放免にはならないの」


 瞳子は聞き分けのない子どもに言い聞かせるような口調で言う。

 瞳子だけではない。その場にいる魔術師全員の総意のようだった。


「でも!」


 七々子の反駁の言葉とともに、ユーリスの杖からぱちぱちと火花が弾ける。七々子とユーリスにも無数の魔法の杖が向けられる。

 それを遮ったのはニケの声だった。


「ナナコちゃんママの言うとおりだよ。こうならなきゃおかしい。ショウちゃんが野放しになったら大変でしょ。それとおんなじ」

「同じじゃない。きみはあいつとは——」


 ユーリスは焦れたように言ったが、ニケは首を振った。


「一歩間違えば、六六六人の生贄が死んで、ヴァルフィアの石板の扉がひらかれて世界は破滅して、おれは……きみたちのことまで死に追いやっていたかもしれない。おれがしたのはそういうことだよ。だからきみたちもそんな簡単に、おれをゆるしちゃだめだってば」


 ユーリスと七々子の額をそっと小突いて、ニケが首を傾けて微笑う。

 両手を上げて瞳子の元まで歩いて行こうとしたニケの服の裾を、七々子とユーリスはなおも掴んだ。


「あんまそういう顔しないでほしいな。おれも想像してなかったくらいのいちばんのめでたしめでたしなんだからさ。ね、ナナコちゃんママ。おれきっと極刑は免れるでしょ? 今ってこんな今生の別れみたいな、しみったれたシーンじゃないよね?」

「私は罪状を決める立場にはないけれど、そうね。情状酌量の余地は認められるはずよ」


 瞳子から引き出した言葉に、ニケはほらね、と七々子とユーリスを振り返る。

 こんな場面でも、ニケは七々子とユーリスの心が楽になる言葉だけをくれる。

 七々子もユーリスも頭では分かっている。

 ニケが犯した罪は法の下に裁かれなければならない。

 ニケと友人である七々子やユーリスが機構や連盟の幹部の子どもだからと手心が加えられるようなことがあれば、それは法の死であり、社会の腐敗にほかならない。

 だが、心がそれを認められない。

 魔術師法を犯した者には非魔術師とは比べられぬほどの厳罰が与えられ、社会復帰をするのは困難を極める。このようなテロ未遂を起こしたならばなおさらだ。

 それが、尋常ならざる力をもつ魔術師が負うべき責任であり、人が人と隣り合って生きていくための寄る辺である。

 七々子も以前は、非魔術師を虐げるような魔術師は一生涯を獄のなかで過ごせばいいと思っていた。


 でも、人は生まれる場所を選べない。

 他に生きる道がなかったニケが投獄されるのは、百鬼の言うように子どもの彼が弱くて愚かだったのがいけなかったというのだろうか。

 今まで何不自由なく暮らすことのできていた七々子は、守られずに大人にならざるを得なかった彼に生かされて、守られて、これからも日の光の下を大手を振って、ニケの犠牲から目を逸らして歩いていくのだろうか。


 まるで二度目のニケの死に立ち会ったかのような顔をした七々子とユーリスを、彼は苦笑して見つめる。


「じゃあね。……あ、そうだ。言い忘れてた。きみたち、変な横やりが入る前に早いとこ付き合っちゃいなよ」


 ニケは最後に悪戯っぽく片目を瞑ると、みずから機構の魔術師に向かって両腕を差し出した。魔術で身体が縛められ、憑霊術師ということも考慮されてか視界を奪う魔術までもが重ねられる。

 やがて転移魔術が発動し、ニケの姿が掻き消える。

 生贄にされかけた非魔術師の保護もほとんどが済んだらしく、魔術師が慌ただしく聖堂から一人また一人と去っていく。

 あとに残ったのは七々子とユーリスと瞳子とエイシス、そしてリリ先生とザネハイト先生だけだった。


 糸の切れた人形のように、七々子はその場に崩れ落ちる。


「う……あっ……」


 堪えきれない嗚咽が込み上げる。

 泣いていいのはニケであって、七々子ではない。そう思うのに、後から後から涙がこぼれ落ちてくる。


「七々子」


 追いかけるようにユーリスが跪いて、七々子の背に腕を回す。


「七々子」


 ユーリスの唇が、額を、瞼を、髪を掠めていく。触れられたところからじんわりと熱がともっていく。

 もう一度、涙を拭うように下瞼に唇を触れさせて、エメラルドの眸が七々子を映した。

 その眸は朝露のように濡れて、深い悔恨に沈んでいる。

 本当ならユーリスも泣きたい心地なのだろう。

 彼に非はないとはいえ、ニケの人生を狂わせたのは自分だとユーリスは認識している。これまでニケに投げつけてきた酷い言葉も、今痛いくらいに自分に跳ね返ってきているはずだった。

 それでも、彼は自分の感情よりも七々子を慰めることを優先しようとしてくれたにちがいない。

 七々子は手の甲で自身の涙を拭った。


「ユーリス」


 その名を呼ぶ。彼の後頭部に手をやって、その身体を引き寄せる。

 ユーリスは束の間身を硬くした。

 この矜持が人一倍高くて、強くあることを求められてきたやさしい人が素直に泣ける場所は、たぶんきっと少ない。

 少しの躊躇いののち力が抜けて、ユーリスは七々子の首筋に顔をうずめた。くぐもった吐息が漏れて、膚を熱いしずくが伝う。

 そのことにほっとする。

 ユーリスの背をそっと叩きながら、七々子は考える。


 ――私に、なにができるだろう。


 そういえばまだ、七々子はザネハイト先生の魔術師法概論の補講の問いの答えを返せていない。

 ザネハイト先生は、大人たちは、七々子たちとの約束を守ってくれた。世界もこれでなかなか捨てたものではないと示してくれた。

 でも、その世界も完璧ではない。ニケの人生がここで閉じられるのならば、なんて冷たく救いのない世界なのだろうと思う。

 あんなにやさしい人が、それでも道を踏み外さずにはいられなかった事情に思いを寄せたい。思いを寄せられる世界であってほしい。

 七々子は、もう間もなく大人になる。ちっぽけでも、世界を変えていく力を手にする。


「私……私、ニケの帰る場所をつくりたい」


 擦れた弱々しい声が、空気に触れる。思考をひとかけ掬いとっただけの、脆くつたない言葉だ。

 しかし、ユーリスは導かれるように顔を上げる。けぶるような金の睫毛が、しずくをはじく。

 ユーリスは呆けたように七々子を見つめた。やがて眩しげにその眸が細められ、口元に淡い笑みが浮かべられる。


「なら僕は服役を終えた魔術師が働ける場所をつくって、その権利を擁護するために力をそそぎたい。きみは?」

「それももちろん大事だけど……」


 七々子は少し考え込む。


「制度にするならそれじゃ弱いわ。非魔術師にも絶対に受け入れられない。たとえば、魔術犯罪者にも保護観察制度を導入する」

「これだ。きみとは永遠に分かり合えない」


 ユーリスは肩を竦めて言ったが、どこか嬉しそうでもある。


「私たちやっぱり、それぞれの場所で立つ必要がありそうね。たとえば機構と連盟?」


 確信を込めて言えば、ユーリスはたった今分かり合えないなどと自分で言ったばかりのくせに苦々しげな表情をする。

 連盟と機構では、七々子とユーリスは卒業後も立場上、ますます対立しなければならなくなる一方だろう。そのことを思うと、少し胸がぴりりとする。

 でも七々子は知っている。

 そういうユーリスとだから、守れるものがある。


「あなたがいるから、私が私でいられるのよ。私もあなたにそう思ってもらえるように、もっと研鑽を積むわ」

「……とっくにそう思ってるよ。僕の魔法使い」


 どこか甘やかに響いた言葉に七々子は息を呑む。

 それからなんだか急に、この状況が恥ずかしくなってきた。

 あらあらまあまあふーんそうなの、でもちょっとあの子の父親はありえないわねとでも言いたげな表情で瞳子が七々子とユーリスを眺めているし、苦虫を嚙み潰したような顔でエイシスが明後日の方向を見つめている。ザネハイト先生はひどく愉快そうにその保護者ふたりを眺めていて、リリ先生だけが律儀になにも見えず聞こえずの態度を貫いていた。


 逃げ腰になって、ユーリスから目を逸らす。

 けれど今日のユーリスはそこで退いてくれなかった。

 慌てて立ち上がろうとするのを、腰に手を回して引き寄せられる。膝の上に乗せられ、上目遣いに見上げられる。


「いや?」


 何度見てもなんてきれいなのだろうと見惚れてしまう眸には、揶揄うような色がある。

 ずるい。七々子の気持ちなんてもうなにもかも分かっているくせに、分かりきったことを聞くなんて。

 七々子は両手を顔に押し当てた。今なら恥ずかしさで赤面死できる気がする。

 だいたいこんな公衆の面前で、ユーリスなんか父親が見ているのによくもこんな真似ができると思う。

 それともこれも、文化の差だろうか。だとしたら、七々子は一生適応できる気がしない。


「……ない」

「なに?」

「いやじゃないって言ったの! でも先生方もママもあなたのお父さまもいるのに――!」

「こういうことは外堀から埋めて行かないと。それに証人でもいないと、きみにはこの先ずっと逃げられる気がする」

「なに言って――」


 顔を覆ったまま怒って言えば、指と指の隙間から目を覗き込まれる。


「本当に分からない?」


 甘くいざなうような声だった。

 魔法みたいに身体のこわばりがほどけて、七々子は成すすべなくユーリスの肩に手をかけて体重を預ける。


「さっき伝えてくれたきみの気持ちに、返事をしているつもりなんだけど」


 さっき伝えた七々子の気持ち。

 この文脈で持ち出された気持ちとは、七々子のユーリスへの告白のことだろう。

 そしてその返事とは、七々子の自惚れでなければたぶん、悪いものではない。

 だけどやっぱり、ユーリスはずるいと思う。

 七々子は好きどころか大好きとまではっきり言葉にして告げたのに、この人は遠回しな言葉で七々子を翻弄してくる。


 頬にそっと指先が触れる。目線がひたりと合う。

 そういえば先ほど、彼に額や瞼にキスされたのだと思い出してどきりとする。

 ユーリスの親指が、感触を確かめるように七々子の唇の上を辿る。

 耳元にひそめられた艶めいた声が落ちる。


「本当はここにもしたいけど、それはふたりきりのときに取っておく」


 全身茹でだこのようになった七々子を見やって、ユーリスはちいさく噴き出す。

 あんまりだ。本当の本当に、ユーリスは七々子のことが好きなのだろうか。

 だって、七々子はさっきから心臓がうるさすぎて全身が熱くて訳が分からないことになっている。彼に触れるのも触れられるのも、どきどきしてどうしようもないくらいなのに、この人はこんなに平然としている。そのことに恨めしくてたまらないような心地になる。


 自分の気持ちを認めることすら、今日まで躊躇いがあった。なのにひとたび認めてしまえば、ユーリスから決定的な言葉が欲しいだなんて、なんて自分は勝手なんだろうと思う。

 だけど、今、七々子はたまらなくそれが欲しい。

 だから、きゅっと噛みしめた唇を押しひらく。


「……あなたが好きよ」


 駄目押しのように、もう一度言葉を重ねる。

 いつだって七々子はユーリスと、こうして思いを言葉にして心をつなげてきた。そして七々子は、この人が言葉に言葉を返してくれる人だと十分すぎるくらいに知っている。

 吐息が触れ合う。今度はユーリスが片手で顔を覆う。


「ごめん。白状すると、僕もちょっと意気地がないみたいだ。十秒待って」


 情けなく擦れた声にいとおしさが込み上げる。

 ユーリスの指に自分のそれを絡めて、七々子は待った。


「七々子」


 慈しむような声音に、少し緊張が滲む。

 まっすぐに、ユーリスは七々子を見つめる。


「三年後、五年後。もしかすると、もっとずっと先かもしれない。でもいつか。いつか僕らが同じ場所で立てる日がきたら。そのときは、七々子。僕と一緒に生きてくれる?」


 泣きやんだはずなのに、眦が融ける。

 七々子の答えは決まっていた。

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