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盾の魔女と魔導の杖  作者: 雨谷結子
第九章 約束
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6 あなたの隣に

「オズマリオン!」


 呼び声に、ユーリスの指先がぴくりと反応する。むずかるように首を振れば、金の髪がひと筋ふた筋落ちかかり、彼の頬を濡らしていた血とも涙ともつかないものに触れてしどけなくはりつく。

 空恐ろしいほど美しい天上の青に染まっていた眸が斑に混濁する。理知の色がともる。

 ユーリスはその眸に七々子を映すと、力なく首を振った。


「——七々子、全部僕の責任だ。きみは日鞠さんたちと一緒に一刻も早くここから離れて」

「離れない。ぜったいに」


 七々子の言葉に苛立ったように、ユーリスは眉根を寄せる。

 斬りつけてきた百鬼の魔術を、ユーリスは亡者の群れで防ぐ。先ほどユーリスが古代魔法を解放しかけた際に深手を負ったのか、百鬼はまだ聖堂の端から動けずにいるようだ。


「僕の今の力じゃ百鬼に敵わない。古代魔法を解放するしかない。だけどそうしたらきみまで巻き込む。きみを傷つけたくない」

「私を言い訳に使わないで。——みずから魔法使いたることを棄てるの?」


 七々子の問いに、ユーリスの眦に火花が散る。しかしその怒りはすぐにしぼみ、深い絶望に沈んだ。


「僕はどうやっても魔法使いにはなれない」

「そんなことは——」

「ヴァートンの学生たちが言っていたとおりだ。僕は生きていたところで害悪にしかならない。僕がいなければ、ニケはあんな人生を送らずに済んだし、魔法界も非魔法界もこんな有様にはなっていなかった。僕が百鬼を道連れに消えれば、全て丸くおさまる」

「おさまらない!」


 七々子は罅割れた声で叫ぶと、ユーリスを思いきり睨みつけた。


「ふざけないで。そんなことをしたらニケも私も、ぜったいにあなたをゆるさない! この先ずっと、一生、死んだってあなたのことを呪い続ける!」


 七々子の剣幕にユーリスは呆気にとられた様子で瞠目する。

 子どもじみた癇癪だ。でも、それでもなんでもよかった。彼が思いとどまってくれるのなら。


「あなたとともに立たせて。古代魔法を使わなくてすむように」

「……七々子、頼む、僕はきみだけは——」


 懇願のような言葉を、七々子は跳ねのける。


「それぞれの場所で立とうと言ったのはあなたよ。私だってあなたを失いたくないの。今この瞬間、私が立つべき場所は、立ちたいと願うのは、あなたの隣」


 傷だらけのユーリスの指先にそっと触れる。

 しかし怖気づいたように、するりとその手が七々子から逃れる。


「——七々子、僕は力を制御できる自信がない。いつ古代魔法に手を出すか分からない。そんな有様できみの隣には並べない」

「あなたは交流祭で結局古代魔法を使わなかった。初めて逢ったときからそうだった。私を捻じ伏せる手段はいくつもあったはずなのに、そうしたことは一度もない。今だってそう。あなたは自分の力のなんたるかを知っていて、その力を思いのままに振るうことを躊躇う人よ」


 七々子の断言にも、ユーリスは頑ななまでに目を逸らす。

 この人は、知らない。

 そのことに、どれほど七々子がすくわれたか。

 人と人の間に果てしないほどの断絶があろうとも、平行線の先に交わることはなかろうとも、それでも人は隣り合って生きてゆける。

 そう思えたのは彼がいたからだ。

 彼がいつだって七々子を見つめて、その言葉を聴いて、言葉を返してくれたからだ。


 もういい、と思う。もういい。臆病な心を守るために、意地をはるのはやめにする。

 ユーリスの信念を何人たりとも吹き消すことができないように、七々子が胸のうちに灯した信念は彼にだって明け渡せない。

 だけどこの人を想う心は、ぜんぶあげたいと思う。

 日鞠やニケや、新やひょっとすると瞳子がくれた愛や情が、七々子を生かしてきたように。ユーリスが七々子を見つめて、その名を呼んでくれたように。

 もしも七々子の恋が呪いのような結末しか生まないのだとしても。この恋も、そういうやさしいものにしてみせる。

 魔術は不可能を可能にする。七々子は、その魔術師の端くれなのだから。


 浅く息を吸う。唇に笑みをかたちづくる。


「そういうあなたが好き。大好きよ」


 ユーリスの眸が見ひらかれる。けれど、言葉が返ることはない。

 七々子の言葉を振り払うように、固く瞼が下ろされる。

 そのことに、胸がつきんと痛む。

 だけど、もう七々子は選んだ。おのれの信念と倫理と規範に照らして、魔術師としてどう在りたいかを。


「あなたがあなたであることを私に守ると約束させて」


 古代魔法。

 この世に絶対的な神なんてものがいるのかは知らないけれど、人を傷つけることに臆病なこの人に、なんて不似合いな力を与えたものだろうと思う。

 だから七々子は、この人のやさしい魔法を守りたい。それを誰かが阻むというのなら、この身体全部で、七々子のもてる力すべてで、この人を守るための盾になりたい。


「——ユーリス」


 その呼び声に、ついには彼の森の緑を映した湖面のように深く透きとおった色をした眸が七々子を映す。

 彼の眸には、今にもこぼれ落ちそうな透明な膜がはっていた。

 七々子は爪先立ちをして、ユーリスの両頬に手を伸ばす。その頬を包みこんで確信と祈りを込めて告げる。


「あなたは、最高の魔法使いになれる」

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