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盾の魔女と魔導の杖  作者: 雨谷結子
第七章 分かたれた世界
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5 恋と罪

「お。いい顔になったね。やっぱヒマリちゃん効果すごいや」


 ニケが悪戯が成功した子どものように、にやっと笑う。


「じゃあ、満を持していいニュースをひとつ。ユーリスちゃんが研究棟で待ってるんだ」

「オズマリオンが?」

「ん。探してたんでしょ?」

「ちが――いいえ、その……ええ、みんなと話した結果も報告しなきゃいけなかったから」


 胸のうちを言い当てられて、しどろもどろになる。

 一度は女子寮に帰ったのに、疲れ果てて寝入ってしまったテナを起こさないように七〇四号室からこっそり抜け出してきたのは、ニケの言うとおりユーリスに会いたかったからだった。

 でも、規制派のみんなと話をした結果を報告するというのは半分名目と化していて、ただ彼のことをひと目見たかったのだと思う。ニケと日鞠のおかげでもう落ちついたけれど、挫けかけた心でいちばんに思ったのはユーリスのことだった。


「じゃあ、その前にさ。ナナコちゃん、ハッピーになれる魔法をかけてあげようか」

「……ハッピーになれる魔法?」

「うん。ナナコちゃんは前、結構よって断ったけどね」


 その言葉に、七々子はもしかして、と顔を上げる。

 ニケは頷く代わりに、なにもないところから小瓶を取り出してみせた。真紅のネイルポリッシュだ。魔術ではない。手品だった。


「好きな人に会うなら、おめかしするのも楽しいかもよ」

「す……!」


 七々子はそれきりしばらく、金魚のように口をぱくぱくと動かした。


「ニ、ニケ、憑霊術——!」

「使ってないよ~。だってナナコちゃんも精神のプロテクト上手で、使っても疲れるだけで意味ないもん。おれ、へっぽこ憑霊術師だよ。きみたちクラスだと、戦闘中とか魔力切れのときとかよほど余裕ないときでもないと効かないって。……でもそう言うってことは認めたね」


 墓穴を掘ったことに気づいて、七々子は目を泳がせた。


「わ、分からないの。まだ」


 そうかもしれない、と気づいたのはほんの数時間前だ。

 墨の塔でユーリスと話をしたあと。当たり前のように手をつないでいたことに気づいたあと。七々子の輪郭を、存在を確かめるように重ねられた掌の感触を思いだすと、体温が一時に上がって心臓が跳ねる。

 ユーリスが七々子を呼ぶ声が、彼の掌の温度が、七々子の顔を上げさせる。

 でも。


「……オズマリオンを好きになっちゃいけないんだと思う」

「なんで?」

「立場がちがうもの。さっきみんなと話して、それがよく分かった」


 ユーリスとどうこうなれるだなんて思っていないけれど、百万が一そうなるとすれば、規制派のみんなへの裏切りになる。

 なにがあっても七々子は為すべきことを放り捨てる気はさらさらなかった。

 でもとくべつな関係になれば、ユーリスへの情のために判断が鈍ることもあるかもしれない。それだけは、あってはならないことだ。

 バンノンが臥せっている今、七々子が崩れることは規制派の仲間たちみんなを脅かすことに繋がりかねない。今この瞬間、七々子が柊のサロンの面々とともにバンノンの穴を埋めることでしか守れないものがある。それを知ってしまった。

 ユーリスもバンノンやエルリーも今までこういうものを背負ってきたのかと思うと、その途方もない責任の大きさに怖気づきそうになる。

 でも、そこから逃げようとは思わない。


「それに、好きになるのが……こわいの」

「こわい?」


 ニケの問いに、七々子は口ごもる。


 七々子の初恋の相手は、百鬼だ。

 彼と、幼くつたない、呪いのような恋をした。

 七々子が百鬼の許婚になったのは、ほんの五つのときだった。伝統的な魔術師の家には、いまだに幼い頃からの夫婦約束の習いがある。

 それを蹴って非魔術師である新と駆け落ち同然で結婚した瞳子は、当然娘の婚約に抵抗した。だが結局は椿木家宗家や百鬼家の圧力に抗えず、帀目一の魔術師の名家、百鬼家の嫡男と七々子との婚約を受け入れた。母の当時の荒れようは凄まじかったという。

 けれど、そんな母の意に反して七々子は引き合わされた四つ上の見目麗しい婚約者にひと目で恋に落ちた。

 純血主義の百鬼家としては混血の七々子はそれほど値打ちのある魔女とは言えなかったが、それでも当時の帀目の魔法界ではもっとも毛並みがよいと分類される娘だった。

 五つの七々子は百鬼の目の前で孵った雛鳥みたいに後をついて回り、「宵くんすき」「宵くんかっこいい」と囀るのが口癖になった。


 七々子との出逢いから五年後、天原魔法学校に在学中だった百鬼は、日鞠の兄である魔術師のライバル——光理と邂逅した。

 当時帀目には古代魔法の承継者がふたりいて、それが光理と百鬼だった。一時代に一国にひとりいるだけでも快挙なのに、同時代に同い年の古代魔法の承継者がふたりいるというのは青天の霹靂で、ふたりは帀目の魔法界で持て囃された。

 古代魔法の権能をもつ光理が非魔術師家庭の出身というのも、異例中の異例だった。

 光理には魔術師としての抜群の才能があった。

 魔術師としての才が発覚するまでは、自分が魔術師ということも知らずに育ったのに、編入するなりめきめきと頭角を現し、百鬼家の御曹司をも圧倒した。もしかすると、その力量は今のユーリスを凌ぐかもしれない。当時の百鬼は光理の出現により二番手に甘んじ、努力を強いられることになった。


 純血主義の百鬼家の御曹司はやがて、非魔術師出の光理を一番傍に置くようになった。

 その胸のうちに、山のような矛盾を抱えながら。


 七々子は、百鬼が彼の父や親族から求められたとおり、魔法学校で一番になれるように懸命に応援した。百鬼を毎日励ました。

 そして実際、百鬼はやがて光理を追い抜いた。禁忌の術——古代魔法に手を伸ばすことで。

 百鬼は強い魔術師こそがこの世を支配すべきだと考え、それに反対した光理を殺害し、それに巻き込まれる形で多くの人が亡くなった。


 なまじ初めから最強の魔術師ではなく、自身を極限まで追い込んで今の強さを手に入れたために、百鬼は弱いのはその人間の努力が足りないせいだと思っている。だから、強い者が弱い者を従えるのは当然だと。

 百鬼をそのような怪物にしたのにはきっと、七々子も少なからず加担している。

 気にいらないものすべてを力で捻じ伏せる百鬼のやり方に、長じるにつれどこか恐ろしさを感じながら、それに見ないふりをし続けた。誰より強い男が、自分の特別な男であることに優越感すら感じたこともあったかもしれない。そんな自分を七々子は自覚していた。


 だから七々子は全力で、それを否定しなければならない。

 この命をかけて、この人生をかけて、百鬼のやり方は間違っていると叫び続けなければならない。

 ユーリスが古代魔法の承継者だから百鬼と同じになるとは、決して思わない。

 でも、七々子の恋心は、相手をだめにしてしまうものなのかもしれない。

 強さに妄執を抱いていく百鬼を止めることができていたら、きっとなにもかもがちがっていた。


「でも……」


 夜の静けさのなかにも飲まれそうなちいさな七々子の声を拾い上げて、ニケが先を促す。


「オズマリオンをひとりにしたくない」


 雨が降りしきる墨の塔のある森で、ユーリスが苦しげにこぼした言葉が胸のうちに蘇る。


 ——僕がなんとかしなきゃいけなかった。

 ——古代魔法を使う百鬼に対抗できるのは、僕だけだった。

 ——どうするのが正解だったのか、考えても答えが出ない。やっぱり僕もあいつみたいに、古代魔法を使うしかなかったのか。


 彼はおのれがもっている大いなる力に、ひどく自覚的だ。そしてそれを正しく人のために使いたいと心の底から望んでいる。

 強大な力の責任をっているがために、どこまでも彼はひとりだった。


「ひとり?」


 七々子の脈絡のない言葉にも、ニケはやわらかく調子を合わせてくれる。


「古代魔法の承継者だから。生ける魔術遺産だから。そうやって、みんな――私も、彼とはちがうからって線を引いて、あの人をひとりで戦わせようとした」


 交流祭での惨劇をユーリスのせいではない、彼ひとりの問題ではないと言うのなら、七々子だって百鬼に屈してはならなかった。彼とともに立つべきだった。

 ユーリスに自分しかいないと思わせて彼を孤独に追い込んだのは、七々子の罪でもある。


「私にできて、あの人にできないことなんてないかもしれないけれど、でも。それを探したい。あの人の近くにいたい。そう思うわ」

「……きみたちってほんと、むつかしいねえ」


 ほとんど独り言のように言って、ニケは七々子の向かいに腰を下ろした。

 どうやら本当に「ハッピーになれる魔法」を掛けてくれるつもりらしい。


「ニケ、私べつに浮かれた話をしにいくわけじゃないのよ。魔法界と非魔法界の——」

「はいはい、分かってるよ。おれの道楽だと思って?」


 そうねだられたらぐうの音も出ない。

 ニケは鼻歌まじりに七々子の爪をととのえて色を乗せていく。

 派手に見えたその赤は、椿の花にも似たまろみのある赤色で、七々子の肌にすぐに馴染んだ。細い筆に持ち替えると、ニケは爪の先に金の糸を引くように波のような文様を描いていく。本当に、魔法みたいだ。


「やっぱり赤が似合う。とびきりのここ一番ってとき、ナナコちゃんは赤を選ぶといいよ。お兄さんからのアドバイス」


 ニケは片目を瞑って言うと、七々子を先導して海底に出た。

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