1 対立
「ねえ、もしかして骨火の間でご飯食べるつもり?」
補講を終えた学長室前でペペを呼び寄せ、その鼻面をぼんやりと撫でているとぎょっとしたようなニケの声が掛かった。
七々子は不思議に思いつつ、ニケを振りかえる。
「ええ。演習の学年末試験まであとひと月もないのよ。色々と相談したいの。この試験をパスすれば、機構の特別チームとして戦いに参加できる資格を得られるから」
交流祭以後、機構や連盟は第六時の塔への対抗策として、それぞれ一時的な増員を図っていた。
その対象となるのが、各地の魔法学校で七年生から受けられる実践魔術演習の試験を好成績でパスした人材だ。作戦参加中は休学扱いになり任務終了後に復学すると、規定の授業の単位を得られる。そのような仕組みをザネハイト先生が早々に整えていた。
とはいえ、ザネハイト先生をはじめ魔法学校の多くは、学生の動員に批判的な立場を貫いていたが。
七々子は日鞠を助ける最前線に立つため、機構の特別チームに志願しようと考えていた。派手な戦闘に自信がなくても、物資の補給や戦線の維持など組織の一部としてなら、日鞠の奪還のために役に立てることもあるのではないかと思ったのだ。
「骨火の間はやめといたほうがいいと思うなあ」
ニケの言葉に、七々子は首を傾げる。
入院していたユーリスはもとより、この一週間塞ぎがちだった七々子も、食事は寮の自分の部屋で取っていた。
七々子たちの知らぬ間に、骨火の間でなにかあったのだろうか。たとえば誰かが魔導具を誤作動させてドームを爆発させたとか。
「どういうこと?」
「ん~。説明が難しいんだけどさあ。最近、ローグハインもふたつに割れちゃっているみたいなんだよね。ほら、規制派と解放派?」
たしかに予兆はあった。サルヴァンが前にテナに嫌がらせをしていたことは、その典型例と言っていい。
それに柊のサロンの友人たちも、最近は解放派学生から慎重に距離を置いている。姉妹校文化交流祭でのことがあってからテナはユーリスに脅えきっている様子だったし、正義感の強いエルリーは言うまでもなかった。
バンノンとは交流祭後、顔を合わせていなかった。でも交流祭までの期間に監督生として解放派学生からの嫌がらせに対し、粛々と罰則を与えていたのは七々子も何度も目にしていた。監督生には学長から学校自治のためのある程度の権限が与えられている。バンノンは規制派学生にも公平な対処をしているので、ブーイングを受けることはあってもさほど大きな不満は出ていなかった。監督生によってはその権限をあからさまに自分の都合のいいように使う生徒もいる。そういう意味で、バンノンは解放派学生からも一定の信頼を得ていた。規制派学生にとっては、バンノンがなくてはならない存在になっているのを七々子もはっきりと肌で感じていた。
以前にも増して、校内では規制派は規制派、解放派は解放派と過ごすのが当たり前になっている。そうはいっても七年生以上は実践魔術演習の時間があり、隊内に規制派と解放派が混在している隊などは、殴り合いの大喧嘩に発展したり冷戦状態に突入したりと、それぞれ隊の維持に難儀しているらしい。
思い返せば、交流祭以後は七々子自身も持ち物を隠されたり嫌がらせをされたりすることが多くなっていた気がする。気がするというのは、日鞠やヴァートン校でのことでいっぱいいっぱいで校内のことに心を傾ける余力がなかったのがひとつ。もうひとつは、なにか起こるといつもテナやハヴィやエルリーが庇ってくれたからだ。あれらはほとんど解放派学生が関わっているにちがいなかった。
「きみら、良くも悪くも目立ってるでしょ。だからふたつの派閥の旗頭に勝手にされちゃってるっていうか……きみらが揃って仲良しこよしで現れたらたぶん、阿鼻叫喚だよ」
「なんだそれ。僕ら抜きで勝手もいいところだな」
「……きっと話せば分かってくれるわ。海上のことはどうにもできないかもしれない。でも、この学校のなかのことは変えていけるはずよ」
ザネハイト先生の影響か、自分らしくもない前向きな言葉がまろび出る。
七々子もはじめはユーリスのことを蛇蝎のように嫌っていた。ユーリスもそうだろう。それがこうして、相互理解ができるまでになったのだ。
ローグハイン生の大多数は、ヴァルフィアの石板の件がここまでこじれるまでは派閥など関係なく親しくしていたと聞く。きっと七々子とユーリスが和解するよりはずっとゆるやかに歩み寄ることができるだろう。
七々子の言葉に、ユーリスも力強く頷いた。
「ああ。僕たちローグハインだけでも、打倒第六時の塔でひとつになろう」
ニケは目線をみずからのパステルカラーで彩られた爪に向ける。
「……そうなれたら、いいけどねえ」
水のなかに万年筆のインクをこぼしたように、ニケの言葉が心に黒い染みを広げていく。
七々子は頭を振ると、ペペを駆って骨火の間へと急いだ。
*
骨火の間に着くやいなや、七々子もユーリスも揉みくちゃにされて引き剝がされ、三列並んだテーブルの端に座らされた。解放派の生徒たちはユーリスを確保するなり、ドームを出ていく。どうも、鹿角の間に集まるつもりらしい。この頃は規制派は骨火の間、解放派は鹿角の間に集うのが暗黙の了解になっているらしかった。
七々子の周りには、柊のサロンで見かける面々はもちろん、中立を保ってきた混血の生徒や非魔術師出の生徒までもが詰め寄せている。
「ナナコちゃん、よかった。心配したの。寮にも広間にもいないから。魔術考古学の授業のあと、なにかあったのかと思って、心配しちゃった。ユ、ユーリスくんもいないっていうから、ナナコちゃんに酷いことしてるんじゃないかと思って。わ、わたしナナコちゃんのこと置いてきちゃったから……!」
目に涙まで浮かべて七々子の手を握ってきたのはテナだ。どうやらよほど心配させたらしい。
「誤解よ。オズマリオンは同じ隊の仲間だもの」
「あいつと同じ隊だなんてナナコが気の毒だよ」
エルリーがげんなりした様子で言う。
柊のサロンで開いてもらった歓迎会の場でユーリスに対する積もりに積もった不満をぶちまけたこともあって、エルリーはユーリスに辛辣で批判的だ。
「ユーリスのやつ、交流祭でヴァートンの生徒にフレンをけしかけたんだろ? 魔術師失格だよ」
「な——」
エルリーの憤慨した様子に、七々子は目を見ひらく。
ヴァートン校で七々子とユーリスが激しく対立したことが校内で噂になっているのは知っていた。
噂には往々にしてとんでもない尾ひれがつくもので、七々子がユーリスに半殺しにされかけただの、その仕返しに七々子が医務室に入院している満身創痍のユーリスに式神をけしかけただの、根も葉もない話も耳にした。
でもそんなものは七々子やユーリスと大して交流のない一部の生徒が面白がって流しているデマで、真剣に取り合っている生徒などいないと思っていた。
それがまさか、自分の友人まで真に受けていたとは。
この頃は塞ぎ込んでしまって、交流祭のことを直接エルリーや他のみんなに伝える機会を逃していたが、それが良くなかったらしい。
「それは真っ赤な嘘よ。先にヴァートンの生徒が手出ししてきて、フレンはオズマリオンを庇おうとしたの」
「でもユーリスも魔術を使おうとしたのは本当なんだろ?」
「それは……そうよ。たしかにやり方には問題もあったかもしれないけど……」
七々子は俯いて言葉を濁す。
あのとき、ユーリスはたしかに古代魔法を解放しかけた。
だからこそ、七々子はユーリスを止めるため、彼に夜魚を差し向けようとしたのだ。
「問題だらけだ。相手は武器も持っていない非魔術師だぞ」
「ええ。でもあのままヴァートン生の振る舞いにだんまりを決め込んでおくのもちがうと私も思ったわ。フレンは怪我までさせられたんだもの。なにをされても黙って耐え忍ぶのが、魔術師のあるべき姿じゃないはずよ」
「どうしたんだ、ナナコ。俺たち魔術師には、この力に対する責任がある。そうだろ? 言葉を尽くさずに力で言うことを聞かせるなんてやり口を認めたら、俺たち混血は今に両親のどちらにつくかを選ばなければならなくなる」
魔術師の責任。それは七々子の口癖でもあった。
エルリーの言い分は、痛いくらいに理解できる。七々子もあのときのユーリスの振る舞いを全面的に擁護したいわけではない。
七々子自身もあの場に居合わせていなければ、きっとエルリーと同じことを口にしていただろう。
でも、ユーリスと過ごした時間が、七々子にちがう言葉を吐き出させる。




