4 疑惑と学長室へのいざない
しばらく歩くと、墨の塔の前に出た。雨が降っているからか人通りはなく、ひっそりと辺りは静まり返っている。水たまりのなかでなにかを踏みつける感触がして、七々子は目線を落とした。
新聞だ。それも今日付けの。
ユーリスから手を離して、ずぶ濡れのそれを拾い上げる。紙面には、ここ最近世間を騒がせている魔法界と非魔法界の対立の激化について数頁にわたって特集されていた。
七々子は自分の杖を取りだして、乾かし呪文を唱える。
「今度は死人も出たらしい」
ユーリスはつとめて感情を乗せずに言ったが、七々子にもその機微は分かった。
魔術師も非魔術師も互いを攻撃し合っていた。種族を理由にしたいじめや悪い噂、迫害が横行し、世界的に状況は最悪の一途を辿っていた。ユルグでは、第六時の塔を崇めて、彼らの真似をし始める魔術師の模倣犯も出てきている。かと思えば、帀目では、非魔術師によって七々子もよく知る魔術師の家に爆弾が仕掛けられたらしい。
第六時の塔からヴァルフィアの石板を奪い返さないかぎり、この連鎖は止まないだろう。
最近では、渦中のユーリスについての意見も双方から聞こえる。
非魔術師や規制派のごく一部には、ユーリスを亡き者にせよという声が目立つようになってきていた。一方で魔術師一般がユーリスを擁護しているかといえばそうでもない。ユーリスを使って非魔術師を滅ぼせという過激派の声は論外にしても、百鬼を打ち負かしうるのは同じ古代魔法の承継者であるユーリスだとして、彼を前線に立たせよという声もある。
魔術師のことも平気で嬲り殺しにする百鬼は、魔法界の多くの人の生命も脅かしていた。
どちらにせよ、誰も彼もユーリスをひとりの人間として扱っていない。
「——僕がなんとかしなきゃいけなかった」
ユーリスは、立ち止まって詰めていたものを吐きだすように言った。
「古代魔法を使う百鬼に対抗できるのは、僕だけだった」
「あなたのせいじゃないわ。あなたひとりが負うことでもない」
七々子は間髪入れずに言ったが、ユーリスは自嘲まじりに細く息を吐きだすだけだった。ついさっき第六時の塔に力を貸さないと力強く宣言をして頼もしく見えたその姿は、揺らめく陽炎のように頼りなく見えた。
糸雨が伝う、まだ傷跡が生々しく残る手の甲にそっと触れる。互いに濡れているせいで滑る指先がもどかしく、指を絡めて力を込める。
「オズマリオン。あなたがどれほど力のある魔術師であっても、あなたの肩だけに世界の行くすえがかかっているわけじゃない。なんのために、あなたのお父様や私の母が奔走していると思っているの」
そう捲くし立てる頭の裏側で、自身の不甲斐なさを歯がゆく思う。
七々子に力があったら、きっとユーリスに私もあなたと一緒に背負うと宣言できた。けれど、七々子にはそれができない。
あの日。百鬼に圧倒的な力量の差を見せつけられた七々子は彼に屈服し、あろうことか甘言に乗って心を明け渡そうとした。日鞠が止めてくれなかったら、七々子は今ごろ第六時の塔のアジトで百鬼に言われるがまま魔術を使っていたかもしれない。
「どうするのが正解だったのか、考えても答えが出ない。やっぱり僕もあいつみたいに、古代魔法を使うしかなかったのか」
「それは——」
ちがう、と言いかけて、口を噤む。ちがう気がするけれど、根拠はなかった。
七々子にも分からない。どうすれば、あのとき日鞠を守れたのか。もし七々子に時間遡上の魔術が使えたとしてあの瞬間に戻ったとしても、何度だって百鬼の前でみっともなく懇願する自分しか想像できない。
重い沈黙を破るように、ユーリスが息を吸う気配がした。
「結界が破られた原因、まだ分かってないんだろ」
ユーリスは強ばった表情のまま、それでも七々子の手を引いて歩きはじめた。
「ええ。機構の調査によると、結界術の術者が第六時の塔に与していた可能性は限りなく低いそうよ。術者は連盟の魔術師で、術が破られたとき意識を失っていたの。どうも睡眠薬を盛られたらしいってことは判明したけれど、術者はなにも摂取した記憶がないんですって。薬を盛られたってことは、十中八九結界のなかにいた人物の犯行なのだけど……」
術者には護衛の魔術師もついており、ヴァートン生と七々子たちの騒動で目を放した隙はあったが、それ以外になにか怪しい素振りを見せている人物はいなかったという証言も上がっている。
「なんにせよ、裏切者がいるってことは間違いないな。睡眠薬となると魔術師とも言いきれないが、連盟の手練れの魔術師を嵌めたとなると非魔術師の線は薄いか? となると考えたくはないけど、ローグハインの学生か先生?」
「決めつけるのは早計だわ。第六時の塔に未知の秘術の使い手がいる可能性もある。薬を服用したように見せかけて、術者を眠らせるたぐいの術を使える魔術師がいるのかもしれない」
長考に沈んでいると、墨の塔から出てくる人影があった。好き放題にくるくると跳ねた珊瑚色の頭。ニケだ。
「あ、ナナコちゃんとユーリスちゃんじゃーん。やっほー」
へらっと笑うと、ニケはぶんぶん手を振ってこちらに近づいてきた。
だが途中でなにかに気づくと、くるりと百八十度反転して、そそくさと来た道を引き返そうとする。
「ニケ。どうしたの? 待って」
ローグハインに帰ってきてから塞ぎ込んでいた七々子は、ニケともまともに喋っていなかった。ニケは七々子を心配して傍に寄り添ってくれたり甘いものをくれたりしていたのに、気もそぞろな返事しかしていなかったのだ。
ニケは仕方なしといった様子で振りかえって、七々子ではなくユーリスを見た。
「お邪魔かなーと思ったんだけど」
「わりとな」
「だよねえ」
頭越しに交わされる会話の不可解さに七々子は口を挟もうとしたが、とある事実を認識して、耳まで真っ赤にする。
七々子の右手はユーリスの手に繋がれていた。
よくよく考えてみると、いや、よくよく考えてみなくてもこの状況はおかしい。一体全体なにがどうして、こんなことになっているんだったか。まるでそうあることが自然であるかのように、彼と指を絡めていた。というか、ついさっきなんて、自分からユーリスの手を掴みに行ってしまった気がする。頭がどうかしていたとしか思えない。
ぱっと手を引いて、ニケに詰め寄る。
「これは、ちがうの。色々あったから! 色々あったからよ」
「そっかー。うんうん、色々あったんだねぇ」
ニケはしみじみと頷く。
七々子は交流祭での悲惨なあれこれのことを言ったつもりだったが、ニケの言う色々はどうも意味がちがう気がした。
ユーリスは平然とした様子で、ニケに向きなおった。
「きみにも、心配をかけた。身体は平気か?」
「当たり前じゃーん。おれ、なんにも役に立たずに守られてただけだし」
「そんなことない。交流祭でオズマリオンと私の手当てをしてくれたのはニケだって聞いたわ。よく覚えてなくてごめんなさい。ありがとう」
「べつに~? きみたちがダウンしちゃって演習の単位落としたら、おれ退学まっしぐらだからね。そりゃ必死になりますよ、おれも」
いつものニケなら自分の手柄をアピールしてきてもよさそうなものに、なぜか変なところで斜に構える。つむじ曲がりなところが似ているから、鹿角は七々子たちを同じ隊にしたのかもしれない。
「あ、そうだ。リリ先生が呼んでたんだよね。ザネハイト先生の部屋まで来なさいって」
「学長室に? 僕をか? ……いよいよ僕も幽閉されたりしてな」
ユーリスは肩を竦めたが、今の情勢を見ていると洒落にならない。
ユーリスは守りの堅いローグハインで制限なく生活することが連盟と機構、ローグハインの間で取り決められたが、それはあくまで暫定的なものだった。ザネハイト先生は生徒の自由が侵害されることには断固反対の姿勢を貫いてきたが、いよいよ押し切られた可能性もある。
しかし嫌な予感を振り払うようにニケは頭を振る。
「んーん。おれたち三人。なんだろね」
首を傾げたニケにつられるように、七々子も首を傾ける。まさか三人とも呼びだして、ユーリスの幽閉を告げるということもないだろう。
いくらかほっとして息をつく。もう夕食の時間も迫っていたが、七々子たちは学長室へと急いだ。




