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盾の魔女と魔導の杖  作者: 雨谷結子
第五章 姉妹校文化交流祭
32/61

6 古代魔法の承継者

「——詰みです、百鬼。あなたは包囲されている。大人しく投降なさい」


 頭が真っ白になった七々子を引き戻すように、リリ先生の冷厳な声が木霊する。

 リリ先生は、百鬼の後ろについていた。その横には、見たことのない奇妙な女がいる。灰色の外套を羽織った豊かな髪の女で、刺すような悲鳴を上げて涙を流し続けている。

 嘆きの妖精バン・シーだ。彼女たちの歌は聴く者に死を告げると言われる。


 ユーリスも百鬼の正面から杖を突きつけた。三日月型の杖の先端が待ちかねたようにちろりと焔を吐きだす。

 ホールの外では他の第六時の塔構成員と、機構と連盟の混合部隊が激戦を繰り広げているらしく、凄まじい轟音がそこここで聞こえていた。

 さらには巨大な白蛇がうねったかと思うと、空間を締めつける。凄まじい圧迫感だ。どうやらホールの外から瞳子が空間転移を封じる魔術をかけたらしい。

 先ほど結界魔術とともに破られていた魔術だ。これで百鬼はユーリスを連れて転移することはできなくなった。

 ここにいる魔術師を全員倒しでもしない限り、ユーリスを連れ去ることはできない。


 ホール内の非魔術師も、そのほとんどがローグハインの学生たちの庇護下に置かれつつあった。

 リリ先生の邪魔にならないようにと、ニケとサルヴァンは日鞠を連れて退避している。それらに勇気づけられるように、七々子も影水で周囲の味方に守りをほどこした。


「これは高名なケット・シー殿。お噂はかねがね」


 百鬼は恭しく頭を垂れてみせる。芝居がかったその態度は、とても命を握られている人間のものには見えない。


「それにユーリス・オズマリオン。随分と袖にされたがようやく逢えたな、親愛なる兄弟」


 ユーリスは不愉快そうに眉根を寄せる。七々子も百鬼を睨みつけた。

 ユーリスをつけ狙っている以上、百鬼が彼に亡くなった兄がいることを知らないはずがない。それを知っていて、よくもそのような無作法な言葉を掛けられる。

 だが、兄弟という言葉選びはおそらく、百鬼の使う魔術の性質ゆえだろう。

 百鬼はユーリスと同じ、古代魔法の承継者だ。

 ただし古代魔法は古代魔法でもユーリスはユルグの古代魔法に、百鬼は帀目の古代魔法に淵源をもつというちがいはあるが。


 リリ先生が床にステッキの底を打ち鳴らす。


「お黙りなさい。今すぐ投降すれば、命までは取りません。ですが、これ以上無駄口を叩くようであれば——」

「煩いな。気の毒だが、あんたがたに勝ち目はない。《裂》《サイ》」


 百鬼のその声とともに、魔力が爆発的に膨れ上がる。

 百鬼の文字魔術は、一般的なそれとは一線を画している。

 筆や万年筆など筆記具を用いることで初めて効力をもつのが文字魔術の特徴だ。

 だが、彼にはそれすら必要ない。ただイメージするだけでいい。

 大量の文字を綴ることなく幾千の文字の力を一時に操る。それが百鬼の文字魔術、帀目魔術の古層にある言霊と融合した独自の魔術体系だ。


「《石走る垂水と落えよ》!!」


 七々子が叫び、リリ先生がバン・シーの嘆きの歌を解放し、ユーリスが火炎の魔術を放ったのはほぼ同時だった。

 鎌鼬がふたたび絶え間なく襲ってくる。だがぎりぎり持ちこたえられた。そのはずだった。

 視界も利かないような突風が晴れると聞こえたのは、無数の呻き声だった。


 七々子やユーリスたちのものではない。もっと遠く——学生たちのものだ。

 ローグハインの学生の庇護下になかった非魔術師は血を流して床に倒れ伏し、そうでない者たちも半数近くが傷を負っていた。

 元々怪我をしていたサルヴァンはというと、ひとりでニケと日鞠を守りきっていた。しかし、その身体はよろよろと傾ぎかけている。


 どうやら百鬼は、七々子たちよりも周囲の学生を傷つけることを優先したようだ。百鬼が本気を出せば一瞬でその命を奪えただろうが、あえて傷を負わせるだけにとどめたのは、七々子たちに彼らを守るのに手数を使わせるためだろう。昔と変わらない卑劣なやり口だ。噛みしめた唇から鉄錆の味が広がる。


「七々子、ユーリス、援護をお願いします!」


 リリ先生はすぐさま強力な結界術と医療魔術を同時に展開し始める。

 ユルグ魔術の淵源は、死と再生。巡りゆく季節、命の循環、光と闇の行き来をその土壌とする、帀目魔術と相似する魔術だ。

 リリ先生は自身がケット・シーであることから便宜上境界生物学で教鞭を取っているが、ユルグ魔術全般のエキスパートで、とくに医療魔術は右に出るものがいないと言われる。

 七々子はリリ先生を守り、ユーリスは炎や雷や風を放ったが、攻撃はどれも『塞』に防がれてしまって百鬼には届かない。


「さて、ようやく話ができるな。兄弟」


 百鬼は親しげにユーリスに笑いかける。


「……外道め。僕にはおまえと交わす言葉はない」

「つれないな。まあ、邪魔が入って、ここでお前が手に入らないのは織り込み済みだ。うちには腕のいい予言者もいてな」


 予言者。占星術師や宿曜師といった占術使いのことだ。

 第六時の塔の構成員の全貌はまだ、明らかになっていない。しかし本当に予言者がこの局面でのユーリスの拉致を不可能と断じていたのなら、わざわざ危険を冒してまで乗り込んできた意味が分からなかった。


「それならせめて、種を植えておこうと思ってな」


 百鬼は誘惑するようにユーリスの顔を覗き込んで、低く囁く。

 種。なにかの比喩だろうか。

 百鬼とユーリスの間では互いの魔術が拮抗して火花が散っていた。


「腹を割って話すのに、ちょろちょろされるのも目障りだ。少し俺の話を聞きやすくしてやろう」


 百鬼の眸が赫に染まったかと思うと、『穿セン』の字が踊った。

 釘で穴を穿つ魔術だ。文字が釘に転じる。

 ――ユーリスを磔にする気だ。

 七々子は守りを固めたが、それはいとも簡単に弾き飛ばされる。

 しかし、思いもよらぬ事態が起こった。百鬼はたしかにユーリスに向かって魔術を放ったようだった。だがそれはユーリスに届くよりも早く、七々子やリリ先生を襲った。

 内臓が飛びだしそうになる衝撃がきて、七々子の身体は床に叩きつけられる。胃のなかのものを少し吐いて、七々子は二度、三度と咳き込んだ。どうやらテーブルに腰をしたたかにぶつけたらしい。

 幸い、釘は服を貫通しただけのようで、身体に穴は開いていなかった。しかし身体を拘束する魔術がかかっているようで、そこから一歩も動けない。

 リリ先生は七々子よりもよほど体重が軽いからか、もっと向こうの壁まで飛ばされていた。七々子の守りも破られ、リリ先生の右の後ろ足には釘が深々と刺さっている。

 執念の為せる業か、リリ先生が行使している魔術は揺らいではいたものの解けてはいない。しかし、七々子同様動けずにいるようだった。

 リリ先生が倒されたら、この場にいる学生は全員百鬼に嬲り殺しにされる。七々子はリリ先生を守る影水を二重三重にした。


「椿木、リリ先生!」


 ユーリスの案じる声が奔ってくる。

 しかし、彼の身体のほうがもっと酷いことになっていた。

 四肢に釘が穿たれ、そこから鮮血が滴り落ちている。『穿』の魔術は目的だったユーリスのことは、正確に捉えたらしい。


「手間がはぶけた」


 目を瞬いて、愉しそうに百鬼が七々子とリリ先生を振りかえる。


 古代魔法。その力は人の身には余る御業だ。

 人の身に余る魔術は、術者の思惑を外れて暴走する。

 今、『穿』の術がユーリスだけでなく七々子とリリ先生を襲ったのは百鬼も予期していなかったのだろう。

 リリ先生の結界魔術が解けていたらと思うとぞっとする。身を守る術をもたない非魔術師に暴走が及んでいたら、即死もありえた。

 百鬼が使う魔術のなかでは、大して強力でない魔術でこれだ。

 四年前に百鬼が彼の友であった光理を殺したときもそうだった。あのとき死んだ他の百余名は、百鬼が光理ひとりを殺すために放った古代魔法の破滅的な力に巻き込まれる形で死んだ。

 魔術とは本来、厳格なルールに基づいて寸分の狂いもなく緻密に構成された、術者の思念がすべてを掌握する技術の結晶である。人の思念の支配下に置けない強大な力は、そもそも魔術師に扱うことはできない。

 それに対して人にはとても従えられぬ力——現代では喪われた神の領域に手をかけることが許された魔術師を、古代魔法の承継者と呼ぶ。

 そしてその力の解放は、魔術師法で固く禁じられていた。


 ユーリスも百鬼も古代魔法を制御しきることができないのは同じだ。

 ユーリスと百鬼のちがいは、ただひとつ。それを躊躇うか、躊躇わないかだ。

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