3 呪い
厳戒態勢で挑んだ午前中のスケジュールは恙なく終了した。
間もなく昼餐がはじまる。巨大なホールには、ヴァートン生、瑞原高生、ローグハイン生が一堂に会していた。他校生との親睦を深めるためにか立食形式だったが、どの学校も学校同士で固まったまま動こうとしない。
七々子としても一糸乱れぬ演武を披露し、組手では上段蹴りで一本を取った日鞠を讃えに行きたいところだったが、こうも張りつめた雰囲気では要らぬ騒動を引き起こしてしまいそうで気が引ける。
仕方なしに七々子は頭上を仰いだ。ホールに掛けられているのは、強力な結界魔術だ。その見事な術式に舌を巻く。中では空間転移魔術の類も一切使用できないようになっているようだ。囮作戦に打って出ただけあって、さすがに盤石の守りが固められている。建物の外にも名だたる魔術師たちが目を光らせているようだった。
ヴァートンの校長による挨拶を皮切りに、昼餐がはじまる。食事の匂いにつられてか、他校生に話しかける学生の姿もちらほらと見え始めた。
世界各国から王族が学びにくるという学校が威信をかけて饗する食事だけあって、テーブルには贅を凝らした料理ばかりが並んでいた。手長海老のカルパッチョに帀目産牛ヒレ肉のステーキ、ホタテとキャビアのサラダ。
洒落たプレートになんとなく食指を動かされずに、七々子はユーリスと肩を並べて立ち尽くしていた。
七々子も一応は名家の生まれといえど、帀目の魔術師——とくに規制派は非魔術師の目もあって、つつましい暮らしが板についている。
椿木宗家を飛びだして新と一緒になり家庭を築いた瞳子は、機構の理事として毎月凄まじい桁の給料を稼いではいる。しかし、世間体を気にしてというよりは宗家への反発心からか使用人も置かず、七々子も帀目の一般家庭の子どもとさほど変わらない暮らしを送ってきた。
そんな七々子とちがい、本物の貴族たるユーリスには食べなれた料理だろう。
にもかかわらず、ユーリスは壁の花のまま、そこを動こうとしない。
その理由が、七々子にもなんとなく察せられた。
ヴァートンや瑞原の生徒から、時折突き刺さるような視線を感じる。
いずれも好意的なものとは言いがたかった。ローグハインの海の底の方がまだ息はしやすいとさえ思える。
ユーリスは萎縮した様子は見せずに泰然と構えていたが、その胸中は穏やかではないだろう。昼餐の時間にはホールに報道陣が入れないようになっているのがせめてもの救いだった。
「おれ、料理取ってきたげる。なにがいいー? おれぜったい、あのラビオリの上に載ってるトリュフ食べるんだー」
空気を一切読まないニケの発言に、ユーリスは苦笑する。
「トリュフだけ取ってくるような意地汚い真似はするなよ」
「失礼しちゃーう。ナナコちゃんは? スシもあったよ」
「ええ、ありがとう。じゃあ、お寿司をお願いしてもいい?」
「ん、りょーかい」
ニケは請け合って、料理の並んだテーブルのほうへと歩いていく。
そこにちょうどすれちがうように近づいてくる一団があった。
トレードマークのストローハットに、紺を基調としたツイードのジャケット。淡いグレーのパンツによく手入れされた黒の革靴を合わせている。
ヴァートン生だ。奨学生や監督生の一団なのか、タイやウエストコートはそれぞれ異なる色や柄のものを身につけていた。
「やあ。久しぶりだな、ユーリス」
朗らかな声に七々子は毒気を抜かれる。どうやら知り合いらしい。
おかしなことでもなかった。ユーリスなら非魔術師の上流階級の子弟とも親交があるだろう。
ユーリスは身じろぎをしたが、すぐによそ行きの笑みを取り戻した。
「お招きに与り光栄だよ。きみたちのプログラム、どれもとても素晴らしかったね」
「ああ、ありがとう。日々鍛錬しているからな。僕らは将来国を背負って立つ身だ。社会を破壊する、悪魔に魅入られた害悪どもとはちがう」
「——害悪?」
ユーリスの声音が一段落ちる。
さっそく雲行きが怪しくなってきた。
ユーリスを見下ろす最上級生らしきヴァートン生の視線は冷え冷えとしていて、敵意に満ちている。
「ああ、害悪だ。おかしいと思わないか。お前みたいな化け物ひとりのために、世界中の人間が不自由を強いられている。これが害悪以外の何物だというんだ?」
「……あいにく、持たざる者の僻みには慣れているんでね。元々、僕の力はきみたちのような低俗な連中のためにあるんじゃない。同胞を守るためにある。きみらは、せいぜい不自由を愉しめよ」
ユーリスは口元に優雅な笑みすら浮かべて応じる。
口から生まれたようなこの男を舌戦で降すのは、いかな名高いヴァートンのエリートといえど骨が折れるだろう。
しかし、ヴァートン生たちは顔を見合わせると、酷く意地の悪い引き攣れた嗤い声を発した。
「これは傑作だな。お前、同族にどう思われているか知らないのか」
ヴァートン生は端末を取りだすと、ユーリスに向かって突きつけた。どうやらSNSの画面のようだ。
魔術師の出涸らし、というハンドルネームの人物が、ヴァルフィアの石板とユーリスの関係性について論じたネット記事について持論を述べているらしい。
『はっきり言って、私たち魔術師も迷惑しています。せっかく非魔術師と仲良くしようとしているのに、彼の存在のせいで、私たち皆が嫌われるんだもの。生まれる時代を間違えたってこのことだわ。古代魔法の承継者だかなんだか知らないけど、それなら古代に骨を埋めてきて!』
はじめて、ユーリスの眸が揺らぐ。
その様をとっくりと眺めて、ヴァートン生は唇を歪めた。
「お前が消えたほうが、害悪どものためにもなるってよ」
それは、醜悪な呪いの言葉だった。
弾かれたように、七々子はユーリスの前に飛びだす。掴みかかる勢いでヴァートン生を睨み上げた。
「今の言葉、取り消して」
途端に忍び笑いがヴァートン生の間に伝染していく。
「オズマリオンの名が泣くな。女に庇ってもらうなんて、恥ずかしくないのか?」
ヴァートン生は七々子の肩越しにユーリスを攻撃する。七々子のことはその眼に映しさえしない。
七々子が魔術師だからか、女だからか、それとも東洋人だからか、その全部かもしれない。
中には、腹を抱えてげらげら笑っているヴァートン生もいる。
咄嗟に身体が動いてしまったが、このヴァートン生たち相手には七々子が間に入ったのは悪手でしかなかったのかもしれない。ますます相手に攻撃材料を与えてしまった。
不意に、背後から肩に手がかかった。ユーリスの手だ。
七々子はぎゅっと目を瞑った。余計なことをするなと突き飛ばされることも覚悟した。
けれども、いつまで経っても衝撃はやってこない。
「『女』じゃなくて、椿木七々子。僕の仲間の、優秀な魔術師だ」
ユーリスは七々子と肩を並べて、ヴァートン生を見据える。
聞き間違いかと思って、七々子はユーリスを穴が開くほど見つめてしまう。
彼は、七々子を見つめ返す。木々を映した湖面のような眸は、朝陽を浴びたように透きとおっている。彼の眸のなかに自分の影を見つけると、どうしてか鼻の奥がつんとした。
ヴァートン生たちからお前の存在は無意味だと突きつけられたような気持ちが薄らいでいく。
「仲間に助けられることを、僕は恥だと思っていない。むしろ、幸せなことじゃないか? きみたちのコミュニティは、仲間と助け合うようなこともない、さもしい友情を築いているのかもしれないが」
「いい気になるなよ、化け物が」
ヴァートン生がユーリスの胸倉を乱暴に掴む。
ユーリスは眉根を寄せたが、杖を取りだしはしない。七々子がヴァートン生を引き剝がそうとしたときだった。
「——その汚い手を放せよ、空骸め」
ヴァートン生の喉元に、杖の切っ先が触れる。




