1 ヴァートン・カレッジでの再会
首都ジャイアの中心部から、列車に揺られること一時間半。
女王が週末を過ごす居城リーンヴェルを仰ぎ見るように座するヴァートン・カレッジは、リーンヴェル城とひと続きであるかと見まがうような中世の古城の趣きのある全寮制男子校だ。
七々子たちローグハイン生は四足歩行の猫姿のリリ先生に引率され、ヴァートン・カレッジの控室に通されていた。
リリ先生は先ほど、少しばかり打ち合わせをしてきますと言って慌ただしく部屋を出て行った。すでに機構と連盟の警護が位置についているので、ちょっとやそっとのことでは襲撃の心配はないようだ。
ローグハインからは、三十名弱が参加している。ほとんどが監督生や奨学生を奉じる隊単位で参加していて、七々子としてはあまり好ましくない生徒の姿もちらほら見えた。サルヴァンは監督生のひとりと組んでいるようで、七々子と目が合うなり睨みつけてきた。監督生といえばバンノンの姿もあって、こちらは王子スマイルで手を振ってくれる。それには飽き足らずキスまで投げてきたが、バンノンの悪癖にはもう七々子も慣れたもので、苦笑しつつも手を振って返した。
このあと一時間もすれば、セレモニーがはじまる。
午前中は、非魔術師によるプログラムが行われる運びだ。ヴァートン生による演劇にオーケストラ、ラグビーの試合の観戦をしたあと、都立瑞原高校空手部による演武と組手が披露される。昼餐を挟んで午後からローグハイン生による飛行術や校庭を巨大水槽に変えての水棲馬馬術、魔術決闘の模擬試合が行われるスケジュールらしい。
ちなみに七々子はまだ編入して三ヶ月であくまでユーリスのおまけなので、とくに出番はない。
「なんなんだ、このタイの結び目は。だらしないにも程がある。やる気あるのか?」
絞め殺す勢いでニケのタイを結び直しているのはユーリスだ。
人に辛辣な駄目出しをしているだけあって、いつもと同じ制服姿ではあるのだが、糊のぱりっと利いた真新しいシャツに袖を通し、スラックスにもジャケットにも皺やよれひとつ見当たらない。今日は奨学生にだけ与えられる特別なガウンまで羽織っていて、万全の臨戦態勢といった趣きだ。
「それにこの髪も。今日だけはまっピンクの髪をどうにかしてこいって言っただろ。しかもこのじゃらじゃらのびかびかのピアスはなんだ! 今すぐ外せ。魔術師が品位のない馬鹿と思われたらどうしてくれる」
「え~、どっちもかわいいじゃん。外したらおれのハッピー度が下がりますぅ。そしたらユーリスちゃん、責任取ってくれんのー?」
「きみのつくった妙な指数の責任まで持てるわけないだろ。なんだそれは」
ユーリスは眉間に皺を寄せて、しかし知らないことがあるというのは我慢ならないのか律儀に尋ねる。
「綺麗なもんに囲まれてると、しあわせ~って気持ちの度合いだよ。どうせなら、綺麗なもんだけ見て生きていたいじゃん?」
「甘えるな。いい加減、世のなかの酸いも甘いも味わって大人になれ」
ユーリスは苛々と説教し終えるとタイの皺を取る魔術を掛けて、七々子を振りかえる。
「ツバキ、きみも手伝え。こいつの四方八方に跳ねている下品な髪をまともにしろ」
整髪料と櫛を強引に押しつけられ、七々子は唇をへの字に歪めた。
「こういうのって無理やり直させるものでもないと思うわ。しかも、あなたの面子のために」
「それじゃあ、セレモニーで僕たち三人が梣隊として紹介されるとき、ツバキはニケがこの有様でいいんだな。きみのお母君もどこかで警備に当たるんだろう」
ユーリスは七々子を説得するための人選を間違えている。
瞳子はたしかに社会の明文化されたルールこそ、悪態を吐きつつも守っている。だが、マナーだのしきたりだのTPOだのには平気で唾を吐くタイプの人間だ。娘と同じ隊の人間が、たとえ八十年代さながらのごてごてのパンクな出で立ちで現れたところで正直全く気にしないだろう。
七々子も普段は人の見た目など人の自由にさせておけばいいと思っている方だ。瑞原高校や天原魔法学校ではしょっちゅう服装検査があったが、なんの権利があって人の格好に指図ができるのだろうと思っていたくらいだ。
それにローグハインはそもそもさほど服装規定が厳しくない。ファッションに明るくない七々子は制服を定められたとおりに着るしか能がなかったが、七年生にもなると私服で過ごしている生徒も多くいた。ニケは適当に服を着ているようで配色や全体のバランスや小物のセンスがよくて、羽目を外したことができない七々子のひそかな憧れだった。
しかし――と七々子は一分の隙もなく正装で固めた他のローグハイン生たちを見渡した。
瞳子やローグハイン校内でのことならいざ知らず、今回は学生同士とはいえ魔法界非魔法界を代表したちょっとした外交の場といっても過言ではない。ヴァートン校はユルグの上流階級の子弟が通うマナーにうるさい学校だというからなおのこと、悪い意味で注目を浴びてしまうのは想像できる。
魔法界と非魔法界の関係が冷え込んでいる今、わざわざつっこみどころを引っ提げて非魔術師を刺激することもない。
「ニケ、ちょっと髪を触ってもいい?」
「ナナコちゃんなら、いつでもオッケー」
「はいはい」
ウインクを受け流して、七々子はニケの柔らかい癖っ毛に櫛を通しはじめる。染め直すのは無理だとしても、長さも少し伸びてきているから、品のよいリボンかなにかでひとつに結べばそれらしく見えるだろうか。
ユーリスはというと、シャツの皺を取ったり、行きの列車でアイスクリームをこぼしてできた染みを抜いたりする魔術を繰りかえしていた。この僕に小間使いのような真似をさせて云々と念仏のように小言を唱えながらではあったが。
七々子とユーリスがくどくど言いつつニケの世話を焼いている様を、他のローグハイン生たちは白けた眼差しで遠巻きに眺めている。ローグハインで数ヶ月も過ごせば、ニケが口さがない生徒に学校一の落ちこぼれの犯罪者予備軍などと噂されているのも知っていた。
むっとして、七々子は猫背になったニケの肩を引いた。
「ニケ。ここにいる間だけでいいから、背筋、ちゃんと伸ばして」
「えー、つらぁい」
「ニケはスタイルがいいんだから、それだけで見栄えがするわ。つまらない人たちに文句を言わせないで」
「そうだ。きみが貶されるということは、同じ隊の僕が貶されているも同然なんだからな。逆に見下してやるくらいの気概をもて」
「……はぁい」
ニケはファッションのこだわりが強そうなのであれこれと指図されて臍を曲げるかと思ったが、年下ふたりのされるがままになっていた。
そうこうしていると、控室の外の廊下が騒がしくなってきた。
どうやら帀目からの一団が到着したらしい。
日鞠には事前に危険を伝えて、参加を取りやめる返事をもらっていたのでさほど心乱すことなく教室の窓から彼らを見やる。七々子もちょっと前までは同じ学校だったので何人かは見覚えのある顔もあった。
なにげなく最後尾を眺めて、七々子は目を疑う。ほとんど無意識に扉に駆け寄った。
「ツバキ?」
「ナナコちゃん?」
ユーリスとニケの呼び声も耳に入らず、七々子は控室のドアをひらいて廊下に出た。
驚いた様子の瑞原高校の生徒たちの横を通り過ぎて、ひと息に最後尾まで駆けていく。
つい数か月前までみずからも袖を通していたセーラー服を掴んで、七々子は恨みがましく声を上げた。
「――なんで、」
「……ななちゃん」
思ったとおりの人物が振り返る。日鞠だ。
七々子と目が合うと、あからさまに罰が悪そうな顔をする。
「ごめんね、元々わたしが出るのは決まっていて穴も開けられなくて……」
「だからって、なんで嘘なんて」
「ななちゃん、すごく心配してくれたでしょう。そんな気持ち、今日までずっとさせるのがいやで……。ごめんなさい」
そう言って、日鞠は頭を下げる。
「でも、会えてうれしい。元気そうでよかったぁ。ななちゃんの手紙、そっけないんだもん」
日鞠はちょっと膨れて言うと、七々子の背中に腕を回した。
七々子も会えてうれしいやら、嘘をつかれて腹立たしいやらでどうしていいか分からなくなる。本音ではハグをし返したいところだが、それもすぐに日鞠にほだされたみたいで少し癪だ。




