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盾の魔女と魔導の杖  作者: 雨谷結子
第四章 変わりゆくもの
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6 魔法薬の調合

 四月も第四週を迎えた金曜の昼日中。

 七々子はニケと一緒に研究棟で魔法薬の調合の準備をしていた。実践魔術演習の試験に備えて、魔法薬を用意しておこうという話になったのだ。

 どういうわけか、言い出しっぺのユーリスの姿はない。

 初顔合わせ以来、演習の時間には欠かさず研究棟に出てきていたから金曜は彼をつけ回さずにいたのだが、やはり朝から張っているべきだっただろうか。

 今からでも夜魚に校内を探してもらおうかとやきもきしていると、やわらかな声が降ってきた。


「上の空だね、ナナコちゃん」


 ニケは苦笑しながら、グンバイジュの葉を詰めた袋をひっくり返す。

 墨の塔の森の奥地にはグンバイジュをはじめとする平行植物の群生地がある。墨の塔のドームを庭にしているテナから教えてもらって、朝早くから遭難しかけながら苦労して集めてきた代物だった。

 ちなみに平行植物とは幻想植物の一種で、非魔術師には視認できないとくべつな植物群だ。


「ごめんなさい。ええと、私は弟切草の花蜜を集めるから、ニケはグンバイジュを仕分けして細かく刻んでくれる?」


 そう言って七々子は自分の目の前に試験官とスタンドをセットする。

 今日作ろうとしているのは、千の顔をもつ悪魔などという別名をもつ猛毒植物ファハメックの解毒薬だ。

 実践魔術演習の試験には、自分たちで作った魔導具や魔法薬のたぐいは持ち込める。

 ニケによれば、昨年の試験では海底樹海にファハメックが生えている地帯があったとかで、解毒薬を作るのに難儀しリタイヤした隊が続出したのだそうだ。その情報から七々子もユーリスも最優先でつくるべきと判断したのだ。

 ここからは魔法薬学と薬草学の知識を総動員して調合に臨まなければならない。ひとつでも手順を間違えれば、解毒薬のはずが毒薬になりかねないからだ。


「仕分け?」


 意気込む七々子とは裏腹に、ニケはきょとんとした顔で首を傾げる。


「グンバイジュの葉の仕分け。初等課程で習う基本中の基本よ」

「分かんないや。ごめーん」


 ニケは情けない声を上げて、両手を顔の前で合わせる。七々子が帀目出身だからか、ニケはこのポーズをしておけばなんでも許されると思っている節がある。

 とはいえ、知らないことを責めたところで仕方がない。


「葉っぱをよく見て」


 七々子はニケがテーブルの上に広げた一枚のグンバイジュの葉を手に取った。

 葉はどれも夜色をしていて、十五インチほどの大きさがある。


「グンバイジュは、葉の左右どちらかに隆起があるの。別名を運命を明かす葉と言うのだけど、この隆起がその所以よ。隆起が右側にあれば幸運、左側は不運を示すわ。つまり、」

「このぼっこりしてるのが右側にある葉っぱが解毒薬になるってこと?」

「そういうこと。左側に隆起がある葉を使うと毒薬になってしまうから気をつけてね」

「なるほどね。ちなみに、葉っぱの表はこのつやつやしているほう?」


 ニケの問いに七々子はあっと声を上げる。


「ええ、それを間違えると命取りになる。グンバイジュを扱うならかならず覚えておかなきゃいけないことなの。うっかりしていたわ。ごめんなさい」

「んーん。教えてくれてありがと、ナナコちゃん」


 七々子は、飲み込みよく仕分け作業を始めたニケの手つきを眺めながら不思議に思う。

 ニケは彼自身が宣言していたとおり憑霊術以外の実践魔術のセンスはからっきしで呪文を唱えたところで魔術が展開せず、今七々子が教えたような薬草学をはじめとする科目の知識もぼろぼろだった。

 だが、決して地頭が悪いわけではない。ふざけた物言いに騙されそうになるが、むしろ頭の回転は速い方だと思う。このひと月、七々子が一度教えたことはすぐに吸収して物にしていた。前に高等課程の境界生物学の課題を山ほど溜めていて一度口出ししたことがあったが、彼は高度に学術的な内容も苦にしていなかった。

 呪文学や召喚魔術の実技試験はさておき、ペーパーテストをパスすることは訳ないように思える。


 魔法界は広しといえどユーリスのような才能の塊は稀で、大抵の魔術師はありとあらゆる魔術に精通しているわけではない。ニケのような一点特化型の魔術師や広く浅くといった魔術師も多い。七々子もひと通りの魔術には触れてきたが、実戦の場で使うのはほとんどが式神召喚術だ。

 それに派手な実践魔術の行使者ばかりが取り沙汰されがちな魔法界だが、歴史上魔術を深化させ、魔術師の立場を確立してきたのはその理論の担い手たる魔法学者たちである。ごく限られた才ある魔術師にしか使えなかった魔術という特殊技能がこうして各地の魔法学校で教えられるまでになったのは、彼らの努力なくしては語れない。

 それに最近では、魔術師の実業家も注目すべき存在だ。テナの憧れるシヤ・クーは、魔法界のみならず非魔法界でもその名を轟かせている。彼女は魔法薬学の第一線で活躍する研究者であり、さらには巨大製薬会社のCEOを務めている。そんな彼女も、実践魔術はほとんど扱えない。初等課程の最初に習う呼び寄せ呪文ひとつ、五回に一回成功すればいいほうだとなにかのインタビューで答えているのを見たことがある。

 七々子の目にはニケは十分、魔法界の担い手たる素養はあるように思えた。


「ニケ。もう授業をさぼらないで。ちゃんとやったら、高等課程をいい成績で終えることだってできるはずよ。優秀だもの」


 優秀、のひと言にニケは目を瞬いて、それからちょっと耳を赤らめた。


「ナナコちゃんの教えかたが上手いんだよ」


 お世辞だと思ったのか、ニケはそう謙遜する。

 このときばかりは七々子は心を守るために行使している式神召喚術を解こうかと一瞬迷った。


「ちがうわ。私は本当に……」

「おれにこんなに一からちゃんと色々教えてくれる人、初めてだもん。ナナコちゃん、つんけんしてるけどやさしいよね」


 その言葉に、今度は七々子が赤くなる。

 七々子のことをやさしいだなんて言うのは、人のいい新と日鞠くらいだと思っていたのに。

 こうしてニケと過ごすようになってひと月ほどが経つ。彼と過ごせば過ごすほど、七々子はニケが本当に憑霊術の使い手なのか疑わしく思うようになっていた。

 歴史上有名な憑霊術師といえば、拷問官に秘密警察に異端審問官、簒奪者に暗殺者に戦争犯罪人とその邪悪を列挙すれば枚挙に暇がない。そのような世紀の大罪人とまではいかずとも、憑霊術師が人の弱みを握って脅迫したり、企業の乗っ取りをしたりして捕まってニュースで取り沙汰された例はいくらでもある。

 だからニケのことを警戒していたのだが、彼はたしかに掴みどころのないところはあるものの、邪悪とは対極の位置にある人物に思える。

 エルリーやバンノンも隊の話になったときに「そういえばきみってあの憑霊術師と同じ隊なんだったっけ」と顔色を曇らせたが、よくよく話を聞いてみると彼らもニケに心を覗かれて脅されたことがあるわけではなかった。単によく知らないというのが彼らのニケに対する印象の第一で、それゆえ憑霊術師という言葉のイメージがひとり歩きしているのかもしれなかった。


「お、大袈裟だわ。あなたが毒薬をつくってしまったら私だって苦しむ羽目になる。それに人に物を聞かれて答えるのは当然のことだもの」

「はは、そっか。……でもま、おれみたいのはひとまずは退学にならない程度に頑張るよ」


 その言葉はいつも通り柔らかかったが、どこか七々子を寄せつけない頑なな芯をくるんでいた。

 七々子も椿木の血を引く魔女として帀目で将来を嘱望されながら、魔法界とは距離を置いてきた過去がある。

 彼が過小評価されているのを目の当たりにするとなんだかもやもやとしてしまうが、ニケの人生はニケのものだ。そう思うと、これ以上踏み込むことはできなかった。


「グンバイジュを刻み終わったら、大鍋に入れてひたひたになるまで蜂蜜酒をそそいで火にかけてくれる?」

「ひたひたね。了解」


 やがてドーム内をなんとも言えないどぎつい臭気が漂い始める。

 ぐつぐつと大釜が煮立った頃合いを見計らって、火からおろした。

 試験管に集めておいた弟切草の花蜜を量をきっちり量って鍋に加える。じゅっと音がして、夜空に星々が散らばるようにくろぐろとした液体が輝きだす。

 冷めるまで待ってできあがりだ。

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