1 手紙と腰巾着
『ななちゃんへ。ユルグの生活にはもう慣れた? ななちゃんのいない学校はさみしいよ。わたしは合コン相手の西高男子とは三日でスピード破局しました。うちの男子部員と空手の話してただけなのに、色目使ってるとか言われたから、むかついてポテチ食べまくっちゃった。今度の大会の計量のためにご飯もセーブしてたのに、おかげで日々の我慢が台なしだよ! ところでこの間伝え忘れちゃったんだけど、ビッグニュースがあるの。また連絡するから楽しみにしていてね。日鞠』
『お姫様とよろしくやっているようで安心したわ。彼、とっても人たらしで信奉者に事欠かないけれど、最近の時勢を見ていると学校内外で敵が増えてくる頃合いかも。石板や第六時の塔に関して、こちらは進展なし。ただ気になるのは、百鬼宵の魔力反応が最近ユルグ周辺で何度か確認されていることね。そうそう、そちらの学長とうちの上層部がやりとりをしていて、近々新しい展開もありそうよ。また連絡するわ。ママより』
ローグハインに編入してから一カ月と少し。骨火の間でひとり夕食のスープを啜りながら、七々子は二通の手紙を眺めていた。どちらも思わせぶりなことを書いているわりに、肝心の内容は書かれていなくてやきもきしながら読み終える。
七々子の視線の先にはユーリスがいて、ユルグの大手魔法新聞に目を通していた。
一面には、ユルグの首都ジャイアで起きた魔術師排斥事件の記事が大きく取り上げられている。
ヴァルフィアの石板が奪われてから、非魔術師と魔術師の間の溝はまた一段と深まっていた。魔術師の入店拒否やSNSでの誹謗中傷は七々子がローグハインに編入する前から起こり始めていたが、最近は暴動にまで発展しているらしい。
写し画には、ジャイアに店を構える魔術用品店のショーウィンドウが破壊され、店主の女性が投げ込まれた石から小さな子どもをその背に庇っている場面が映し出されている。
ユーリスはとくべつ表情を変えずに続く二面、三面を読み始めていて、彼の心境は窺えなかった。
ユーリスは毎日授業を選択できる上限いっぱいまで受けていて、放課後や週末は水棲馬の馬術チームの練習に参加したり、魔術決闘の模擬戦に挑んだり、初等・高等課程の学生も交えて勉強会をしたり、リリ先生に頼まれて境界生物の面倒を見たりと多忙な日々を送っていた。
普段の学期は長期休暇に自由に陸に戻ることもできるのだが、今は件の魔術師排斥事件の余波で、安全のために臨時の校則で陸との行き来が禁じられている。
六年生以上は学外の活動もあるのだが、七々子が編入してからはほとんどが中止に追い込まれていて、今度のイースター休暇も学校に缶詰めを余儀なくされそうだった。
「きゃあ!」
ユーリスを観察していた七々子は、近くで上がった控えめな悲鳴に目をやった。
同室のテナが驚いた様子で椅子から転げ落ちかけている。
なにかと思えば、テナの食べていた白いんげん豆と野菜がたっぷり入ったスープのなかからヒキガエルが飛びだしてくるところだった。白っぽい液体がこぼれて、テーブルを伝う。
計ったかのように周囲から忍び笑いが聴こえてくる。なかには、「見ろよ、あいつカエル食ってるぞ」と揶揄する声もあった。
テナは縮こまって唇を噛み、涙をこらえている。いつもはもうひとりのルームメイトのハヴィや一級上のエルリー、それにバンノンと行動をともにしていることが多い彼女だったが、今日は折悪しく一人だった。
おそらく誰かが、テナのスープに魔術を使ってヒキガエルを入れたのだろう。
このごろ、ローグハインでも両親ともに魔術師ではないテナのような生まれの生徒への当たりは日に日に増している。
普段の夕食に先生は同席しないので叱責する大人もいなければ、折悪しく監督生もいなかった。
このヒキガエル混入事件に気づいているのはごくわずかのようだ。
ユーリスの座っている一番端のテーブルなどはまったく気づいた様子がない。
七々子はハンカチを取り出すと、黙ってテナに差し出した。彼女は七々子に怯えているから余計萎縮させる可能性もあったが、他に誰もいないのだから仕方がないだろう。
テナが驚いた様子で七々子を見上げる。微かにふるえた唇が「ありがとう」という言葉を形づくる。毎朝ていねいに編まれている赤毛のおさげが頼りなげに揺れていた。
あまり大事になってほしくないのか、テナは足早に骨火の間を出て行く。食べかけのスープ皿がぽつんとテーブルの片隅に残された。
他にも非魔術師の両親をもつ生徒はいる。それなのにわざわざテナを標的にしたのは、彼女のこういう争いを好まない姿勢が都合がよかったからだろう。
七々子は向かいの席に座ってにやにや笑っている三人組を見つめた。
中心にいるのはあのサルヴァンだ。三人ともオズマリオン家ほどとは言わないまでも、ユルグで力のある魔術師の名門一族の子息たちである。以前はユーリスの腰巾着のように周りをうろついていたのに、最近はあまり一緒のところを見かけない。
「なんだよ」
サルヴァンが不愉快そうに七々子を見やる。
「べつに。悪趣味で幼稚だと思っただけよ」
いつぞやの文字魔術の授業でのこともあって、言葉尻がきつくなる。先日は体調も精神状態も最悪だったのでされるがままだったが、七々子は本来やられっぱなしでいられる性分ではない。
サルヴァンはカッと頬を紅潮させた。
しかし思い直したのか咳払いをすると、腕を組んでふんぞり返る。
「おいおい、冤罪はよくないなあ? 俺たちを疑うなら証拠を示せよ」
サルヴァンは友人たちと示し合わせたように嫌な嗤い声を漏らした。
たしかに彼の言うとおり証拠はない。態度からあからさまにばればれではあったが、疑わしきは罰せずだ。
七々子とサルヴァンでは、後者に分があった。
「お前、目障りなんだよ。お前みたいのがいるから、いつまでも世の中は空骸どものやりたい放題だ。それなのにユーリスときたら弱腰で、お前みたいなローグハインに相応しくない魔女を庇い立てしていい子ちゃん面する始末。あんな奴にユルグの魔法界を任せられやしないね」
七々子と話しているはずなのに、サルヴァンの話題は途中からほとんどユーリスのことに変わった。文字魔術の授業の一件でユーリスに対する心境の変化があったようだ。
あのときのサルヴァンの嫌がらせは、どうやら本当にユーリスがけしかけたわけではなく彼が勝手にやったことと見て間違いなさそうだった。
「……あなた、オズマリオンが私のことを庇い立てしたと思っているの?」
七々子は呆れて、ユーリスに敵意剥き出しの視線を送っているサルヴァンを見つめた。
しかし彼は目の前の相手よりもユーリスに関心があるらしく、七々子の言葉は聞こえていないようだ。
サルヴァンは思いちがいをしている。
ユーリスは七々子を庇い立てしたわけではない。
ユーリスを守るという名目で大々的ないじめが行われ、それが先生にも知られては自分自身にも累が及ぶ。そう考えたから、サルヴァンを止めたのだ。
行き過ぎた暴力事件を起こしでもしたら、一発で退学もありうる。
魔術師法ほど厳格ではないが、ローグハインにも校則というものはある。あのまま嫌がらせが続いていれば、確実に文字魔術のガーグ先生に見つかってサルヴァンは処罰を受けていたはずだ。
そういう意味ではもしかすると、サルヴァンを守る意味もあったかもしれない。ユーリスはサルヴァンのことを友人と言っていた。
しかしそうしたユーリスの考えは、サルヴァンにはまるで伝わっていなかったらしい。公衆の面前で恥をかかされたと逆恨みしているような節がある。
七々子としては喜ぶべきか、同情すべきか判断に迷うところだ。
「それともあれか? お前、ユーリスに取り入りでもしたのか? 帀目の女はサービスがいいっていうもんなあ?」
下卑た声に七々子は顔を顰めた。
ユルグでは、東洋人差別など珍しいものでもない。
「まあ、俺は空骸混じりの魔女なんて気色悪くて、懇願されたってごめんだけどな」
「そう。私もあなたみたいな知性と品性に欠けた最低の人間とは金輪際、話をしたくもないわ」
サルヴァンは一瞬、なにを言われたのか分からないというような顔をした。いいところのお坊ちゃまなので、これまでこんなふうに言い返されたりすることがあまりなかったのかもしれない。
少しして、サルヴァンは顔を真っ赤にして立ち上がる。
「言っておくが、ユーリスはお前みたいな下賤の女、相手にしないんだからな!」
サルヴァンはなにを思ったのか、的外れにも程がある言葉を喚き散らす。
だが折よく監督生のバンノン・ネイカーが現れて、途端に大人しくなった。典型的な、自分より弱い立場の相手に群れて掛からないとなにもできない卑怯な人間だ。
こんな男よりも、七々子が相手にしなければならない人物はよほど厄介だった。
その人物はと見れば、目ぼしい記事を読み終えたのか新聞を折り畳んだところだった。
よくよく目を凝らせば、新聞の内側になにやら封筒のような白っぽいものも見える。もしかすると、新聞を目隠しに秘密の便りでも読んでいたのかもしれない。サルヴァンとのくだらないお喋りに気を取られている場合などではなかった。
これからしばらくは、ユーリスの動向にとくに注意を払った方がいいだろう。七々子は気を引き締めると、すっかり冷えきったスープを飲み干した。




