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盾の魔女と魔導の杖  作者: 雨谷結子
第三章 魔法学校での日々
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5 梣隊の三人目

 金曜の今日は丸一日、実践魔術演習の時間にあてられていた。

 ちいさくついた溜め息が、がらんと静まり返った室内でやたらと耳に障る。始業の十分前に梣隊の研究棟の席についたはいいものの、七々子はもう一時間近くも待ちぼうけを喰らっていた。

 先週のこの時間も、終業の鐘が鳴るまでユーリスももうひとりの隊の仲間も姿を見せなかった。この分では今日も空振りかもしれない。


 隊にはそれぞれ受け持ちの先生がいて、リリ先生が梣隊を担当している。といっても演習の時間の使い方は生徒たちの自主性にすべて委ねられているので、他の授業とちがって先生が前に出て講義するということはない。担当教諭はあくまでも相談役で困ったときには助言をもらえるが、こちらがアプローチをしないかぎりは基本的に放任されている。評価は主に定期考査の結果いかんで下されるので、それ以外の時間になにをしていようが自由というわけだ。

 ではみんながみんなこの時間はさぼっているのかというと、そんなことはない。


 七々子はドームの透明な膜に手をついて、隣のドームを見つめた。

 少々距離が離れているものの暗幕の類は張られていないので、中の様子を覗き見ることができる。

 お隣の隊はきっちり三人とも揃っていた。ひとりが呪文によって水を放つと、もうふたりがその水流から身を護る火の呪文を唱えはじめる。

 七々子とそう変わらない年頃の生徒に見えるが、傍から見てもなかなか高度な魔術の応酬だった。呪文学の授業の応用だろう。


 七々子が見入っていると、不意に水音がした。ドームの入り口が揺らいで人影が現れる。

 ひょろ長い手足をした男だった。寝ぼけまなこを擦って大きなあくびをひとつ漏らしている。髪は染めているのか、奇抜な珊瑚色。鼻の周りには薄らとそばかすが散っていた。

 見覚えのない顔だ。六年生以上が一堂に会する骨火の間でも見かけたことがない。

 七々子が身構えると、こちらに気づいた様子でぱっと表情が華やいだ。


「ツバキナナコちゃん?」

「……ええ」


 制服のジャケットは着ておらず、指定のシャツの上にだぼだぼのフーディを羽織っている。袖から覗いたカフスボタンは、金剛石だ。最上級生の十二年生で間違いないだろう。

 とろんと垂れた目の色は柔らかな琥珀色で、大きな口から歯を見せて屈託なく笑っている。耳にはじゃらじゃらといくつもピアスがついていた。


「あー、ごめんごめん。おれ、ニケ・プシュカ。ニケって呼んで?」


 ——プシュカ。

 魔術師の諸名家であれば、七々子も有名どころは網羅している。だがその姓は記憶になかった。

 膚の色は白いが、もしかするとユルグ語圏の生まれではないかもしれない。彼が話すユルグ語にはかなり強い訛りがある。


「じゃあ、あなたが……」

「そ。梣隊の三人目。よろしくね」


 友好的な笑顔に、七々子は曖昧に頷く。

 ローグハインに編入してからというもの、情報を引き出してやろうという魂胆で他人に近づくことはあったが、こんなふうにまともに人と会話することなどなかった。こうも毒気のない態度で笑いかけられると、逆にどうしていいのか分からなくなる。

 ニケは今まで接した在校生で、七々子に対して一番フレンドリーな人物といっていい。他の生徒は嫌悪感を剝き出しにするか脅えるか、関わり合いになりたくないとばかりに距離を置くのがほとんどだったのに。

 もしかするとニケは、七々子が機構のスパイであるという公然の秘密を知らないのかもしれない。

 その場で固まったままでいると、先週はさぼってごめんね、とニケが眉尻を下げる。


「ユーリスちゃんはきてないの?」


 ユーリスちゃん。

 ニケの口にしたあだ名と、あの鼻持ちならない御曹司の姿が結びつかず、七々子はしばし目を瞬く。


「ええ。……でも、きっとこないと思います」


 七々子にも、それが少なからず自分のせいだという認識はある。誰しも付き纏ってくる相手と同じ空間にいたいとは思わないだろう。

 ユーリスはともかく、ニケに対しては七々子も申し訳なくなる。

 最上級生ともなれば学業だけでなく、卒業後の進路のことでも忙しいはずだ。わざわざ時間を割いてきてくれたのに、これでは無駄足になってしまう。

 七々子とユーリスの間にある複雑な事情を何と説明しようかとまごついていると、ニケは楽しげに口の端を上げた。


「それはどうかな」


 そう言って、ニケは椅子の上に胡坐をかく。それからなにやら便箋を取り出して円卓の上に広げた。万年筆が三本と、便箋が三枚だ。インクは髪の色と似合いの珊瑚色で、ひとりでに便箋の上を滑りはじめていた。一般に流通している魔導具である。

 さすがに文面を盗み見るわけにはいかず、七々子は目を逸らす。

 ユーリスに手紙でも書くのかと思ったが、ニケの表情を見るにどうもちがうようだ。


「これはねぇ、ラブレター。おれねえ、これで筆まめなんだよ」


 ニケは七々子の心を読んだように答え、上機嫌にラブレターとやらを見せてくる。

 そんなプライベートな代物を見てもいいのだろうかと思ったが、本人が見せてくるのだからと覗き込む。三枚の便箋の宛名はいずれも女性の名前だったが、どれも名前がちがっていた。

 おまけに、彼の服からは女ものの香水が強く薫っている。

 思わず咎めるようにニケを仰げば、彼は目をぱちくりとさせてから、七々子からばっと勢いよく距離をとる。


「待って待って。おれ、未成年の子にはぜーったいに手ぇ出さない主義だから。そこ、心配しないでね?」


 変なところで倫理観を見せてくる。七々子としてはそこを警戒したわけではなく、三人の女性と同時に交際することを問題だと思ったのだが、どうも彼にとってはそれはごく普通のことらしい。

 指摘するのもなんだか馬鹿らしくなって、七々子は頭の中の人物名鑑のニケの頁にふしだらと書き加えた。

 しかしふしだらであっても、今のところもっとも協力的といっても過言ではない人物だ。七々子はこれ幸いと気になっていたことを尋ねることにした。


「あの、十二年生ということは、実践魔術演習の学年末試験がどんなものかもご存じですよね?」


 学年末試験。

 帀目の学校とちがって九月始まりのローグハインでは、六月に試験が行われる。なかでも七年生から十二年生が対象となる実践魔術演習の試験は、どの魔法学校でももっともハードな試験として知られていた。

 しかも、ローグハインは最高峰の魔術師の卵が集められた魔法学校だ。一般的な魔法学校よりも過酷な試験内容であってもおかしくはない。それを、隊の三人で協力して突破しなければならないのだ。


「まあね」


 ニケはそう答えると、ビビッドな花柄の化粧ポーチからちいさな瓶入りの色とりどりの塗料を取りだした。ネイルポリッシュだ。

 ニケはそれを上機嫌に円卓に置かれていた天秤の皿に並べる。右に左に天秤が振れるのにもかまわず、並べたなかからライムグリーンとコーラルピンクの瓶を摘まみだすと、器用に爪を塗りはじめた。

 途端に、つんとした刺激臭が漂う。

 なおも真剣な表情でニケを見つめる七々子をしげしげと眺めてから、彼はへら、と笑み崩れた。


「試験のことなんか聞かれたの、はじめてかも」


 その口ぶりに七々子は眉根を寄せた。

 十二年生ともなれば、下級生から授業や試験のことを尋ねられたりするのはごく普通のことではないだろうか。


「おれね、正確には十四年生なの」

「十四年生?」


 耳慣れない言葉に首を傾げたところで、ドームの入口がたわんだ。

 七々子は目を見ひらく。


「そいつは二年ダブってるんだよ」


 七々子の疑問を引き取ったのは、ユーリスだった。

 ニケがいるにもかかわらず、いつもの胡散くさい笑みは鳴りを潜めている。

 ダブっている。つまり、留年しているということだろう。七々子の五つ上かと思っていたが、どうやら七つも上らしい。


「さぼりに寝坊に赤点に非行にエトセトラ。ローグハインでこいつより不真面目な在校生を探すのは至難の業だ」

「余計なこと言わないでよ、ユーリスちゃん」

「その呼び方を辞めたらな」


 ユーリスはぞんざいに言って、肩を竦めた。

 不機嫌そうな足どりで近づいてくると、七々子とニケから少し離れた場所に椅子を持ってきて腰掛ける。

 七々子はニケ越しに探るようにユーリスを見つめた。

 まさか彼が七々子と接触せざるをえないこの場所にのこのこと顔を出すとは思わなかった。

 来週からは七々子も研究棟に足を運んだりせずに、ユーリスの動きを探る方に舵を切らなければならないかと思っていたのに。いったいどういう心境の変化だろう。

 ニケへの接し方も妙だ。

 八方美人の彼が七々子以外の人物に雑な態度を取っている姿などはじめて見た。

 ニケとは七々子のように険悪な関係なのか、それとも逆に気安い仲なのだろうか。


「ニケ。おまえ、このまま行くと落第だぞ。やる気がないならさっさと自主退学したらどうだ?」


 ユーリスの口調には、気安さというよりは棘がある。険悪か気安いかといえば前者だ。


「えー、ここまで来たら卒業させてよ」

「ならさぼるなよ。同じ隊だからと先生方に苦言を呈される僕の身にもなれ」

「だって、眠いんだもん。それに女の子といちゃいちゃしているほうが愉しいし?」


 七々子は今度は複雑な心持ちでニケを見つめた。


「ニケさんは、その——中等課程は卒業されたんですよね?」

「そりゃあね。そうじゃなきゃ、もうさすがに退学になってるよ」


 その返答に、七々子はますます訳が分からなくなる。

 魔術師は、中等課程——つまり八年生を修了すると一人前の魔術師として認められ、三分の二近くの学生が学校を巣立っていく。

 わざわざ九年生の高等課程に進むのは、研究者志望やエリート、それから秘術の使い手などごく一部の人間だった。

 そうでもないかぎり、一般の学生は高等魔術になど手を出そうとは思わない。不真面目な学生ならなおさらだ。

 それともプシュカ家は隠れた名家で、ニケは門外不出の秘術の使い手であったりするのだろうか。


「なんでおれみたいなチャラチャラした奴がって思うでしょ?」


 心のなかを言い当てられたのかと思って、七々子はどきりとする。


「おれも正直、向いてなかったって思ったりはするんだけどさ。長く生きてりゃ色々あるのよ。きみらの足は出来るだけ引っぱらないようにするから、仲間に入れてくれない?」


 ニケは小首を傾げて、七々子とユーリスを交互に見た。

 新参者の七々子にニケを仲間はずれにする気などさらさらなかったし、そもそも鹿角の隊分けは絶対だ。魔法契約と呼ばれる拘束力をもつ約定で、反故にすることなどできやしない。

 あのとき掌に刻まれた三の文字は、見えなくなっても消えたわけではない。呪いを肉体に刻み込まれたようなもので、背けば恐ろしい結末が待っている。


 実践魔術演習の単位が欲しいなら、誰かが退学にでもならない限り、この三人で突破するしか道はない。

 七々子は元々帀目の学校は中退していたし、ここでもし落第したとしても細々と生きていければいいという気でいたが、オズマリオン家の御曹司としてはそういうわけにもいかないだろう。

 そこまで考えて、七々子はそうか、と思う。

 ユーリスは、七々子のことがどれほど憎かろうと、実践魔術演習の単位を落とせない。だから嫌でも七々子とニケに協力を仰がなければいけない立場なのだ。

 ニケが、ユーリスが実践魔術演習に顔を出すことを半ば確信していた風だった理由が理解できた。


 ユーリスは苦々しげに「勝手にしろ」と吐き捨てる。ニケは七々子を振り返って片目を瞑ってみせた。少し胸がすっとする。

 この学校で味方を得ることなどできないと思っていた。

 けれどもニケは、はっきり味方とは言えないまでも、七々子にとってはこれ以上ないチームメンバーと言えそうだ。

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