その8
北條が持ってきた二枚目の写真にはローと思われる人物を連れ去るガスマスクの一団が写されているが、月鏡が指差したのはガスマスクの一団が立ち去ろうとする先に不気味に立つ男の方だった。そこまで鮮明ではないものの黒い長髪を後ろに束ねており、顔の右頬に大きな傷が付いているが見える。ガスマスクの一団と同じような服装をしており、一見仲間のような印象を受けた。
北條は余りピンと来ていないが、月鏡は男の顔を見てやや震えている。
「ショーグン?一体どういうこと?」
(…都市伝説レベルの話です。俺がかつて在籍していた海上自衛隊の中で伝わっていた話を思い出したんです)
月鏡は北條に昔聞いた話をゆっくり説明し始めた。
元海上自衛隊の幹部クラスまで上り詰めながらも突如出奔し、各地を傭兵として転々としながら幾つもの修羅場を潜り抜けてきた男。その男はやがて『ショーグン』と呼ばれ、伝説的かつ悪魔的な存在として戦場で語り継がれるようになった。
同じく伝説的な存在といわれる傭兵部隊『ブラッディ・レイン』と互角に渡り歩いたとも、暗殺集団として悪名高い忍者部隊とも繋がりがあるとも噂レベルではあるが、一自衛官である月鏡が耳にするほど有名な人物だったらしい。
「じゃ、じゃあそのショーグンというのが今回のテロ事件を引き起こしたとかいうの?」
(テロ事件の首謀者までは分からないですが、アレックスさんを連れ去った奴等と何らかの繋がりはあるかもしれません。ただ俺もよくは知らないんです。直接面識がある訳でもないし、本当にこの写真の人物が『ショーグン』なのかも…)
「当局もテロ事件とアレックスさんの行方について調べているけど、有力な手がかりはないみたいなのよ。たぶんそのショーグンのことは当局も調査はしてるだろうけど、あんまり期待は出来そうにないわね」
(千奈津さん、東京支部の方は今、どんな状況なんですか?)
「正直いってあのテロ事件以降は封鎖状態よ。キングスカンパニー本社側からの一方通知でしばらく業務を停止しろってお達しが来たのよ。小張課長も槍田さんも関係各所への説明に追われて大変だったみたい」
(そうですか…しかし、これからどうするんですかね?)
月鏡は心配そうな表情で北條を見つめた。北條は無理やり笑顔を作って月鏡を安心させようとする。
「アレックスさんのことはキングスカンパニー本社も当局も調査してるし、まずはユーシュー君自身の回復が一番だよ。大丈夫、きっと。アレックスさんは生きている」
(千奈津さん…)
「ありがとうユーシュー君。貴重な話を聞かせてくれて」
(いや此方こそ噂レベルですみません)
「とにかく私の方もそのショーグンのことについて調べてみる。この資料を手に入れられただけでもかなり根回しした甲斐があったからね」
北條は二枚の写真を丁寧にバッグへしまった。そして月鏡の頭に付けたコードたちをゆっくりと取り外す。面会時間がギリギリとなった為、急いで車椅子を反転させて月鏡の病室を後にする。
「それじゃ、私はこれで。また来るね、ユーシュー君」
「あ、ありがとうございます、千奈津さん」
月鏡はベッドの上から北條が去るのを見送った。そうして月鏡は視線を病室のドアから真っ白な天井へと移す。
「…『ショーグン』…確か名前は…」
ぼんやりと月鏡が考えていたとき、再び病室のドアが開かれた。もう検診の時間か?月鏡が慌ててドアに視線を送ったとき、驚くべき人物が立っていた。
黒い長髪を後ろに束ねた右頬に大きな傷のある壮年の男…。その眼光は鋭く殺気を隠していない。間違いなく月鏡はその男のことを知っていた。
「しょ、『ショーグン』…!??」
「…貴様がユーシューか。どうやら私のことを知っているようだな」
男はポツリと呟くとゆっくりと月鏡の眠るベッドへと歩み寄った。その男、『ショーグン』の姿を見て月鏡は咄嗟にベッドの下に身を隠そうとする。が、月鏡の傷は癒えておらず、まだ全身は包帯だらけで点滴のチューブが繋がれている状態。どうやっても月鏡は逃げることができず、完全に無防備である。月鏡が必死にもがいていると、『ショーグン』はベッドの横にある丸椅子に座り、月鏡に落ち着くよう手で制止した。
「安心したまえ。今は貴様の命を取るために来たのではない」
今はという言葉に引っ掛かるが、月鏡は体を『ショーグン』に向けると抵抗をやめた。それでも『ショーグン』への警戒心は解くことなく、その顔をじっと睨み付けている。『ショーグン』は右頬に付いた大きな傷を掻きながら、ベッドに横たわる月鏡の姿をまじまじと眺めた。
「ど、どうして…それに貴方は…」
「簡単に自己紹介だけしておこう。私は神仏無若彦。今は、そうだな…フリーランスのテロリストといったところか」
「て、テロリスト…?!な、なぜ…俺のことを?なんで…」
「幾つも質問があるようだが、此方も時間もない。手短に話すとしよう」
そういうと『ショーグン』こと神仏無は懐からスマートフォンを取り出し、とある動画を月鏡に見せた。動画の内容は月鏡とローが巻き込まれたカフェの爆発の一部始終だった。先程北條からの写真でも同様の光景を見ていたが、画の動きや音が付くと尚のこと当時の混乱ぶりや現場の生々しさが伝わってくる。
神仏無は動画を一通り月鏡に見せるとフーッと深い溜め息をついた。
「…今回のテロは失敗だった。ある種のデモンストレーション代わりにやってみたんだが、世間の反応は今一つでね。もっと大々的にやらねば意味がない。今回は只の無駄足だった」
神仏無は顔色一つ変えることなく、今回のテロの総括を淡々と月鏡に話す。見せられた動画を撮っている以上、この凄惨な光景を直接目の当たりにしているはずなのに、この人にはこうも感情というものがないのだろうか。ここまで人は冷酷になれるのか。
幾つもの戦場や修羅場を掻い潜ってきた経験から善悪の基準や倫理観が完全に失われてしまっているように見える。都市伝説のように語り継がれてきた『ショーグン』の噂はやはり本当のようだ。
月鏡が神仏無の異常な言動に身震いしていると神仏無がもう一つの動画を月鏡に見せてきた。
「…!!?これは??」
スマートフォンの動画に写し出されたのは月鏡と同じく包帯だらけで横たわるローの姿だった。