その2
月鏡と北條がパートナーを組んで営業活動を始めてから3か月が経とうとしていた。
互いの足りないところを補いながら、リハビリを目的とした義体技術のプレゼンやら北條がメインとなっての実演販売を行っていたのだが、未だに目立った成果を出せていなかった。
そのせいもあってか若干部門内の空気もよろしくない。出勤の度に月鏡に北條を紹介した初老の男性こと小張課長と同僚の事務員である槍田の視線が痛い。事務所内のそんな空気が嫌で月鏡は毎日営業先から自宅へ直帰をするようになっていた。
この日もいつものように営業先を回った後、北條と別れて自宅へ帰ろうとして…最寄りの駅前で突然北條に呼び止められた。
彼女が帰宅するときは大抵家族が車で迎えに来るのだが、この日は用事があるとのことで急きょ月鏡に途中まで付き合うようにお願いされたのだ。
「いいけど…俺電車ですよ?大丈夫っすか?」
「大丈夫大丈夫、タクシー呼ぶから。もちろん代金は折半ね」
「えっ…まあいいっすけど」
北條に押される形で月鏡が了承する。北條はタクシーを呼び止めると巧みに車内へ乗り込み、慣れた様子で運転手が北條の車椅子をトランクへ積み込んだ。月鏡もタクシーの後部座席の北條の隣に座った。
「どちらまで行きます?」
「そうね…」
北條は少し考えると自分のバッグから何やら紙を取り出し、前の運転手に差し出した。運転手は紙の中身を見て理解したのか、アクセルを吹かして車を発進させた。
北條が手渡した紙は何かの地図か地名が書かれていたらしい。残念ながら月鏡の位置からは中身までは見えなかった。
「一体どこへ行くんです?」
「いいとこよ」
「家に帰るんじゃないんですか!?」
「いいじゃない、たまの寄り道も。事務所の空気がよくないから気分転換よ」
月鏡は北條の言葉に首を傾げるが、北條はどこか楽しげだ。タクシーは北條の指示通りに進んでいき、やがて市街地を抜けて人気のない通りになり、そこから更になだらかな山の方角へと向かう。山頂へ向かう道路へ差し掛かると更に街灯が減り、辺りが闇に包まれた。
「ここでいいわ。運転手さん、ちょっと待っててもらっていい?」
北條がそういうとタクシーからゆっくりと両足を付いて降りた。ほんの少しだが立って歩く。
月鏡も北條に次いでタクシーから降りた。
「此処って…」
月鏡の目の前に現れたのは薄暗い山の木々の合間から差し込む煌々と輝く都会の灯りだった。無機質なコンクリートジャングルから放たれる無数の光が幾重にも重なり、何ともいえない幻想的な光景を作り出している。茫然とこの光景を眺める月鏡の右腕を北條が軽く小突いた。我に返った月鏡が北條の方に振り向く。
「私のお気に入りの場所よ。此処に来ると普段の嫌なことが少し忘れられるの」
「いつも此処に来てるんですか?」
「ううん、たまーに。この光景を目に焼き付けて仕事を頑張ろうと思うのよ」
「この町に来て割りと長いんですが、此処のことは全然知りませんでした。こういう幻想的な所があったんすね」
「私の特別な場所なんだけど、君だけには教えとこうと思ってね。ところでユーシュー君は普段何してるの?」
「何にもしないですよ。寝てるか街中をぶらつくかくらいですよ。如何せん俺は無趣味なもんで」
「もったいないよ。若いんだし、もう少し楽しみを見つけなよ」
「…努力します」
そんな会話を続けていると突然北條のスマートフォンが鳴り響いた。慌てて北條が取ると神妙な面持ちで応対する。敬語で話しているのを見る限り、電話の相手は彼女の家族ではないようだ。
「はい…分かりました。明日の予定は変更してそちらに伺うようにいたします」
そういうと北條は通話を切った。月鏡が心配そうにしていると北條が面倒臭そうに溜め息をついた。
「急だけどユーシュー君、明日の予定は大幅変更よ」
「今のは課長だったんですか?」
「そう。本社から出向の人がいるから私たちで出迎えろってお達しが来たの」
「日本支部の本社からですか?」
「ううん。キングスカンパニーの本社から。どうにも堅物で有名な人らしくて此方に飛ばされたとか言われているらしいわ」
「いわば左遷ですか…」
「どうもキングスカンパニーの社長に楯突いたとかいう噂よ。私たちに押し付ける辺り中々面倒な人っぽいわね」
話を聞いた月鏡も北條と共に溜め息をついた。明らかに貧乏くじを引いたようだが、向こうの意向に背くわけにもいかない。明日は早くなりそうだと結論付けた月鏡と北條は再びタクシーに乗り込むと、そのまま家路につくように運転手にお願いした。