その10
神仏無のいう取引とは何か。いずれにしても体を動かせない上、眼前にナイフを突き付けられた状態の月鏡に拒否権はなかった。観念したように月鏡は神仏無に頷く。
「分かればいい話だ」
月鏡の反応を見た神仏無は満足そうな表情を浮かべるとナイフを懐にしまった。そしてスマートフォンを再び出すと、とあるサイトにアクセスしてその画面を月鏡に見せる。それはキングスカンパニーが対企業用に用意した特別な注文サイトだった。キングスカンパニーが世の中に出している膨大な商品の中から神仏無は一つをピックアップする。
「こいつを大量に発注したい」
「これは…民間用のドローン…?」
「それと、もう一つ」
神仏無は更にスマートフォンをいじると別のページにあるパワードスーツの一覧を月鏡に見せる。パワードスーツの方はリハビリ用のものを応用した特注品らしく、かなり単価の高いものだった。
「一体…どうして?」
月鏡の疑問に神仏無はフッと笑う。神仏無はゆっくりと今回のテロに至るまでの経緯を簡単に説明した。
元々傭兵として各地を転々としていた神仏無だったが、傭兵に変わってドローンが戦場を蹂躙する光景を目の当たりにしたことから傭兵から足を洗うことを決意したのだそうだ。しかし戦場という死地を潜り抜けてきた神仏無が今更堅気の仕事に就くことはできず、悶々とする日々を送らざるを得なかった。その中で平和ボケした老害や上級国民、事なかれを貫く官僚たち、SNSやマスコミによって見えない悪意を植え付けられ暴走する民衆の姿を見続けたことで日本という国の未来に失望するようになった。やがて神仏無の中で一つの結論が出た。
「スクラップアンドビルド。このままではこの国は腐り続け、いずれ他の大国たちに飲まれかねない。他の国の属国や植民地となるくらいなら一度既存の物を全て破壊し、この世から今の日本を抹消する。そこから新しい秩序や体制を構築し、真の平和な国を作り上げる」
神仏無は淡々と自身の目的を月鏡に語った。余りにも突拍子もない、自己中心的かつ誇大妄想的な発想に月鏡は閉口する。
神仏無は自身の考えに賛同してくれるものを集い、様々な思想や経歴の者たちが来てくれるようになった。そこから入念な準備や計画を練り、今回のテロ事件を起こすまでに至ったのだという。
「私たちは自身の組織を『バクフ』と呼んでいる。その中で私は代表を務めている次第だ」
「ば、『バクフ』??」
「先にもいったが、元々我々の装備はトリプルE社から提供されていたものだ。が、連中の用意したものは悉く粗悪品な上、今回のテロにおける余計な証拠が残ってしまった。だから先程、連中の入居しているビルを連中が用意した装備で吹き飛ばしてやった」
神仏無はケラケラと乾いた笑いを浮かべる。そこから良心の呵責や迷い、後悔などは一切感じられない。サイコパスという言葉がピッタリ当てはまるようだ。
尚神仏無が先程から話しているトリプルE社とはemperor・electronics・enterpriseのことでキングスカンパニーの競合企業として有名である。しかし近年はAIとドローン開発事業にシフトしたキングスカンパニーがほぼ業界を独占している状態であり、トリプルE社としてはかなり厳しい立場にある。そのトリプルE社が神仏無たちにすり寄ったということはテロリストに自身の商品を提供しているということか。
「て、テロリストに商品を提供するなんて…」
「出来ないか?だが、そんな立場に貴様はいないぞ?それに直接我々に提供するのではないし、無論只でとはいわん。既に『バクフ』のペーパーカンパニーを用意しているから其処と取引するという体で問題ないはずだ」
「だとしても…」
「くどい!!」
神仏無が渋る月鏡を一喝する。その表情からは「お前の命など今すぐにでも取れる」という言葉が浮かび上がっているようだ。
「アレックス・ロー、だったな。奴の命と引き換えでもか?それとも…貴様の家族?もしくは北條千奈津とかいった車椅子の女か?ソイツらがどうなってもいいのか?」
「なっ…ち、千奈津さんまで…」
「フッ…言ったはずだ。貴様は拒否できる立場にないとな」
すると神仏無は再びスマートフォンをいじると何処かへ電話を掛ける。しばらくすると月鏡の携帯電話の着信が鳴った。驚く月鏡を見た神仏無が通話を切ると月鏡の携帯電話も鳴り止んだ。
「明日午後五時までにこの番号に連絡するよう貴様の上司か同僚にいえ。この番号が先のペーパーカンパニーに繋がっている。もし電話が無い場合はアレックス・ローと貴様の命をいただく」
「…ぐっ…卑怯な…」
「これでも紳士的に接したつもりだ。いい返事を待つ」
そういうと神仏無は自身の右手首に巻かれた時計のようなものをクイッと捻った。と、突然神仏無の姿が薄くなっていき、やがて完全に消えた。月鏡が慌てて声を上げようとすると、何もない宙から神仏無の声が聞こえた。
「コイツはトリプルE社が開発していたステルススーツだ。だが、効果今一つだったようだ。
定点の監視カメラ程度もごまかせないのだからな。とにかく貴様は先程要求を守るように。以上だ」
神仏無の声が聞こえなくなるのと同時に月鏡の病室のドアが勝手に開いた。どうやら神仏無が去っていったようだ。神仏無が居なくなると月鏡の体から一気に汗が吹き出し、どっと疲れが襲い掛かってきた。そして深く考える間もなく、月鏡は再びしばしの眠りについた。




