紅茶
窓を開けて網戸にし、縁側も開けて簾を下ろす。それから扇風機を回したからか、少々涼しくなった。昨日取り付けた金属の風鈴のいい音がする。半袖短パンで首にタオルをかけて畳の上に寝転がった。額から汗が流れ、髪が少し濡れていた。
「……暑い」
エアコンをつければいいのだが、冷え切ってしまうのも体に良くない気がする。多分母屋である屋敷はキンキンに冷えているだろう。あれは寒いくらいだ。
部屋の中でも日焼け止めを全身に塗らないと日焼けするので、日焼け止めの消費量が毎年恐ろしい。業務用とかないんだろうか。しかもシーンによって使い分けるので店みたいなラインナップだ。
部活もなければ、仕事もない。課題はもう終わらせてしまったし、夕飯を作るには早すぎる。さて何をしようか。今日は諒太郎も留守だ。
コンコンコン、と扉を叩く音が聞こえた。だるい身体を起こして扉を開けると、衛藤さんだった。
「どうしたんですか?諒太郎はいないのに」
「あーいや、今日は違う人。時間はあるから着替えてもらっていい? 」
確かにこれでは屋敷へ上がれないか、と思い、良さげな服を選んで洗面所で着替える。汗でベタベタするが、それほど時間があるわけでもないので制汗シートを使うことにした。半袖のブラウスにリボンを結んで、膝丈のスカートとストッキングを履き、髪は少し高めに結い上げた。その他諸々の支度をしてまた衛藤さんと合流する。
「あの方がお嬢さんの味方になるとは限らないんだけど、会ってみる価値はあると思うよ」
「……上手く立ち回ってみる」
ある部屋の前で止まり、衛藤さんがその扉を叩き「衛藤です、連れてきましたよ」と声を掛けると、「まあ、入ってらっしゃいな」と高い声が聞こえた。
部屋の中は今まで入った屋敷のどの部屋とも違い、明るい色を基調とした家具と花の模様の壁紙が印象的な部屋だった。貴婦人、と言った方が良さそうな部屋の主人は、ソファに座り、ティーカップとソーサーを持っていた。目の前のテーブルにはアフタヌーンティーセットが広がっている。
「さあさあ、ここにかけてちょうだい」
彼女が指した彼女の座っている向かいのソファに腰掛けた。
「初めまして。知っているとは思うけれど、三条理沙子というの」
「小野寺恵都です……夫人のお話は伺っております」
使用人の一人が置かれていたティーカップに紅茶を注いだ。
「紅茶はお好き? 」
「ええ……素敵ですね」
「あらそう……ありがとう。何がいいかしら……そこの桃のケーキを差し上げて」
使用人はそのケーキをティーカップと同じ柄の皿にのせて私にくれた。食べるかどうか悩ましいところだと考えていると、彼女はそれを読んだようだった。
「ふふふっ……毒は入ってないわよ」
「……あ。いただきます」
銀のフォークで一口食べる。これで合っていたんだろうか。ちらっと顔を窺うと、それも予期されていたようでにっこりと微笑んだ。なんとなく居心地の悪さを感じる。
「どう?美味しいかしら? 」
「はい……美味しいです」
多分、ケーキも紅茶も美味しいんだろうが、緊張というか、雰囲気に呑まれて味がしない。当主より夫人の方が怖いと思うだなんて。
「……上手くやってらっしゃるのかしら? 」
「……ええ、お陰様で」
「模範解答ね。当主には嫌味を言って、あの子には刃を突き刺すのに、私にはこの弁えぶり、貴女って素敵ね」
クーラーで寒いくらいなのに、冷や汗が止まらない。諒太郎のは兎も角、当主とのことまで知られていたなんて。もしかしたら至る所に夫人の使用人が紛れているのかもしれない。
「私は普段この屋敷にいないでしょう? 」
「……そう聞きました」
「だから私のいない間、どんなことが起きているのか、見てもらっているのよ」
だから、私の行動など全て知っている、とでも言うのか。陶器のティーカップや皿の柄を考えると、どちらかと言えば金のティースプーンの方が合うような気がしたが、フォークもスプーンも銀だった。“毒入りでない”ことをわざわざ暗示していることからして、本当に歓迎されているのかもしれない。
「……私ね、憧れている方がいたの。歳は……私と変わらない、私よりも歳下だったわ。初めてお会いしたのはそうねぇ、私がこちらへ嫁いで間もない頃かしら」
と彼女が語り出したのを黙って聞いた。だが、何故そんな話をし出したのかと話半分で聞いていた。
「三条家は人体実験をしているなんて聞いた時はひどく驚いたけれど、その人達と会わなければならないと聞いた時は恐ろしくて嫌だったわ」
憧れの人の話は脱線し、昔の愚痴になっていった。私がいるからその話題なんだろう。
「会うと言っても私はお茶を出すだけにしたのよ。乱暴されたら嫌じゃない?怖いものは避けたいもの」
やらなければならないことは最小限のリスクとなるようにする、それが彼女のやり口らしかった。世渡り上手というところか。
「私、婚約が決まる前から当主のことが大嫌いだったの。でもその日、あの人が格下である筈のあの方に口論で負けているのを見たらもう!あんなに面白いと思ったことないわ! 」
嬉しそうに話す夫人に、そろそろ相槌を入れなくてはと思った。だが、この話の人物に引っかかった。
「あの方……? 」
「そう、そうよ!あの、小野寺澪依華に……貴女のお母様に! 」
それが、恐らく彼女が私を歓迎してくれた理由の一つに違いなかった。
「そう、ですか……」
「あの方にお願いされたのよ。貴女を利用してくれって」
敵でも、味方でもなく。利用してくれだったことは、私の性格の問題だろう。味方になってくれと頼んだら夫人はそうしたのかもしれないが、私はどうにも信用できなかったに違いない。だから、利用しろ、なのだ。利害の一致が私が最も信用できる言葉の一つであることを、母は知っていたのだ。
「…………ご用件はなんでしょう? 」
「ふふふっ、貴女も、彼らと同じように私の目になるのよ。別に何か特定はしないわ。でも、私の聞いたことには答えてちょうだいね」
無理難題とはこのことか。場合によっては無茶な話だ。だがまあいい。どうせ彼女は殆どこの屋敷にいないのだから。
「わかりました……ですが条件が」
「あら、この私に条件を出すの?まあよくってよ」
彼女という後ろ盾があること自体が見返りだと思っていそうだが、使われるだけでは面白くない。
「……今後私のすることに一切口を出さないことです」
「ふぅん、邪魔をするな、ということね。いいわそれで。これは貴女の復讐だものね」
そう言ってなにか含みのあるように笑う。その時、先程からなんとなく感じていた感覚が理解できた。
「ああ……なるほど」
「どうかして? 」
「さっきから、夫人に既視感のようなものを感じていたのですが」
どこかで見たのかもしれない、と思ったが、そうではなかったようだった。
「私貴女は初めて見てよ」
「ええ、私もです……諒太郎に似てるんだなって」
そう言うと、ひどく驚いてティーカップを持つ手が止まった。
「そんなこと、初めて言われたわ」
「こんなに似ているのに? 」
彼女の綺麗な濃い茶色の髪も、少し吊り上がった目も、意味ありげに笑うその口元も。しばらく黙っているので、これは良くなかったか。
「ご気分を害されましたか? 」
「いいえ。当たり前と言えば当たり前なのよ。だって彼は、私が腹を痛めて産んだ子だもの」
彼女の言い方は、随分他人事のように感じられた。あの時、よく分からない、と言った彼を理解できないと思ったが、こういうことか。
なら、私は…………
なんで季節外れな話でしょうか…




