#3
中・下流貴族や平民出身の者が多い魔術師などをやっているが、ルイスはもともとそれなりに名門な伯爵家の坊である。継ぐものが何もない四男坊だったので魔術師を志したわけだが、そもそも彼は茶など自分で入れるような身分ではない。
しかも、茶葉入れとティーポットとカップを渡されただけで、湯すら用意されていないではないか。
(…………なに?あいつ、魔術師を給湯ポットだとでも思ってるわけ?)
そもそも「人が飲める温度」の「水ではなく湯」を「ティーポットにおさまる適量用意」して、「茶葉がはねないようにゆっくり」と「わずか直径6シュンの口から注ぐ」、一連の行程のなかにどれほど高度で難解な魔術方程式が組み込まれており、どれほど繊細で絶妙な魔力操作が必要なのか、あの鉄仮面はきちんと把握しているのだろうか。
(そりゃ、分かっちゃいないんでしょうね!えぇ、これっぽちも!全く!
なんたって彼は魔術師ではなくただの従僕だし、なによりご主人様があの魔力操作が化け物級の《蘇りの魔女》様ですものね!
いや?私も《円卓の魔術師》の端くれですし?やろうと思えばぜんっぜん?片手間でもできますけど??)
『お嬢様、お目覚め下さい。お嬢様に客人がおいでです。』
何だか試されているような、真っ向から喧嘩を売られているような気になって、ティーポット片手に四苦八苦していたルイスは、突如漏れ聞こえてきた声に驚いて顔をあげた。どうやら、実際のこの建物の構造では寝室は隣に位置するらしい。少々くぐもっていて聞こえづらいとはいえ、妙齢の女性の住む家が隣室の声が丸聞こえな程壁が薄くてはいろいろと問題だろう、やはり不用心が過ぎるのではないか。
しかし、建物をじっくりと確認すれば、流石に中身は読み解けないものの、現在魔力が供給されていないために全ての機能が一時停止をしているだけで、魔術そのものは建物全体にかけられていることは分かった。
どうやら、魔女が活動しているときのみしか、この小屋にかけられてる魔術は発動しないらしい、とこのことからルイスは推論立てたが、それは少し不気味な違和感をルイスに覚えさせた。
魔術師は眠りについているときすらも、体内の魔力を操作できてこそ一人前である。とくに建物に張り巡らされた結界くらいならば、学院を卒業した魔術師なら誰でも、眠りにつきながらでも維持できる。
要するに、この小屋には、《蘇りの魔女》ともあろうものが、活動中以外はすべての魔術方程式と体内の魔力との接続を切らねばならないほどの魔術がかけられている?
そんな高度な魔術方程式など、ルイスは知らない。ぶわり、と体中の体毛が立ち上がって、しかし、ルイスは次の瞬間、自分の考えすぎなあまりにもぶっ飛んだ思考に笑いが込み上げてきた。
(思えば、彼女は治外法権とも言われるラーノ公爵家の敷地内の小屋で侍従と二人きりで生活し、訪ねる者といえば私くらいなもの、常時結界を張っておくほどの警戒が必要がないだけか)
隣室の声はルイスが笑っている間にも続いている。ルイスははっとして口を押え、主従の会話に耳を澄ませた。前々から彼らの関係には少々思うところがあったのである。
『………客人?』
ややあって聞こえてきた声は、しゃらん、と鈴が鳴るような玲瓏可憐なソプラノでありながら、どこか耳にやさしく馴染む少女のものであった。寝起きな為か、少々かすれた声が、平日の昼下がりには似つかわしくない、耽美さをもはらんでいる。
『えぇ、《雷撃の魔術師》様がお嬢様に面会をもとめております。』
『……………、身を起こすのはずいぶんと久しぶりな気がするわ。』
『お嬢様は丸三日お休みでいらっしゃいました。《雷撃の魔術師》様がいらっしゃらなくとも、そろそろお起こし申し上げようかと考えていたところです。』
『そう、……それでなんですって?』
『《雷撃の魔術師》様がお嬢様に面会を、と。』
『…………彼は、この間、我が家を出禁にしたと記憶しているわ。』
やはり出禁にされていたのか、とルイスは納得したが、それはともかく茶葉の適切量が分からない。
『申し訳ございません、お嬢様。勅使である、と出られてはお通ししないわけにもいかず。
とりあえず、お目覚めのモーニングティーをいれましたがお召しになりますか。』
『…ありがとう、いただくわ。』
え?セルフサービスとは??というルイスの心の叫びは当然彼らには届かない。
次に隣から聞こえてきた少女の声は、ようやっと脳が覚醒しはじめたのか、それまでよりも幾分かしゃんとしていた。
『はぁ、またいらっしゃったの、あのおじ様。』
『申し訳ありませんお嬢様。』
『やめて頂戴、マサト。お前を責めているのではないことくらい分かるでしょう。悪いのは面倒で厄介なだけで大して重要でも危急な要件でもない癖、毎度毎度何とかの一つ覚えとやらのように皇帝の名を持ち出しては人を脅す、不忠者で無礼者な《雷撃の魔術師》殿だわ。全くもっていやらしいこと、虎の威を借りる狐の如しね。』
罵詈雑言のオンパレードが流れるように、世にも稀な美声をもって少女の口から告げられるのは、なかなかの破壊力があった。それにしても常日頃から口にしているかのような滑らかさである。よもや、ルイスが隣の部屋で盗み聞きしているのを見越して口にしているのではないか。
『いいわ、支度に手間取っているとでも伝えて、10点の間程待たせておきなさい。私はもう少し寝る。』
いやいやいやいや、さっき丸三日寝てたって言ってなかった?
茶葉の適切量が分からないなりに何とかセットし、こぼさないよう慎重にポットにお湯を注いでいたルイスは驚きのあまり、自らの手に湯をこぼし、その熱さと痛みに涙目になった。もう踏んだり蹴ったりである。自分は来たくもないのにわざわざ仕事で訪ねただけなのに。しかし、根本的に不忠者で無礼者である自覚はそこそこあるルイスは、やけどをしてしまった手を涙目で魔術を用いて冷やしつつ、なにも言えなかった。
『お嬢様、恐れながら申し上げれば、人の体は寝貯めることができるようにはなっておりません。お嬢様は丸三日お休みでしたから、そろそろお体の節々も痛むでしょう。《雷撃の魔術師》様にお会いするか否かはともかく、まずはお体を起こして食事をおとりなさいませ。』
『……貴方がそういうのならば。』
『ありがとう存じます、姫様。ではお食事を持って参りましょう。《雷撃の魔術師》様はいかがいたします。』
『嫌なことは先に終わらせるに限るわ。ついでに呼んでらっしゃい。食べながら応対するわ。それくらいは許されるでしょう。』
許しますよね?といった圧を、軍属上がりで気配には敏感なルイスは確かに隣室から壁越しに感じ取ったが、気にしないことにした。気にしたら負けである。次期に三十路にさしかかる《円卓の魔術師》であるルイスがたかだか16の小娘の圧にちびりかけたとかそんなことは一切ない。
かたん、というなにか物音ののち、す、と一切の音が消え静寂があたりをつつんだ。
どうやらようやく正常に魔術が作動し始めたらしい。ルイスはぼんやりと、その恐ろしいまでの無駄ない美しい魔力伝導と立ち上がりを、最早悔しいと思う心すら忘れて、ただただ見惚れていた。
ありがとうございました!