#2
はぁ、とため息を漏らしながらルイスは尚も言い募った。
「あのですねぇ、私は今、主上、皇帝至尊から直々に命を受けて《蘇りの魔女》殿を訪ねているんです。分かります?言うなれば私は、主上の特使なわけです。
特使を追い返す権利が、あなたや、あなたのご主人様にはあるんですかな?」
精一杯体中から威厳をかき集めて、物々しくルイスがそう言えば、流石に至尊には弱いのか、青年はようやくルイスを部屋へあげる決心がついたようだった。
なおこの間も無論無表情に変わりはない。
小屋のなかは、規模と家具はともかくとして、庶民の家の作りとなんら変わりのない構造をしており、玄関を通るとすぐに《蘇りの魔女》の研究室に繋がっていた。これは何度か訪ねたなかで初めてのことだったので、いつもは魔術で空間を偽装していたのだとルイスは初めて気づいた。
部屋の四方を天井までそびえたつ巨大な本棚が覆いつくし、莫大な量の書物が、意外なことに整然と並んでいる。魔術師は総じて読書家が多いが、流石にこれだけの個人蔵書をもつ魔術師はルイスの知るところにはなかった。一方で、机の上、床の上、椅子の上、果てには本棚の棚板、側板にまで、大量の雑な字が書き殴られたメモらしき書類やら、順序どおりになっていない論文原稿の写しやら、開きっぱなしの本やらがぐちゃぐちゃに散乱し、足の踏み場もなければ、埃のたまるようなスペースすら見当たらない。
本棚が丁寧に整理されているのは、十中八九、部屋の惨状に衝撃を受けているルイスの横で、何とかルイスの座るスペースを確保しようと、慣れた様子でできる限り物の位置を動かさないよう淡々と移動させている青年侍従の働きだろうと容易に想像がついた。
おそらくあまり研究資料を動かしたくない(いちいち出し入れをするのが面倒くさい)《蘇りの魔女》と、侍従として部屋を整えたい青年の譲歩と妥協、均衡点がこの部屋の有様なのだろうと思えば、ルイスはこの苦手な青年も少々哀れに思った。いつの世も出来の悪い主を持つ部下は大変なものである。
一旦部屋を出て、茶器を片手に再び戻ってきた青年は、開けたスペースに茶器類を置くと、もともと唯一上に何ものっていなかった椅子にルイスを座らせた。
「研究室に私が立ち入って良かったんですかな。」
魔術師たちは何より自身の研究室を大切にする。自分の研究の成果がすべて詰まった研究室は魔術師にとっては宝箱も同然であり、人に研究資料を盗まれないよう幾重にも結界を張り、罠をしかけるのは魔術師としての嗜みですらある。自身の研究を盗まれても、騙され奪われても、同情する者などいない。魔道を極める道は弱肉強食の厳しい世界だ。盗まれる方が悪いし、騙される方が悪い。
ルイスは軍属上がりの魔術師なので、自分の研究が自身の生計と名をたてる直接的な手段ではないが、それでもやはり自分の研究室に他人を入れるのはあり得ないという拒否感があった。
《蘇りの魔女》があまりそういったことに頓着しない、といのは魔術界でもひどく有名な話ではあったが、それにしても不用心すぎやしないか。
少々心配になり始めた、根が小心なことで定評のあるルイスの懸念を、青年はやはり無表情のままあっさりと切り捨てた。
「お嬢様は、どうせ他人がのぞいた所で一目にして理解できるようなものはない、と。」
「………まぁ、そうかもね。」
流石異例の経歴で円卓に認められた天才少女は言うことが違う。ルイスには苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
「ただし、並べられている覚書、本には一切御手を触れぬよう。お嬢様はわずかでも自分の記憶の中と物の位置がずれると、集中を阻害されるそうです。
それでは私は主を起こして参りますので、しばらくお待ちください。
お嬢様のお仕度が済み次第、ご案内致しますので。」
どうやら、この悲惨な有様の研究室ではなく、いつもの魔術でつくられた応接間で話をするらしいと知って、ルイスはひそかに安堵した。どちらかといえば几帳面で潔癖の入ったルイスにはこの部屋は少々心身に負担が大きい。
それはともかく、
「え?えーと?お茶は入れてくれないのかな?」
従者は、やはり相変わらずの無表情で、ルイスを振り返って見た。フワッと前髪がかすかにゆれて、いつもは隠された瞳がのぞく。
それは色も温度も一切が排除された、まるで無機物のような不自然さを醸し出しながらも、どこまでも冷え冷えと輝き渡る金色の宝珠のごとき滑らかさで、ルイスはその人外れた美しさについぞくりと背筋を粟立つのがとめられなかった。
「当家では茶はセルフサービスでございます。」
唖然としたまま動けないルイスを無慈悲にも置いてけぼりにして、青年はその無駄に長い脚をすたすたと動かし部屋を出て行った。
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