異世界トンネルは夢の中で
俺たちはクラスで噂になっているトンネルを調査しに来た。それも異世界に繋がっているというバカげた噂。だから最初は信じていなかった、この景色を見るまでは。
「なんだこれ本当に異世界に来たのか。それにしても凄い広さだ」
まるでアニメを見ているかのような幻想的な景色だ。
草原が広がり近くには川も流れている。綺麗な花が咲き誇り自然豊かな印象を受ける。
「陸、感動してないで早く探索しようよ」
「待てよ有亜、勝手に進むな。魔物とか出たら大変だぞ」
幼稚園からの幼馴染の佐倉有亜。高校生になった今でも好奇心旺盛で勝手に突っ走ってしまう。おかげでしょっちゅう振り回されてばかりだ。澄んだ瞳に愛嬌のある顔をしている。
黒髪ロングの透き通る髪と白いワンピースが似合っている。
しばらく歩いていると小さな一軒家を見つけた。家の前では青年が木刀で素振りをしている。この人は剣士かもしれない。
「すいませーん、ここは何ていう村ですか」
情報収集のために声をかける。青年は素振りをやめてこちらに向かってくる。
「レグリア領の外れのマローナ村だ。見ない顔だけどどこから来たんだ。服を見た感じ都市民か」
「俺たちは一般庶民で日本から来たんだ」
ここは田舎で中心部へ行けば都市があるかもしれない。青年は難しい顔で考えている。
「日本ってどこの国だ聞いたことないぞ」
しまったここは異世界だった。こっちの人間には伝わるはずがない。変な奴だと思われているだろう。
有亜がやっと口を開いた。
「じゃあこの国は何て名前なの」
「ロードレス連合王国だ。十年前の戦争の敗戦国が集まってできた」
国をまとめ上げるほどの人望のある王がいたのだろうか。
「そうなんだ意外と新しいんだね」
「その話は置いといて俺の家寄ってくか。自己紹介もしたいからさ」
「じゃあお言葉に甘えてお邪魔します」
家の中は想像よりも広々としている。壁には先祖の絵が飾ってある。
「二人とも久しぶりにお客さん来てるぞ」
「はーい」
バタバタと足音を立てて二階から美少女二人が降りてきた。
「俺はアレン・ルクシア、二十歳だ。こいつらがカレンとサクラだ」
「私は十八歳、これからよろしく」
「サクラは十六です」
二人ともアイドル顔負けのとてつもない美少女。クラスの男子全員に見せれば一日でファンクラブができることだろう。
「俺は浜岡陸、十八歳だ。よろしく」
「私は佐倉有亜、十八歳です。陸とは昔からの幼馴染」
「意外と歳が近いな。仲良くやっていけそうだ」
有亜が何かをじっと見つめている。
「すごっ二人とも胸大きいね」
「やめろ何言ってんだよ。こいつの言ったことは気にしないでくれ」
「不思議な子だね」
カレンは苦笑いを浮かべサクラは顔をりんごのように赤くしている。
「そう言いながら私の見てるじゃん。気づかないとでも思ったのかな」
「お前のなんか見てねえよ」
俺の視線の先には大きな胸があった。強烈な恥ずかしさがこみ上げてくる。慌てて視線を逸らす。
こいつ俺をもて遊びやがって。
自己紹介を終えたところで気になっていたことを質問してみる。
「大きな街までどれくらいかかりそう。例えば王都とか」
アレンはまた難しい表情を浮かべる。
「一番近い場所は王都アスラムなんだが魔の森を抜けなきゃいけない。
文字通り魔物が多く生息しているんだ。行くなら装備を整えてからだ」
危険なら諦めるしかなさそうだ。異世界で死んだら洒落にならない。
「ありがとう、やっぱりこの村を散策して帰るよ」
サクラに腕を引っ張られた。どうしたのだろう。
「ちょっと待ってサクラは手伝ってあげたいです」
「私は楽しそうだからついて行きたいな。いいでしょ用事も無いし」
「そこまで言うなら仕方ない。夕飯の買い出しのついでに付き合ってやる」
アレンは妹のお願いには甘いようで快諾してくれた。こちらとしても仲間が増えるのは心強い。
「準備してくるから待っててくれ」
「俺たちはどうしたらいい。武器も何も持ってない」
守ってもらいながら戦うのは大変そうだ。大勢の魔物に囲まれた時に装備がないと危ない。
「俺が昔使ってたのでよかったら持ってくるぞ」
「ありがとうお兄さん」
可愛いらしい声で有亜が感謝する。
準備を終えて見晴らしのいい丘に集まった。アレンは麻の服の上に革鎧を装備している。
短剣を腰に携えた姿が様になっている。俺と有亜も同じ装備を貸してもらった。
「アレン凄く鍛えてるな。剣士やってるのか」
「一応剣士だ。なったばかりの初心者だけどな」
高校球児のようながっしりした体格をしている。見た感じ強そうだ。
カレンも革鎧を装備している。得意とする武器は弓。サクラは赤いローブを纏い手には魔法の杖を持っている。
「じゃあ出発しよう。昼頃には着けるだろ。みんな気を引き締めていこう」
「冒険なんてワクワクするな」
待ちに待った異世界ファンタジーの幕開けだ。
マローナ街道を北上して魔の森に向かう。道中特に変わったことは起きなかった。
だだっ広い草原と田園風景ばかりが続いた。
「さあついたぞ。ここが魔の森だ。怪しい雰囲気が漂ってるだろ」
想像したよりも大きな森が壁のように立ち塞っている。得体のしれない怖さを感じる。
そして中に入ると漆黒が広がっていた。何も見えないのにどう進めばいいのだろう。
「光よ我らを導け」
カレンが唱えると小さな灯火が現れた。火のように赤い優しい光。
「これはヤバいな。生きて帰って来れるのか」
「前来たときはサクラが泣き叫んで大変だったんだよ」
「お姉ちゃん誰にも言わないって約束したじゃないですか」
頬を朱に染めて恥ずかしそうに顔を隠す。
森の奥から水色の柔らかそうな物体が近づいてきている。ゲームでお馴染みのスライ厶に似ている。十体ほどが列を作り行進している。
「あのぷにぷにした奴はスライムなのか」
「そうだけどお前スライム見たことないのか」
「見たことぐらいあるさ」
とっさに誤魔化してしまった。異世界だからスライムを見慣れているのか。
知らないのは転移してきたからと言っても信じてもらえないだろう。
「ぷにぷにして餅みたい。きっと揉んだら気持ちいいよ」
有亜は楽しそうに駆け出しスライムを触ろうとする。
「そうやって油断するなよ。内部に取り込まれたら最悪死ぬぞ」
険しい表情で忠告をするアレン。それを聞かされて背水に冷たいものが走る。
想像していたよりスライムは危険な魔物のようだ。ゲーム序盤の雑魚モンスターではなかった。
「風魔法が一番よく効くんだ。剣で切ろうとすると身体ごと吸い込まれて危ない」
「これまでに何人も仲間が死にました。武器も数え切れないほど奪われたんです」
二人からそんな恐ろしいことを聞かされて足がすくむ。異世界って想像したより怖い。
「サクラ攻撃頼む。まとめて蹴散らしてくれ」
「怖いけどがんばります」
大勢の敵には魔法を使うのだろうか。異世界の醍醐味といえば魔法だ。
「風よ吹き荒れろ」
サクラが魔法を唱えると風の塊が生まれた。それは拡散して竜巻になりスライムの隊列を吹き飛ばした。掃除するかのような素晴らしい戦いだった。
「生で見る魔法は迫力が違うな。使いこなしていて凄かった」
興奮して早口になってしまった。称賛の拍手を送りたいほど感動した。素人が見ても精度が高いことがわかる。
「そんな私なんて大したことないですから」
「私なんて魔法使ったことないよ。あれだけできれば十分凄い」
有亜もサクラをフォローする。もっと自慢してもいいはずだ。
「サクラは炎、水、風の三つの魔法を使えるんだよ。だから自信持ってどんどん敵を倒していこう」
カレンは妹の才能について自慢げに語った。
更に奥へ進むと暗さが増して視界が悪い。ガサガサと音をたてゴブリンが五体草むらから現れた。どうやら待ち伏せされていたようだ。肌は緑色で手には血のついた槍を持っている。
「これが本物のゴブリンなのか。思ったよりも見た目気持ち悪いな」
「アニメで見るよりグロいね。なんか強そう」
子どもが見たら大泣きしてしまいそうだ。最悪トラウマになるかもしれない。
「陸の背後狙われてるぞ。後ろに下がってろ」
そう言われて振り返ると薄汚い笑いを浮かべるゴブリンがいた。顔に槍を向けられる。
ヤバイ殺される。気を抜くべきではなかった。アレンは颯爽と飛び出しゴブリンを真っ二つにした。
血飛沫が飛び散り短剣から血が滴り落ちる。
「すまんそんなに危ないなんて知らなかった。命拾いした」
「今みたいにやってると守りきれないからな。しっかり頼むぞ」
「わかったけど剣ってどう使えばいいんだ」
剣道とかはやったことがないので扱いがわからない。アレンならコツや技を教えてくれるだろう。
「俺は感覚でやってるから人に教えられない。陸と有亜は協力して一体倒してみてくれ」
体で覚えろってことか。いきなり実践なんて無理な話だ。ゲームにチュートリアルがないみたいだ。
「いきなりなんて随分適当じゃない。でもまあいや、わからないけどやってみよう陸」
「お前が言うならちょっと試してみるか。交互に攻撃していこう」
「二人とも頑張って」
運動神経抜群の有亜がいるのは心強い。俺より遥かにいい動きをしてくれるだろう。
足手まといにならない程度に頑張ろう。
「じゃあ俺から攻撃する」
ゴブリンの動きに注意しながら近づき勢いよく剣を振り降ろす。剣と槍がぶつかり合い火花を散らす。
意外と力が強く俺が気を抜くと剣を持っていかれそうだ。剣も重量があって疲れる。
「きついこのままだと力尽きそう。有亜手伝ってくれ」
「オッケー、私に任せて。強すぎたらごめんね」
戦いの真っ最中だというのに明るい笑顔で答える有亜。そのおかげで緊張が少しほぐれた。
最後の一言が気になったがスルーしておこう。
「すげえ助かるよ。いい幼馴染みを持ったな俺は」
有亜は疾風のような速さでゴブリンに斬りかかる。ゴブリンはあまりの速さについていけない。
強引だが強力なダメージを与える一撃。
そうしてゴブリンの首が鮮血を散らし吹き飛んだ。なんともグロテスクな光景を見てしまった。
「意外と簡単だったよ。才能あるかも私」
「凄いないとも簡単にやっつけるなんて。俺も負けてられない」
良い所ぐらい見せてやりたい。さっきよりも堂々と敵に立ち向かう。素早い動きで剣を振り抜き斬りかかる。
今度は見事腹に命中した。ゴブリンは断末魔のような悲鳴をあげ倒れた。二人で二体も倒してしまった。急にどっと疲れが出てきた。
「始めてにしては上出来だ。その調子でさっさと森を抜けるぞ」
アレンは喋っている間も剣を振り回しゴブリンを倒した。熟練者と素人のレベルの差を見せつけられた。サクラは杖をバットのように振りゴブリンを攻撃した。
ゴブリンはホームランを打たれたボールのように勢いよく吹き飛ばされた。
カレンは遠距離から矢を放った。勢いよく矢が飛びゴブリンの頭に突き刺さった。
「あんな遠くから正確に狙えるのか。どれだけ練習してきたんだ」
「二日でできるようになったよ。スキルのおかげだけど」
あまりの上達の速さに衝撃を受けた。
ゲームっぽい用語が突然飛び出してきた。俺たち転移者にも備わっているかもしれない。
「詳しく教えてくれないか。そういうの好きなんだよ俺」
「お兄ちゃん大変です。ゴブリンの大群がきてますよ」
「うわっなんじゃこりゃ。なんて数だ。この森にこんなにいるなんて」
サクラが危険を察知して知らせてくれた。言われるまで全く気づかなった。
誰か死んでいたかもしれない、特に俺が。
「スキルのことは後で話す。まずは目の前の敵を倒すのが先だ」
邪魔ばかりしてくるゴブリンを睨みつける。俺たちの前に現れたことを後悔させてやる。
十体のゴブリンと五人のパーティによる戦いが始まった。
前衛と後衛に分かれて戦った。剣士三人が容赦なく攻めていき空いた隙はサクラとカレンの遠距離攻撃で防いだ。チームワークが良く安定した戦いができた。
やっとの思いで暗闇に覆われた魔の森を抜けた。ゴブリンの大群を撃破した後は悪魔に憑りつかれた熊と出くわして大変な目に遭った。
王都へと続く街道を疲れ果てた顔で歩いていると立派な石造りの城壁が見えてきた。それはとても規模が大きく十メートル越えの高さがあって威圧感がある。
遠くてよく見えないが城門には門番らしき兵士の姿が見える。「あと少しだ」と励まし合いながらそのまま城門まで歩いた。
アレンは臆することなく兵士に声を掛ける。身分証を持っていないが大丈夫だろうか。
追い返されたら異世界生活終了だ。
「兄貴、俺だ。もちろん通っていいよな」
驚きのあまり有亜と目を見合わせる。
「何人兄弟いるんだよルクシア家」
「意外と大家族かも」
兄弟で楽しそうに喋っている。邪魔したら悪いので部外者は黙っておくことにしよう。
「おうアレンもちろん通っていいぜ。こうして会うのはカレンの誕生会以来だな」
「本当に久しぶりだな。仲間に王都を案内してやろうと思って来た」
「ジョン兄もたまにはこっちに遊びに来てよね。来なかったら怒るから」
みんな本当に顔が整っている。俺も転生したらイケメンになりたい。
「じゃあ行ってこい。あと盗賊には気を付けろよ」
「兄貴もな」
兄との再会を終えて噴水広場に向かった。
アレンが言うには彼は士官学校を卒業した後すぐに王国直属の騎士団に入ったそうだ。
去年から城門の警備を任されるようになった。寮生活でたまにしか実家を訪れることがないという。
噴水広場では子ども連れの主婦を多く見かけた。
王都の街並みに目を奪われているとお腹の鳴る音が聞こえた。
「誰かお腹鳴らなかった」
顔を真っ赤にしてサクラがゆっくりと手を挙げた。デリカシーのないことを聞いてしまい申し訳ない気持ちになった。
「恥ずかしいお腹鳴っちゃうなんて」
「私もお腹ペコペコ」
カレンは何に対しても素直なタイプのようだ。異世界の料理ってどんなものかと思うと楽しみだ。
「食いしん坊だな二人とも。もう昼だしあそこ行くか」
「あそこってどこだ。やっぱり異世界と言えば酒場だよな」
そう言うとルクシア兄弟に怪訝な顔をされた。
「俺たちにはまだ早いだろ。しかも値段が高いから無理だ」
「それよりもいい場所に連れて行ってあげます」
「アレンの奢りだから何でも頼んでいいんだよ」
ロードレス城の庭園付近にあるレストランに向かった。
お洒落な店に入ると甲高い悲鳴が耳を打った。刃物を持った屈強な四人の男が
店員に対して怒鳴り声を上げている。
怖さのあまり悲鳴を上げてパニックになる人でごった返していた。
「早く金だせや。じゃないとどうなるかわかるよな」
男がナイフを見せつけると全員が氷ついたように動かなくなった。
「うわーヤバい状況だね。こいつら泥棒、この世界でいう盗賊だと思う」
囁くような小さな声で有亜が話しかけてきた。危険な状況なのにドキドキしてしまう。
「下手したら生きて帰れないかもしれないな。兵士が来るまでやり過ごすか」
「それまで耐えられませんよ。被害者が出るかもしれないのに」
サクラの言う通りだ。奴らが人質に手を出さない保証はない。でもどうやってこの場を乗り切ればいいのだろう。検討もつかない。
「お姉ちゃんいい作戦思いついたよ。ちょっと耳貸して」
そう言ってサクラに近づき誰にも聞こえないように耳打ちした。
「なるほどいい案です。けど本当にできるんでしょうか」
「まあなんとかなるんじゃない。森でもすごい魔法使えたし頑張って」
カレンが熱い声援を送ると自信のなさそうな表情が少しだけ和らいだ気がした。
「そこまで言うならやるしかないですね」
さっきまでとは違いやる気に満ちた声になった。
「金貨100枚用意できたら人質全員を開放して
やってもいい」
「すぐ用意してきます」
店長らしきおしゃれな髭のおじさんが怯えながら答えた。彼はそのまま厨房の奥に走っていった。
銀行強盗のような脅し文句を放つ男たち。
全員余裕そうな表情をしている。どうしようもない怒りがこみ上げてくる。
サクラが囁くような声で魔法を唱えた。周りにいる俺たちにすら聞きとれなかった。
四人の男は突如としてピンク色の結界に包まれた。これはもちろんサクラの魔法結界だ。
「うわっ何だよこれ。誰だ魔法を唱えた奴は」
「あのローブを羽織った少女だ」
「誰だか知らないけど救世主だ」
現れた結界に戸惑いパニックになっている。助けがきて喜んでいる客が何人かいた。
「じゃあ結界が解ける前に取り囲もう」
珍しくカレンが指揮を執った。
「勝手に俺のセリフ取るなよ。まあいい俺たちでやるぞ」
この兄弟は戦い慣れている気がする。剣士の俺たちは急いで厨房に向かった。中は当たり前だがとても狭くまともに戦えたものではない。
食材や調理器具を壊さないかヒヤヒヤする。
「こんな雑な結界俺たちみたいな雑魚でも壊せるぞ」
男たちはやはり弱いという自覚があったようだ。
ナイフを突き刺すと結界はガラスのように簡単に砕け散った。立派な結界ですら歯が立たないとは思わなかった。
「ぼーっとしてないで突撃するよ」
「悪い、衝撃的すぎて」
三人同時に相手の剣をめがけて攻撃する。鈍い音が響き剣と剣がぶつかりあう。
「見た目に反して大したことないな」
アレンは落ち着きを取り戻していた。このままいけると思った刹那、剣を真っ二つに切り落とされた。俺と有亜も同じことが起こった。
「嘘だろ伝統の名剣がこんな奴らに壊されるなんて」
彼はこの世の終わりのような絶望に満ちた顔をした。そして床に崩れ落ちた。
俺たちには勝ち目はなさそうだ。
「所詮は子どもの勇者ごっこだったな。じゃあこれで全員仲良く終わりにしてやろう」
これが小説なら最悪なバッドエンドで炎上するだろう。もうどうしようもない。
リーダー格の男が薄汚い笑みを浮かべながら俺めがけて突進してきた。右手にはナイフ左手には盗品の剣を持っている。二刀流スタイルで連撃を浴びせられる。
「なんて強さだよ。序盤の雑魚ってレベルじゃねえぞ」
攻撃に応じ剣を構え続けたがあっけなく吹き飛ばされた。気づけば汗が吹き出し心臓の鼓動が速くなっている。このままでは俺は死んでしまうだろう。
「早くそこから逃げて。死んでもいいの」
有亜がいつになく真剣な顔で俺を呼ぶ。目から一筋の涙が溢れて頬が濡れた。諦めかけの心に火がついた。
「そうだよな。こんな旅の途中で死んでたまるか」
男は急に方向を変え有亜に襲いかかった。咄嗟に俺は走り間に滑り込む。剣が突き刺さり激しい痛みが腹に走る。
自分のものとは思えないほど大量の血液が勢いよく流れ出した。有亜は突き飛ばされ床を転がる。
他に被害がないのは不幸中の幸いだ。
「お前らさっさと逃げるぞ。金なんてどうでもいいからな」
男たちは取り返しがつかないという怯えた顔で逃げ出した。
「やっぱりだめだった。相手が強すぎたのが悪かったな」
死ぬ前なのに感動する言葉が出てこない。俺はアニメの主人公ではなくただのオタクに過ぎなかったというわけだ。
「死亡フラグ早すぎるよ。もっと冒険したかったのに」
「悪かったな何の力にもなれなくて。これから転生して異世界で勇者にでもなろうかな」
「こんなときまで馬鹿みたいなこと言わないでよ」
意識が朦朧として痛みを感じなくなってきた。腹から出る血液の熱さだけが残る。人気の小説なら何度でもやり直しがきくのに。
アレンたちが青ざめた顔でこちらに向かってくる。何か言っているようだが俺にはもう聞こえない。
だんだんと瞼が閉じていき漆黒の暗闇が広がる。行き先は天国と地獄のどちらだろうか。
そうして意識が完全に消えた。
「起きてー早く起きないと遅刻するよ。ねえ聞いてんの」
うるさいぐらいに元気な声が響いた。恐らくこれは走馬灯だ。そうでなければ有亜の声が聞こえるはずがない。二度と聞けない好きな声。
「起きないなら布団剥ぐからね」
布団を取られて急な寒さに襲われる。せっかくの安眠を邪魔しないでほしい。
ふと違和感を感じる。どうして天国に布団があるんだ。
「もしかしてこれ夢じゃね」
眠りから覚醒して飛び起きる。辺りを見渡すと見慣れた自室だった。
目の前には制服姿の少女が少し驚いた顔で立っていた。
「寝ぼけたこと言ってどうしたの。変な夢でも見たんじゃない」
「そうなんだよ。異世界に行って盗賊に殺される酷い夢だった」
本当に夢で良かった。あの激しい痛みを思い出すだけでゾッとする。
「なにそれ朝から死ぬってヤバいじゃん。でも死ぬ夢っていいことがあるらしいよ」
所詮夢でしょといった風に俺を馬鹿にして笑っている。いつも見ているはずなのにとても笑顔が眩しく感じられた。
「冗談抜きでマジで死んだと思ったからな」
「あっヤバいもう授業始まっちゃう。急いで準備して」
振り返って時計を見ると八時四十五分だった。夢の話をしている場合ではなかった。
「下で待ってるから」そう言って有亜は階段を足早に駆け降りていった。
慌ててベッドを飛び出して学校の制服に着替える。余裕がないので服の皺や寝ぐせは適当だ。鞄を雑に担いで階段を駆け下りる。
「ごめんやっと準備できた」
「もう遅いってば。もう遅刻してるから別にいいんだけど」
彼女は髪をいじりながら玄関で待ってくれていた。表情からは焦りを感じられない。
変な夢を見たせいで朝なのに疲れが残っている気がする。
「じゃあ行ってきます」
声を揃えて母にそう告げて玄関を飛び出した。外は残暑が残り九月にしては暑い。眩しい日差しで目がやられそうだ。
「まだ暑いしさ学校行くのやめないか」
有亜はやれやれと呆れた目で俺を見てくる。そんなジト目をしないでくれ。
「今日テストじゃなかったけ。昨日まで覚えてたんだけど」
「やばくね。全然勉強してねえし赤点確定だー」
絶望のあまり地面に座り込み項垂れてしまう。吞気に夢なんて見ていなければ少しはマシになったかもしれない。
「じゃあ私は先に行くからじゃあねー」
「ちょっと待て俺を置いてくなー」
わざとらしいあざとい笑顔を向けた後ダッシュで去っていった。
置いて行かれまいと全速力で彼女の後を追いかける。
後日テストの結果を見ると予想通り赤点だった。あの日以来異世界の夢を見ることはなくなりいつもの日常が戻ってきた。