あなたはそれを望んだ。人はそれを無理と言った。
王都から遠く離れた田舎町でエリン・タークスは穏やかな引退生活を送っていた
タークス家は代々教育に関わっている。
エリンも行儀作法を専門として家庭教師や貴族学校の講師などを勤めてきた。
当代一と持て囃され王族の家庭教師に召し上げられ、引退前はずっと王族専属となっていた。
だが、いつまでも続けられる訳もない。
教師は人の人生をも左右する責任重大な仕事だ。
遣り甲斐もあるが重圧もある。
王族専属ともなれば、命の危機に瀕する事もあった。
そんな気の抜けない仕事を続けるには気力体力共に充実していなければならない。
エリンは自らに老いの足音が聞こえるにつれ、衰える前にと退職し、田舎に引っ込んだ。
独身のまま仕事に人生を捧げたエリンは身一つで移動が可能だった。
田舎で初老の女性の一人暮らし。
通いでお手伝いを頼む程度で、身の回りの事は事足りた。
何の不自由も無い。
経済的には困っていないし、時折、曾ての教え子が季節の挨拶状を送ってくれたり寂しさを感じることも無い。
未だに新たな仕事の依頼も舞い込むが、エリンは受けるつもりは無かった。
王族の教育者。
その肩書きを背負った時から覚悟していた。
辞めた後は二度と関わらないようにしようと。
曲がりなりにも自分は王族の教育者であった者だ。
その伝手で王族に少しでも近づきたい、便宜を払って貰いたい。
そんな甘い汁を吸おうと様々な考えの人が群がってくる。
仕事に就いていた時は多忙を理由に断ってきた。
だが、隠遁すると時間ができる。
相手が寄ってくる時間が。
だからエリンは人が寄らない田舎に引きこもったのだ。
それでも来る人は絶えない。
断る為にエリンは護衛まで雇った。
護衛を後ろに控えさせ、平和的に、丁重にお話してお引き取りを願えば、それで問題は解決できた。
このまま静かに余生を過したい。
そう思っていた所に手紙がやってきた。
現タークス家当主からだ。
その手紙の内容にエリンは眉を顰めた。
”現王太子フェリクスの婚約者候補の教育係を依頼したい。”
言われてフェリクスの事を思い出す。
フェリクスの教育にはエリンも関わった。
王宮での最後の仕事だったから良く覚えている。
フェリクスが3歳から6歳になるまでの三年間に、新しい教師の補佐をしつつ、引き継ぎをした。
去り際に、小さな手で握手をしてくれたのを覚えている。
とても可愛らしい子供だった。
あれから10年ほど経っている。
思い返せば懐かしい気持ちがこみ上げてくる。
素直で、少し気が小さいと言うか優しい気性の持ち主だった。
そんな現王太子の婚約者”候補”教育。
少ない文面から不穏な空気が透けて見えてくる。
もう16になろう現王太子の婚約者が決まっていないはずが無い。
既にエリンが引退した10年前に、候補者がひしめいていた。
嫌な予感しかしないが、現当主の命令だ。
頭を悩ませながらエリンは
「既に老齢ですし、10年も現役から離れていますから。」
と、断った。
すると、現当主自らエリンの元に訪ねてきた。
「この仕事をどうしても受けてもらわねばならない。」
現当主ジョージ・タークスは顔を顰めながら頭を下げた。
自分より年下とは言え、当主に頭を下げられエリンは聞きたくも無い事情を聞かされた。
現王太子フェリクスは優しく生真面目な性質で、特に問題を起こすこともなく育った。
優しすぎて少し頼りない所がある為、婚約者には力ある公爵家の令嬢が選ばれた。
フェリクスに反して公爵令嬢マリアンヌは少し気の強い少女だった。
性格が違いすぎた為か、余り二人の仲は深まらなかった。
だが、政略であることを言い含めれば二人とも自分の立場を理解し当たり障り無く付き合っていた。
正確には、主に優しいフェリクスが引く形で二人の仲は成立していた。
それで善し、と、してしまった周囲がいけなかったのだろう。
思春期を迎え、王立学園に入学し、自立を促し始めてから綻びが生じ始めた。
フェリクスは平民上がりの男爵令嬢リーゼに夢中になってしまったのだ。
確かにリーゼは思った事を口にしてしまう素直な性格で、マリアンヌとは真逆の性質だった。
マリアンヌと付き合う事に疲れていたフェリクスには、堪らなく魅力的に見えたのだろう。
だが、リーゼではフェリクスの伴侶には向かない。
家柄も知識も、立ち居振る舞いも、何より素直すぎる性格では王妃は務まらない。
周りが諫めれば諫めるほどにフェリクスは頑なになってしまった。
あんなに穏やかな性格だったのに、険しい顔をしてピリピリと張り詰め、側近に声を荒げる程になった。
周囲もフェリクスとの距離感を掴みかね、手をこまねいている内に事態は動いてしまった。
学園卒業の日にフェリクスは全生徒の前でマリアンヌとの婚約破棄を宣言し、リーゼとの婚約を発表した。
そこまで聞いてエリンは口を挟んだ。
「その方の教育をと言うことでしたら、無理ですわ。お断りします。平民出身の方に王妃教育は過酷です。いえ、貴族令嬢であっても過酷です。どんなに資質があろうとも、本人が努力しようとも過酷な事には代わりはありません。それに、もう16歳でしょう。大人です。今からではどれだけかかるのか。私の命がつきてしまうでしょう。」
当主の話に口を挟むなど無作法だが言わずにいられなかった。
それに多忙なジョージに余計な時間を使わせたくなかった。
「そう言うと思っていたが、我がタークス家の名誉にも関わるのだ。」
ジョージは苦虫を噛みつぶした様な顔をして続けた。
「今更、私のような年寄りに声をかけると言うことは何故ですか?もしや最後の最後に私を担ぎ出し、私でダメなら誰が教育しても無理と言う話にするのでしょうか?」
ジョージの顔は更に歪んだ。
「6人だ。」
「6人ですか?」
エリンは問いと違う返答を鸚鵡返しした。
「クビになる、もしくは自ら退職を願い出て6人行儀作法の家庭教師が替わっている。語学等の他教科を合わせれば10人以上の教師が入れ替わっている。」
「なるほど。」
エリンは無表情で言葉の続きを待った。
何となく先が読めてしまったのだ。
ジョージは口ごもりながら続けた。
「フェリクス様も焦っている。公爵を怒らせてまで得た恋人が自分の思った成果を上げないことに。」
「それでタークス家へ八つ当たりでもなさっているのですか?もっと質の良い教師をつけろとでも?」
「その通りだ。エリン殿、あなたは陛下や王妃様の教育にも関わられている。当代一の教師と名高かったエリン殿の力を借りたい。」
「お話はわかりました。」
エリンは話を聞いて粗方納得した。
そして話を受け入れることにした。
本音を言えば、受けたくなかった仕事である。
現役を退いて10年。
身体の衰えもある。
それに何より、話を聞いただけで、もう先は見えていた。
上手くいかない未来が。
だが、引退したとは言え、タークス家の危機である。
年長者として、タークス家の為に身を差し出し、最後に自分のクビを差し出せば良いだろう。
老いた身だ。
今更何の未練も無い。
王宮勤めの時は幾度となく危機的状況に陥った。
うっかり、静かな最後を迎えられるかと思ってしまったが、これが自分の運命なのだろう。
そう自分に言い聞かせ、荷造りと10年住んだ家の片付けをした。
もう二度と戻ってくる事はないだろう。
穏やかな時間も。
エリンは未練を断ち切るように全てを処分して再び王都へと戻った。
到着して早々、エリンは王太子に目通りをした。
その傍らには生徒となるリーゼがへばりつくようにして同席していた。
10年ぶりに会った王太子フェリクスは成長していたが、顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。
恐らく自身の地位を保つために働いているのだろう。
「エリン・タークスか。タークス家がそなた以上の教育者はいないと言ってよこしてきた教師だな?成果を示さなければどうなるかわかっていような?」
長旅を労う言葉では無く、脅されてエリンは内心溜息をついた。
だが、全く態度表情に出る事はない。
現役を離れていたとはいえエリンはそんな事で感情を露わにすることはなかった。
「精一杯勤めさせて頂きます。」
言葉少なく返答し、完璧な作法で挨拶を終える。
だが、視線の端でエリンはしっかりと状況を把握していた。
末期的状況であることを。
王太子の側近は、メイドを始め皆冷たい視線を投げかけている。
それに気づいているのかいないのか、王太子は只管にリーゼを見つめている。
他に視線を移す余裕は無いのだろう。
追い詰められ正常な判断力が失われている事が察せられた。
その横でリーゼはヘラヘラ笑って王太子に
「何か怖そうな人。リーゼ頑張れるかなぁ?」
等と言っている。
「リーゼ。辛いかもしれないけど頑張ってくれないか?」
「うん。頑張るぅ。フェリ様の為にリーゼ頑張るね。」
何とも幼い口調で言われ、エリンの気持ちはこれ以上無く萎えたが、フェリクスはリーゼが甘えてくるのが嬉しいのだろう。
リーゼに向き合う時だけ表情が緩んだ。
周りは敵で、自分の理解者はリーゼだけ。
そう思っているのが嫌になるほど伝わってきた。
挨拶を終えただけでエリンは帰りたくなった。
だが、家を背負って、この仕事を受けたのである。
何もやらない訳にはいかない。
エリンは、今までのリーゼとフェリクスの教育課程、成績表などを取り寄せ目を通した。想像通りだった。
リーゼは、平民として育ち、貴族としての知識も最低限の物だった。
フェリクスは、王太子として詰め込み式の教育を受けていた。
合わせて前婚約者のマリアンヌの教育課程にも目に通してエリンは呻いた。
どうにも上手くいく道筋が見つからない。
三人が三人幸せになる先も。
リーゼは貴族の自覚は無く、血族のしきたりに雁字搦めのフェリクスはリーゼに憧れて、マリアンヌは公爵令嬢の矜持を至上としている。
三人が三人別の方向を見ている。
教育は難しい。
初動を間違えると大変な事になる。
間違えても修正すれば良いが、それが成されなければ悲劇が起きる。
今正に、悲劇の真っ最中だ。
その登場人物となったことをエリンは嘆きたくなった。
しかし嘆いてはいられない。
自分は自分のやれることをしなくてはならない。
気を取り直して翌日、リーゼに何処まで出来るのかを見せてもらった。
酷い結果だった。
出来ることがほぼ無い。
エリンは今度は失望しなかった。
結果は解っていたからだ。
初対面でのリーゼの身のこなし、話し方。
それら全てに品が無く、訓練の跡が見られなかった。
努力の欠片も感じられない。
リーゼ自身にやる気も無いことも。
ただ、リーゼはフェリクスに望まれたから、望まれたような返答をして、望まれたような行動をしているだけだ。
ただその場しのぎの上っ面の行動を。
好かれたい人に合わせて言動を変える才能は抜群だとエリンは感じた。
その他の人には全く発揮されていないが、好みの男性限定で、コロコロと対応を変えている。
フェリクスにはこう。
好みの護衛騎士にはこう。
その他の高位貴族、特に顔の整った将来有望な男性には発揮される能力。
やる気も能力もその一点集中だ。
当然、エリンの行う授業には興味は無い。
必要なことと説く所から始めなければならない。
やる気の無い人間、必要性が理解できない人間に教育を施しても無駄だ。
そう思いながらも、リーゼは改めて教本に目を通した。
その中には自身の著作も含まれている。
子供には無限の可能性がある。
個性もある。
教育者はその個性を見極め、可能性を引き出していかなければならない。
皆が同じような事をそれぞれの言葉で書いている。
しかし、ハッキリ言うと、エリンの専門、行儀作法は個性を必要としていない。
基本的な知識や所作は画一的な物、没個性を求めている。
煩雑で面倒ではあるが、それさえ守っていれば非難されることがない。
捉えようによっては皆に優しい仕組みでもある。
マナーなど面倒だ、自由に楽しみたいと言う意見もあるだろうが、完全に自由にしろと言われたら逆に困る人が増えるだろう。
それが許される社会ならばいざ知らず、身分制度のあるこの国では、無礼は命取りになるのだ。
完璧なマナーを土台として場の空気を読み、自分らしさを付け足す事は上級者のみに許される。
基本が出来ている人だけが、自分らしさ、個性を付け加えられるのだ。
リーゼのように自由奔放に育ち、世間知らずで、尚且つ、高位貴族の婚約者がいる王太子に平気ですり寄ることが出来るような厚顔な女性にそれが出来るとは思えなかった。
つまり性質が既に無理なのだ。
しかし、それを歪めればフェリクスの愛するリーゼでは無くなってしまうだろう。
まさしくジレンマ。
それをフェリクスが理解しているのか。
エリンは疑問に思う。
恐らくしていないだろう。
出来るだけの冷静さは無い。
恋は盲目を体現している。
見えなさすぎて自分から破滅に向かって駆け進んでいる。
脇目も振らずに真っ直ぐに。
真面目な性質が悪い方に作用している。
エリンは、それとなく進捗をフェリクスに伝えた。
中々厳しい状況であること。
本人の適性が無いこと。
しかし、フェリクスは聞く耳を持たなかった。
他の教師と同じような言葉は聞きたく無いと一刀両断してきた。
エリンは、無駄だと思いつつ、一応、授業を行った。
案の定、進まなかった。
基礎の基礎が出来ていないのだ。
エリンは周囲に話を聞いた。
二人の立ち位置を改めて確認したかったのだ。
かつての教え子である陛下、王妃、王弟、その他高位貴族。
全ての人が溜息をつき、頭を左右に振り、眉間を揉み込む。
色々なジェスチャーで悩みの種であると表現されてしまう。
無理でしょう。
無理。
このままでは、フェリクスの立場が無い。
フェリクスの処遇も考えなくてはならない。
何故このような事になったのか。
そう口を揃えた様に言う。
最後に元婚約者の公爵令嬢に会った。
もちろん極秘に。
断られるかと思ったがフェリクス殿下の為と言えばマリアンヌは快諾してくれた。
公爵夫妻は反対したが、国の為にと反対を押し切ってくれたそうだ。
会ってみると、マリアンヌ嬢は憔悴してはいたが冷静だった。
しっかりと現実を受け止めていた。
「殿下のお気持ちを留めることができなかったのは私の努力不足ですわ。問題の種を刈り取れなかったこと今も悔いております。殿下のお立場が揺らがなければ良いのですが。この先の事を憂慮しておりますわ。」
自分の感情を殺し、相手を気遣える。
国の未来に思いをはせることができる。
しっかりと王妃教育が行き届いていることが言葉の片鱗から感じ取れた。
経過報告とマリアンヌからの話から判断する限り、マリアンヌには非が無い。
リーゼを虐めたとフェリクスは断じたらしいが、マリアンヌのした事は高位貴族としては珍しくないのだ。
いや、高位貴族だからこそ、下位貴族に自分の立ち位置を理解させる事は大切な務めでもある。
マリアンヌ以外の令嬢が婚約者だったとしても同じ事をしただろう。
それでもマリアンヌは自分を恥じていた。
役割を果たせなかった事を。
フェリクスの手綱を握れなかった事を認め、悔い、今でも何か出来ないか胸を痛めている。短い時間、一緒に過ごすだけでエリンはマリアンヌの努力を感じ取った。
長年磨き続けた美しい光。
その光は国民を照らすことなく、王家は逃がしてしまったのだ。
エリンはただ不憫だと感じた。
確かに高慢。
人を圧倒する空気を纏っている。
だが、王妃にはその風格が必要なのだ。
小さくとも王太子妃となるべく周りからプレッシャーをかけられ、それに応えて身につけた風格だろう。
教育の成果が現れている。
マリアンヌは王妃教育を受け入れる器があったのだ。
人には適正がある。
きっとリーゼには無理だろう。
どれだけつぎ込んでも受け止められない。
正しくザル。
いや、砂糖菓子で出来たような脆い器だ。
入れ続ければ壊れてしまう。
と、なれば、そろそろ潮時だろう。
エリンは見切りをつけた。
年寄りとして、長年の教育者として幕引きをしよう。
これが最後の私の仕事。
本来の受け持った仕事だ。
エリンは当主に伝えた。
自分の命を賭して、この事態を終わらせようと思う。
ジョージは頷いた。
エリンは身を正して王太子に面会を望んだ。
正規の手続きを踏んだ公式な面会要請だ。
王太子の面会室には、様々な人が陳情にやってくる。
身分ある者も、無い者も。
それこそ貧民も。
正規の手続きを踏めば護衛付きながら王太子に直訴ができるのだ。
しかし、誰もが面会できるとなっているが実際は違う。
文字を書く能力。
書類作成の知識。
書けなければ専門家に依頼しなくてはならないので、相応の手数料をとられる。
上記以外にも、それなりの服装が求められたり、結局は、ふるいにかけられてしまっている。
更に、直訴の内容は最初に提出する為、側近が精査する。
余りにも失礼な内容は取り上げられない。
公式な質疑応答の場であるため、全てが記録に残る。
間違って理解された王族の振るまいを、公式に質問された事に対して、王太子がきちんと答えられれば良いが、後ろ暗さに激高したり、質問の鋭さに心に傷を受けると判断された場合は、その質問には返答不可能として排除されてしまうのだ。
何しろ、公式文書に載ってしまう。
茶番ではあるが、王太子の面談はこの国の伝統。
やめることはない。
予定調和的、質疑応答となったとしても、
”王は君臨するだけの存在では無い。
民草の声に触れ、民草と共に歩む。
この国を支える民に親愛の情を。”
それが、この国の王族の基本姿勢である限り、王太子は面談しなくてはならないのだ。
次代として、人々の声に触れ、人々の憂いを感じ取る修練の場である。
だが、今、王太子はリーゼの事について過敏になっており、本当に当たり障りの無い陳情しか受け付けていない。
それが人々の不満にも繋がっているのだが、フェリクスは自分とリーゼを守ることに躍起になっている。
自分たちの立場と、自分たちの心を第一に行動している。
本当に守るのは民草なのに。
王族の心得は建前としても、もう少し上手に陳情を捌く能力を身につけて欲しかった。
エリンは嘆き、面会担当事務官に働きかけた。
この事態に収拾をつけるべく今まで避けていた陳情を集めるように。
と。
案の定、待合室には、リーゼの不満を口々に言う人々が集められていた。
中々、過激な発言で盛り上がっている所を見ると事務官も鬱憤がたまっていたらしい。
今までにフェリクスが直接聞いて、受け答えて流せば、少しは収まったろうに、それを突っぱね、事務官に押しつけるから、こうなったのだ。
怒りは貯まれば貯まるほど、制御が効かなくなる。
それを押しのけていた事務官の労力をエリンは内心で労った。
エリンが面会室に呼ばれ、入室した時分には、フェリクスは大分草臥れているようだった。直にリーゼの事を訴えられて腹立たしかったのだろう。
エリンの顔を見て、ギロリとにらみ付けてきた。
「あなたも何か言いたいことがあるのか?」
まるでケンカの口調だ。
お労しい。
エリンは、小さな子供だった時のフェリクスを思い出す。
こんな事で感情を露わに出してしまう程、追い詰められてしまっている。
今まで身につけた物が、こんな風にはがれてしまうとは。
本当に脆い。
王太子教育というのは本当に過酷だ。
小さな時から人目に晒され、様々な事を、様々な人が論う。
教育も、真面目であれ、人に優しくあれ、為政者として時に冷酷に、冷静に判断を下せ。
固定観念にとらわれるな。伝統を重んじろ。
様々な相反する指導を受けていく。
ここまでフェリクスは良く頑張ったのだろう。
心が優しく、弱かった。
疲れていた所に、耳心地の良い言葉を囁かれて靡いてしまった。
そこは何としても踏みとどまらなければならなかったのに。
もしくは、仮初めの恋遊びと割り切れる程の冷静さを持ち合わせていれば良かった。
でなければ、それを上手に隠し、はたまた上手に排除する側近がいればよかった。
誘惑に負け、冷静さを持たず、側近にも恵まれない。
そういう意味ではフェリクスも王たる器ではなかったのかもしれない。
だから、引導を渡すのに何のためらいもない。
エリンは真っ直ぐにフェリクスを見据えた。
一部の隙もない最上礼をし、挨拶をする。
「堅苦しい挨拶は良い。本題に入れ。」
全くもってわかっていない。
これから話す内容には、これらの儀式めいたことが必要なのだ。
エリンは姿勢も口調も崩さなかった。
そして、貴族らしい遠回しな言い方で
「リーゼの教育係を辞したい。」
と、告げた。
「私の力不足でございます。」
其処までは定型文だ。
自分の非で仕事に支障が出たと主張する。
しかし、言葉の端にそうで無いと言うことは滲ませる。
さて、これでフェリクスが理解できるかどうか。
エリンはフェリクスの反応を待った。
「知の番人。タークス家一番の教師が聞いて呆れるな。」
吐き捨てるように言われる。
「返す言葉もありません。」
エリンは頭を下げたままだ。
それでも周囲の空気を感じる。
今まで以上に乾いた空気が。
フェリクスは気づいていないのだろうか。
側近達の不満がこれ以上なく溜まっていることを。
「では、その身をもって償え。タークス家の名誉もここまでだな。」
「お言葉を返すようですが・・・。」
エリンは其処でようやく顔を上げた。
そして、はっきりきっぱりと言った。
「私は、人で無い物の教育は承ったことはありません。ですので、この仕事自体受け入れられないと申し上げたのですが、ご理解頂けなかったようで残念です。」
「なんだとっ。」
激高するフェリクス。
側に仕えていた騎士達が堪えきれず失笑した。
それに、フェリクスは目を見開いた。
失礼な言葉を言う女を捕らえよとでも言うつもりだったのだろうか。
なのに、侍従達はエリンの発言に同意をするような態度なのだ。
「無礼な!不敬罪で。」
エリンはフェリクスの声を遮った。
「この老女一人の頸一つで、この騒動が収まるのならば喜んで差し出しましょう。」
きっぱりと言い切った。
「フェリクス殿下。既に言い尽くされた言葉でしょうが、私からも申し上げます。」
「どんな言葉を尽くされても聞く耳がなければ雑音と同じでしょう。ですが、それでも言わねばなりません。この後は、私は不敬罪で処分。殿下は、国一番の教師を不当に処分したとお立場が無くなるでしょう。もしくは処分されるかもしれません。」
「なんだと。」
「その方が良いかも知れませんわね。」
そうすれば、フェリクスはリーゼと共に暮らせるだろう。
「殿下、宜しいですか。苦言は耳に痛い物。それを聞き入れられる器の無い者は上に立つ資格はありません。上に立つ。人目を引く。当然良いこともないでしょう。悪いことばかりでもないですが。」
エリンはフェリクスに問いかける。
「僭越ながら申し上げます。フェリクス殿下におかれましては、今までの教育課程でそれなりの成績を修められたようですが、それは全く実践に生かせていないようですね?」
エリンはフェリクスの目をしっかりと見据えた。
フェリクスはエリンをにらみ返す。
完全にエリンを敵と見ているようだ。
全く嘆かわしい。
エリンは内心溜息をつきながら話し続ける。
「国にとって人は財産。人は礎。どのように人を育て、人を使うか、相手を見て見定める事が肝要ですのに、それが出来ないとは。嘆かわしいことでございます。また、私が最初に告げた言葉の真意も理解頂けない、それほどの理解力の無さも誠に残念に思います。
えぇ、もう難しい言葉を使わない方が宜しいですわね。」
エリンは一歩フェリクスに近づいた。
歩きながら喋り続ける。
「もう一度、はっきり申し上げます。リーゼ様を王妃にするのはお諦め下さいませ。」
「国一番の教師が聞いて呆れるな。耄碌したような者を寄越すなどタークス家の名
も大したことない。」
フェリクスは手をブルブルと震わせながら言った。
「確かに私は耄碌しているでしょう。ですが、誰でもリーゼ様の教育は不可能と存じます。素養もなく、気力も無い生徒に無理矢理、芸を仕込むように教育する事は不可能ですわ。私にはそんな無駄な体力も時間もございません。殿下の仰りたいことはわかりますわ。老害は早く去れと。そう仰りたいのでしょう?リーゼ様がそのように仰っていること。えぇ、私の耳にも入っておりますわ。何故驚いた顔をされてますの?生徒の動向くらい確認するのは当然でしょう?私はただの家庭教師ではありません。王族に関連する方の家庭教師です。全てを把握するのは当然でしょう。これでお目通りするのも最後と存じますので、申し上げます。今までのリーゼ様に行った教育課程について報告致しますわ。」
エリンは今までの教師がしていたこと。
自分が行った教育について話した。
一般的な、貴族子女が行う教育。
それすら出来ないこと。
基礎が出来て居ない人間に、王妃教育など、幼女に大学に行かせるようなもの。
それを理解出来ず命令を下すフェリクスが、無能だと影で笑われていることまで全て詳らかに話した。
「しかし!リーゼは頑張っていると、一生懸命やっていると言っていた。」
「口では言うでしょう。殿下が望むから。殿下に好かれたいから、殿下にとって都合の良いことしか言いません。やってもない課題をやったと言うこともあったでしょうね。リーゼ様には嘘をついていると言う認識はないようですから。殿下もわからなかったでしょう。」
「どういう・・・意味だ?」
「してもない事も話している内にしたように思い込んでしまわれる性質のようですわね。素直な殿下はそのままリーゼ様の言葉を信じてしまった。本人の言葉だけでなく、側近の言葉にも耳を傾ければ宜しかったのに。多角的に判断する大切さは常々説かれていたでしょうに。」
淡々と厳しい言葉にフェリクスは黙り込んだ。
「繰り返し申し上げます。リーゼ様には王妃は務まりません。無理に王妃に据える事は可能です。ですが、廷臣を始め、民の心は離れるでしょう。他国に侮られ、ひいてはこの国を揺るがす事態に繋がるでしょう。」
「そんな事どうしてわかる。」
「過去の歴史が示しています。いえ、既に廷臣の心は離れています。それにもお気づきではないですか?側仕えの者が私がこの宮に来てからの短期間でどれ程変わったのか、辞めた者がどのように外で吹聴しているのかご存じないのでしょう?知ろうともしない者には情報は集まりませんもの。」
「宮の中の事を話すような者がいるのか?」
「その点はご安心下さいませ。もちろん宮の中だけですわ。ですが、それもいずれ収まらなくなっていくでしょうね。それ程に不満は高まっております。」
フェリクスも視線を悟ったのか怒りの勢いがなくなる。
エリンは執務机の真ん前に立ち、子供に言い聞かせるように囁いた。
「もう一度申し上げます。どうしても側に置かれたいのであれば妾妃となさいませ。」
「しかし、私は、彼女を愛しているんだ。愛の証として彼女に揺らぎ無い地位を与えてやらねば。」
「左様でございますか。」
エリンは淡々と相槌を打つ。
「私はただ、彼女が皆に認められるようにして欲しいんだけなんだ。彼女は嘆いていた。皆が自分を認めてくれない。自分を嘲ると。」
苦しい声でフェリクスは言う。
「リーゼが私の側にいて欲しい。それだけの願いが何故通らない?何故、リーゼが責められるのだ?リーゼは何もしていない。」
「何もしていないからこそ責められるのですわ。」
エリンはきっぱりと言った。
「何故?」
「殿下、宜しいですか?物事の本質。そして相手の本当の望みを良く見極めなくてはなりません。今の殿下は、リーゼ様に無理を強いておられます。リーゼ様自身もその無理に気づいていません。だからこそ。簡単に「頑張る。」など言えるのです。」
フェリクスはエリンをじっと見た。
「リーゼ様が責められる理由は簡単な事です。分を弁えない行動をする。」
「だが、それは。」
「えぇ、殿下が望んだ事でしょう。でも望みに応えようと能力も無いのに安請け合いされ、努力もなされない。だから責められる。簡単なことですよ。」
エリンは淡々とした姿勢を崩さない。
フェリクスは言われる度に表情を曇らせていく。
「誹られて当然でしょう。一般の方ならいざ知らず、王族に関係しようとすれば痛くもない腹を探られます。私は王宮に勤めていた際、常に何かの非難は浴びてきました。他の者も同様です。ですが、誰も表に出しません。皆が隠していますが、殿下を非難する勢力もおりますよ。それを鷹揚に流してこそ王宮で生きていけるのです。」
エリンは一区切りつける度にフェリクスを見る。
自分の言葉がどんな風に彼に作用しているのか見定めようとする。
「リーゼ様は非難されたと殿下に嘆く事はされても、見返そうと努力されるとか、自らを省みて次に生かすとかそんな考えはありません。そのような性質の方ではないのです。楽しく、楽なことに身を任せ、人の目を集め、甘い言葉を囁かれる事だけを望むそんなお人柄ですよ。もっと言わせて頂きますと、別にあなた様でなくても良いのですよ。人が羨むほどの贅沢が出来て、毎日面白おかしく過ごせること。それだけを求めています。」
余りの言われようにフェリクスは手だけで無く唇も震わせた。
「あの方は自由な方。殿下が愛された気質は自由のみとお察しします。
自由を仄めかしてくれるのであれば殿下もリーゼ様で無くても宜しかったのでは?」
「そんな訳ない!私は、彼女を愛しているんだ。他ならない彼女だから。」
「左様でございますか、では不敬は承知で再度申し上げます。リーゼ様をお側に置かれたいのであれば妾妃とされ、他人との接触を一切断つ事をお勧めしますわ。」
「軟禁ではないか!」
「えぇ、そうしなければ、親族が権力を握りかねません。既に殿下はリーゼ様の父君に勲章を一つ差し上げたようですわね。何をされたのか実績は不明ですが。」
「正当な褒賞だ。困っていると言うから、ほんの少し融通しただけだ。」
「左様でございますか。王族が正当と口で言えば皆は頷くしかありません。しかし今後の成されることにも説得力がなくなるでしょう。」
「この件は今は追求はされませんが、人々の心に禍根を残すでしょうね。恐ろしいことです。リーゼ様は無邪気さを武器にこの王国を食い物にしつつあります。」
「何を根拠に。」
「色々ありますが、私の専門分野から申し上げますと、教育でしょう。
教育はとても大事です。国を支える民を育てる事業です。殿下は権力でもってリーゼ様に何人もの教師を宛がわれ、その未来を奪いました。王族にクビにされた教育者に行く先はあるでしょうか?皆一流の教育者でした。沢山の門下生が育ち、この国を支えたでしょう。」
「彼らに力が無かっただけだ。」
フェリクスは呻くように言った。
「えぇ、やる気がない者に教育を施しても全く無駄ですからね。問題はそれ以上に深刻です。殿下は、王族として、民が学ぶ機会を奪ってしまわれたのですよ。一人の教育者が育てる生徒は何人居るでしょう?教師数十人が育てられたかもしれない、優秀な国を支える民を、この国は失ってしまいました。」
「そんなのは想像だろう。」
「えぇ、人数については予想です。ですが、これは確かです。殿下は自分の思い人に箔をつける為に国民の教育の機会を奪ってしまわれたのですよ?優秀な教師につきたいと努力した生徒が、学びの機会を失われました。また、リーゼ様につぎ込まれた教育費。人を雇い、クビにし、それも多大な金額がかかりました。」
「私の私費から出ている。些細な金額だ。」
「えぇ、そうでしょうとも、王太子殿下フェリクス様からしたら些細な金額でしょう。ですが、一般の人からすれば年収に匹敵し、明日食べる物も無いような人からすれば、途方も無く高額に感じるでしょう。彼らは、自らの生活をつましくし、国の為に税を納めております。私費ではありますが、完全に私費ではないのです。」
「そんな、私には自由は無いとでも言うのか。」
「そのような議論を今更しとうございません。殿下の前任者についても疑問を感じてしまいかねません。」
エリンは冷たく言い放った。
任命されたのはリーゼの教育。
フェリクスについては、また別の者の担当だ。
「それでは、殿下、お時間を割いて頂きありがとう存じます。これを持って、私、エリン・タークスは婚約者候補リーゼ様の教育係を辞したいと存じます。処分はいかようにも。」
エリンは、また教本から出てきたかのような完璧な礼を披露した。
「また、私の後に礼儀作法の教師は見つからない物と思われます。
この国、もしくは近隣の教師は、ほぼ私の教え子。誰も受け入れないでしょう。私の手に余ったリーゼ様の評判も知れ渡り、リーゼ様は表舞台に出ることも適わないかと存じます。」
最後の一言に、フェリクスはタークス家に嵌められたのだと悟った。
「お前、最初っからそのつもりで。」
「そのおつもりで私を雇われたのだと思っておりました。国一番の教師。ただの教師ですが、それなりの影響力が残っております。教え子が沢山居ります故。殿下の父君、母君も曾ての私の教え子でした。さて、殿下がどのような処分を下されるか、楽しみに待っていますわ。」
エリンは颯爽と部屋から出て行った。
この処分でフェリクスの進退も決まってしまうだろう。
それが分かるだろうか。
願わくば目が覚めてくれると良いが。
何と言っても王太子殿下なのだ。
国を担う者なのだ。
例え、廃嫡される選択肢をとったとしても、
一般人になった、その後にでも目覚めてくれたら良い。
人生は幾らでもやり直しが出来るはずなのだから。
この国の未来、
若い、フェリクスの未来を願って、エリンは足を進めた。
老いた自分の、残された時間で出来ることを、模索しながら。
+++++
また、ここで終わります。
ただの呟きです。
話関係無いです。
一昨日
ポル
って話を更新して
コレやばいかなって思っていたら、
ランキングに載らない怪奇現象が
TOP下のその他カテゴリから入って日間ポイント順見ると、4番目とか7番目にあった時もあるんだけど。
何がいけなかったのだろう
全く不明
この話もそんな事あるのかな
ジョジ※ネタがいけなかったのか
何だろ。
を この話で見てみたいです。