魔王2
魔王城の中は、至って簡素なものでした。
金や宝石を惜しげもなく使っていた華々しい王宮とは違い、装飾品は少なく必要最低限のものしか置かれていないという、戦時を想定した内装となっていました。
そこにわたしは、権力を誇示するよりも戦いに勝つという意思を感じました。
ですが、それは悪手です。
魔人は一般人でも人間の大人一人軽く殺せるほどの身体能力と高い魔力量を誇ります。
ですがその反面数は少なく、人間の圧倒的な数の暴力には敵わないでしょう。
それを分かっているのか分かっていないかはさて置き、種の存続を考えるのであれば戦などしている暇ではないでしょうに。
そんなことを思われているとはいざ知らず、少し前を歩く魔王が後ろ歩きで振り返る。
「我はな、貴様に軍に入れとは言わん。じゃが、手出しはするな。素性をバラされたくなかったらのぅ」
その要求とも脅迫とも取れる言葉に、わたしは敢えて考える素振りを見せます。
正直な話、黙ってくれるのであればどうでもいいのです。
ですが、どうやら魔王は魔王であるところを見せたいようです。
それは威厳を保つ為でしょうね。
それにさっきまでは扱いが雑でしたので、ちょっとした仕返しでもあるのでしょう。
弱みを握っている今だからこそ出来ることですしね。
まあ、そんなことは更にどうでもいいのです。
ただ、すぐに言わないことでこのどうでもいいが効くのです。
最初から何も考えていなかったと、そう伝えられればそのにやけ面を面白い顔に変えられると思ったのです。
しかし、それは未遂に終わってしまいます。
何故なら、不意に魔力の波動を感じ取ったからです。
それは魔王も例外ではなく、ある一点を見つめ始めます。
すると、そこに空間の亀裂が入り、中から人が飛び出してきたのです。
身なりはかなりボロボロで、森の悪路を進んできたのか葉や泥が至る所に見受けられます。
ですが、突然の来訪者は一人だけではありませんでした。
「ほら、着いたわよ!あれ?でもここってどこなの?」
そう言ってバサバサと翼を羽ばたかせるのは、虹色の美しい翼を持つ鳥型の精霊でした。
どんな声帯を持っているのか定かではありませんが、嘴を細かく動かすことで発声しているようです。
「そうだね。見るからに大きい建物だけど……あれ、ちょっと待って」
「どうしたのよ?」
「ねえ、魔王の魔力を追ってきた結果がここって話だよね?」
「何言っているのよ。最初に説明したじゃない。もう忘れたの?」
「いや、ただの確認なんだけさ。でも、そうなるとここは魔王城になっちゃうんだよね……」
「まあ、そうなるんじゃない?」
「いやまずいよ、これは非常にまずいっ。だって、こんなところ万が一誰かに見つかったら……」
そう言いながら忙しなく辺りを見渡した時でした。
そこに佇む魔王と目が合ってしまったのは。
「えっと、見つかったらどうなるのかしら?」
そう言って、精霊は契約主を不安げな目で見つめます。
しかし見つめられた本人は言葉にする余裕など持ち合わせていません。
ただただ、恐怖故にガクガクと足を震わせるのみでした。
そして、それを見て魔王はというと、
「貴様ら、死にたいようだな?」
満面の笑顔で、殺気を放っていました。
主に、魔王城を汚したからという意味で。
ですが、このままネラさんを見捨てるという選択肢はありません。
ですので、軽くおしおきをしておきました。
「あばばばばばっ……!ふぃ……」
稲妻の魔術を使ってみたところ、思いのほか効き目が強く全身を硬直させる魔王。
最終的には煙を上げながら沈黙しましたが、ちょっと心配です。
魔王ではなく、ネラさんが。
「ネラさん?」
「は、はははいっ!?」
「落ち着いて下さい。何も敵対しているわけではないのですから」
とは言ってみますが、その怯え様は魔王を前にした時とは比較にならない程です。
汗という汗が吹き出し、恐怖故に瞳孔が限界まで開いています。
挙動不審な動きもなく、蛇に睨まれた蛙状態です。
とてもではありませんが、会話どころではありません。
床に転がっている魔王同様。
「仕方ありませんね。ほら、立って下さい。まだ案内の途中ですよ」
「ぐぅ、誰が案内など。はあ、勘違いするで、ないぞ。貴様の弱みは我が、握っておるのだ。うっ、下手な真似をすれば」
「下手な真似をすれば?」
「…………なんでもない、です」
稲妻の魔術を手の中で待機させながらにこりと微笑むと、魔王は顔を青くさせて立ち上がりました。
うん、偉いですね。
「この先に、客間がある。我についてこい」
全身ボロボロですが、この城の主として情けない姿は見せられないようです。
もうすでに遅い気がしますが。
何が何やらという様子で呆然と立ち尽くすネラさんに、行きましょうと軽く声をかけます。
わたしとしては結構優しい声色だったと思うのですが、ネラさんからすると悍ましい声に聞こえたのでしょうね。
ネラさんは死に物狂いで後退りすると、はっとした表情でわたしを見て、壁に寄りかかりながらも愛想笑いを浮かべていました。
正直、かなり傷つきました。
ですがネラさんは、博士との交友関係にヒビが入ってはいけないと思ったのでしょう。
無理をしているのは誰の目からも明らかですが、友好的な雰囲気を作ろうと頑張っていました。
隣を歩いている間も、一生懸命に博士のことを聞かれていました。
わたしがいつも通りの報告をすると、それだけでほっとした表情を浮かべます。
しかし、わたしが博士以外の話を始めると急に怯え始めます。
前々から思っていましたが、ネラさんはわたしを何だと思っているのでしょうね。
さて、そんなこんなで魔王の後に続いてやってきたのはとある一室でした。
「入るがよい」
魔王の声に促されて入ると、その部屋には防音の魔術と結界が張られていました。
余程、聞かれたくない話でもするのでしょうか。
「掛けるがよい。じゃが、そこの男は立っておれ。貴様が座ると汚れるからのぅ」
陰鬱とした表情で刺々しくネラさんを突き放します。
かなりの綺麗好きなようで、簡単には許して貰えないでしょう。
「ふぅ、それじゃあ話をしようかの。まあ、手始めにそこの泥男について聞かせて貰っても構わんかの?」
「ど、泥男って……」
結構ショックだったのか、思わずそう呟いてしまいますが魔王の一睨みで沈黙を守ることにしたようです。
懸命な判断だと思います。
「この方はわたしの師匠にあたる博士のご友人で、ネラさんです」
「ふむ、なるほどのぅ。それで、其奴の肩に控えておるのは?」
「ああ、ネラさんは精霊憑きなのですよ。魔王さんも精霊ぐらいは知っていると思われますが」
「そうか、精霊か。人間嫌いの精霊が人間の味方をするとはの。変な気まぐれもあったものじゃ」
奇異なものでも見ているかのような目をネラさんに向けますが、同時にどういった経緯で知り合ったのかという疑問の目でもありました。
「……まあ、よい。結局、一人が二人になるだけの話じゃからのぅ」
「では、お断りします」
「待て待て待て!何故そうなるのじゃ!?会話の流れ的に変じゃろうがっ!!」
「そうですか?」
どうせ碌でもないことなので、早い内に断っておこうと思っただけなのですが。
話をする手間も省けるでしょうし、良いこと尽くしではありませんか?
「貴様の秘密を握っているのじゃぞ?開示されるのは貴様にとっても都合が悪いはずじゃなかったか?」
「ええ、都合は悪いですよ。でも、最初から間違っているんですよ」
そう言ってわたしは、持てる魔力の全てを放出します。
何の命令式も持っていない魔力の波動ですが、威圧するためには十分でしょう。
その証拠に、激しい動揺が魔王に見られます。
「なんじゃ、貴様は……。この魔力量、我の何倍じゃ?はははっ、馬鹿げておる……」
動揺が一周して意気消沈する魔王さん。
一年前のわたしなら互角だったでしょうが、今のわたしと魔王さんでは差があり過ぎます。
正面から戦っても、魔王さんの攻撃は児戯でしかないでしょう。
つまるところ、交渉するしないの話ではないのです。
こちらが嫌だと言えばそれだけで終わる話。
もっとも、最初は話に応じるしかありませんでした。
なんせ、魔王さんの実力がどの程度のものなのか、また魔力量はどれくらいなのか。
それを見定める上での話し合いです。
まあ、ネラさんが乱入したきた時点で測定の程は完了していましたが。
「死にたくなければ、なんて言葉は好きじゃありません。わたしはどちらかと言えば救う側ですからね。ですが万が一、わたしの秘密を漏らした場合は……わかりますね?」
少し脅しの意味を込めて殺意を忍ばせてみますが、これが思いのほか効果的で。
魔王さんは首が取れるのではないかというぐらい激しく頷いてくれます。
「では、わたしはそろそろ帰らせていただきます。ああ、それと一つ」
「な、なんじゃ?」
「いつでも家に来て下さいね。わたしはあなたを歓迎します。恐らく博士も。それでは」
そう言ってわたしは転移魔法を行使します。
一度瞬きをすると、そこは見慣れた我が家でした。
「おかえり。どうだった?」
「無事、家に送り届けましたよ」
「ちぇっ、折角助手が増えると思ったのに」
「まあ、そう言わないで下さいよ。近いうちに、また遊びに来るそうですから」
「本当か?なら魔物料理の醍醐味とやらを教えてやらんとな。あの子はきっと成長するぞ。ただの勘だけどな」
勘、と言いながらも芽吹くと確信しているのか何やら計画を練り始める博士。
短時間でも魔物料理の真髄を叩き込めるように、これからの予定を決めているのでしょう。
わたしも、次に来る日が楽しみです。
決して、からかうのが楽しいというわけではなく、成長が楽しみというだけの話です。
それに何より、あの背伸びしている感じとかが可愛いんですよね。
あ、そう言えばネラさん置いてきてしまいました。
まあ、でも大丈夫ですよね。
そんな楽観的な思考を他所に、博士のサポートをするために今後の予定を聞くのでした。