爆弾虫
「博士、それは何ですか?」
早朝、開口一番に疑問の声。
テーブルの上に置かれているのは球状の黒い物体。
これを何と言わずどうするのでしょうか。
「これか?爆弾虫」
博士がそう言った瞬間、体は反射的に最大出力の結界を作り出す。
「博士、毎回毎回馬鹿なことされてますが、今回は特に酷いです」
「なんだよ、そんなに嫌だったか?う〜ん、丸くなるところなんて可愛くないか?」
「全く、微塵も思いません」
博士は何故わからないのかと首を傾げていますが、わかる人なんてこの世界のどこにもいないでしょう。
誰が好き好んで、いつ爆発するかわからない危険生物を愛でるというのでしょうか。
「とりあえず、外に持っていってください。家がなくなると困ります」
「ええ〜、まあ確かにそれは困るな。よっしゃ、じゃあ外で花火大会だ!」
「お願いですから、遠くでやってください」
「わかってるわかってる」
軽い調子でそう言い残し早足に出ていく博士。
本当に大丈夫でしょうか。
あの爆弾虫、爆発する時が全く予測できないので、安心なんて出来たものじゃないですが……。
「うわあ〜」
ドカーンという耳をつんざくような爆発音と一緒に、なんとも気の抜けるような声を上げながら玄関の扉を破ってくる博士。
悪い予感が的中した瞬間でした。
「何がしたいのですか?」
そう問いかけると、博士は服についた焦げをはたき落としながら立ち上がり、真剣な表情でこう言いました。
「俺、あいつと友達になろうと思うんだっ」
それを聞いてわたしは、一生この人のことを理解できないと思いました。
しかし、そういうものだと割り切るにしても動機がまるでわかりません。
今までは罠として活用していた爆弾虫を、どうして今になってここまで構うのでしょうか。
「一つ聞きますが、友達になりたいと思ったのは何でですか?」
「ん?ああ、これがあると飛べるんだよ。ポーンって感じで」
ええ、博士が言っていることはつまり、爆発を利用して高く跳ぶということでしょうか。
…………なるほど?
「怪我とかは、しないのですか?」
「問題なし!いやあ〜、むしろ気持ちいいくらいだわ」
やっぱりわたし、この人のこと理解できないかもしれません。
なんせ、爆弾虫の爆発は鋼鉄を超えるわたしの結界を破壊する威力です。
そんなの人が生身で受けようものなら爆散します。
血の一滴たりとも残すことなく。
それを受けて尚気持ちいい?
これはわたしがおかしいのでしょうか。
「俺、昔から空に憧れてたから、凄く嬉しいんだよなあ。ジャンプしても精々森から顔を出すくらいだし」
やっぱり間違いありません。
わたしではなく、この人がおかしいです。
「博士は本当に、人間離れしていますね」
「いやいやいや、前世の俺よりかはそりゃあ強いさ。でもな?この森の連中はどいつもこいつも揃って俺の遥か想像を超えている。今は強くなってやり合えるけど。でも一歩でもこの森から出れば俺よりも遥かに強い魔物もいるだろうし、そいつらを狩る強い人間なんてのもゴロゴロいるだろうな。まあ、この森から出たことないから知らんけど」
断言します。
博士より強い人間なんていません。
もちろん魔人にも。
なぜ博士が森から出たがらないのかは知りませんが。
もしかして怖がって……いやないですね。
「まあそんな話はいいんだよ。っと、それよりもどこ行ったかまた探しにいかないと」
「博士、ちょっと待ってください。それ、大丈夫ですか?」
「え?」
わたしが指さした先、そこには煙を上げながら燃焼する資料の山がありました。
「ああああああっ!!」
博士が慌てて火を消すべく駆け寄ります。
しかし、その際につい力んでか足元の床が砕けます。
木片が弾丸のように飛んできますが、結界がそれを阻みます。
身体能力が高すぎるというのも考えようですね。
そんな非常時にも関わらずのんびりした思考をしている間にも、博士は右に左にと意味不明な動きをしながら消化活動を行っていました。
側から見ると怪しい儀式にしか見えませんが。
仕方がないので、水の魔術で逸早く鎮火させました。
資料は濡れてしまいましたが、すぐに乾燥の魔術で乾かしたので無事でした。
「良かった。ああ、本当に、良かった……」
長年……という程の年月は経っていませんが、それでも書き留めた紙は山のように積もり、それら全ては貴重な資源と時間を費やした成果です。
それが一瞬の内に灰になる、そんな最悪を回避出来たのです。
それはそれは心底ほっとするでしょう。
え、何故私は慌てないのかって?
この程度で動揺していては博士の助手など務まらないからですよ。
時々、博士と私とで程度の差が激しい時がありますが、いつも驚かされるのは私の方なので珍しい気もしますね。
しかしそんな私の起伏ない思考とは反対に、何やら博士の周囲には不穏な気配が漂い始めます。
「決めた。俺は決めたぞ」
何か、厄介な展開になりそうな予感がします。
「あいつを、あいつを食ってやる!」
「嘘ですよね?」
しかしわたしの戸惑いなど知らず、博士はすぐ様家を出ると爆弾虫を探しに。
もうこうなると手に負えません。
わたしはいずれ来る毒物への為に、大量の薬を用意するのでした。
そして小一時間程で博士が帰ってきました。
全身真っ黒にさせて。
「こいつら、敵意を少しでも見せようものならすぐに爆発しやがる。おかげで捕まえるのに苦労したぜ全く」
そう言いながらも爆発する爆弾虫。
しかしそれをあろうことか握力で握り潰します。
流石にこれには言葉も出ません。
やはりいつも通り私が驚かされるのですね。
しかし驚いてばかりもいられません。
その出鱈目具合を見て、私は自分の結界の強度をもっと高めるべきだと危機感を覚えました。
爆弾虫程度、そう思うぐらいの強度を目標に頑張らないといけないと思いました。
しかしそれはあくまでも私の魔術の話であり、本題は爆弾虫の爆発ではありません。
後の事を考えるだけで身震いがしますが、博士は本気のようですし。
「博士、それじゃあ?」
「ああ、食う」
やっぱり博士の決意は固いようです。
もしかしたら今日がわたしの命日かもしれません。
「とりあえず揚げるか」
「それがいいでしょうね」
果たしてそれだけで食べられるようになるのか、と言われれば恐らく違うのでしょうが、熱を通す通さないでは雲泥の差があるでしょう。
気持ち的にも。
「鍋よし、油よし、火よし、じゃあ逝って来いクソ野郎!」
苛立ちを抑えきれなかったのか乱暴に投下する博士。
わたしは離れており、博士は人外なので大丈夫でしたが、油が跳ねて火傷する恐れがあるので慎重に入れましょう。
「……スンスン、何か臭くないか?」
「これは、火薬の匂いでしょうか?」
しばらくすると、生物から発せられるような臭いではなく、科学的な臭いが漂い始めます。
そのことに思わず首を傾げますが、一応念のため換気をしておきます。
有毒だった場合後が大変ですから。
「お、いい感じだな」
そう言って博士が油から上げると、その瞬間強烈な臭いが鼻を突きます。
「博士、それ食べられるのですか?」
「言うな。俺もそう思ってたところだ」
ですがここまで来た以上、後にも引けないと思ったのでしょうか。
捨てるのは勿体ないと皿に盛り付け始める博士。
そして改めて皿に乗った物体を見て思いました。
これは食べられないものだと。
「今からでも間に合います。辞めておきましょう」
「いや、ここまで来たんだ。それにこれも研究の一環と思えば、多分……恐らく、いや、うん……いけるはずだ」
動揺しているのを無理に誤魔化そうとしている博士。
そこまで無理しなければ食べられないとなれば、それは最早食べ物でも何でもありません。
少なくとも、美味しく食べられる部類ではなかったということ。
拒絶反応故か、博士の手が震えているところからもそれは明らかです。
ですが博士は、それを無理矢理押さえてつけては手を伸ばします。
「博士、やっぱり辞めましょう。これは、無理なものです」
そう言って引き止めますが、博士は諦めませんでした。
「いや、無理かどうかは、お、俺が決める!」
そう言って、博士は半ば強引に口にそれを押し込みます。
そして、一噛みしたところで吐き出しました。
「うえっ、うえぇぇぇぇっ。不味っ!何これ食い物じゃないだろ!ていうかこれ駄目だわ。臭いがずっと残る。食感も味もゴムそのもの。うえっ、駄目だこれ。本格的に食い物じゃないわ」
ゴム、というものはわかりませんが、その反応を見てやっぱりかと思いました。
臭いからすでに駄目だと思っていましたから。
ですがこれで、本格的に食べられないものとなりました。
「畜生、復讐してやるはずが逆に返り討ちに遭うとは。んじゃあ、これは食用には向かないな。これまで通り、罠として使うか武器として使う他ないな」
「そうですね」
「……ルールーも食べないか?」
「は?」
え、なんで突然そんな話に?
「ほら、俺だけってのもわからないだろ?俺の味覚がおかしいかもしれないし。さあっ!俺と一緒にこの苦痛を味わおうじゃないか!」
「絶対最後の方が目的じゃないですか!」
冗談じゃありません。
なんでも美味しく食べられる博士が不味いと言うのです。
そして大体不味いと言ったものには毒が入っている傾向にあります。
それに今回は飲み込むことすら出来なかったのです。
博士にとっては過去最高に不味い食べ物、でしょうが人体にとっては猛毒である可能性があります。
仮に毒だとして口に入れれば、恐らく即死でしょう。
「嫌です!絶対に食べませんからね!」
そう言いながら転移の魔術を起動しようとして、腕を掴まれました。
「逃がすと思うか?」
「わたし、その、死んじゃいますよ?」
「大丈夫。ほら、口開けて」
「嫌です。それだけは本当に」
「大丈夫大丈夫」
「いや、いやあぁぁぁぁあっ!!」
気づいたらベッドの上でした。
見慣れた天井に嗅ぎ慣れた匂い。
間違いなく、わたしの部屋です。
その事実に、死んでいないという確証を得ます。
ですが、やはり思い出せません。
わたしが、あの食べ物ではない何かを食べたという記憶が。
食べた、食べてないと口で言いながら記憶を掘り起こそうとしますが一向に出てきません。
そうして一人発掘作業をしていると、ギィッという扉が開く音が聞こえたのでそちらに顔を向けると、そこには顔面蒼白になっている博士の姿がありました。
「ああ、やっぱりルールーがおかしく、おかしく……」
何やら盛大な勘違いを起こしているようですが、わたしは至って正常です。
「博士」
そう呼ぶと、博士は大袈裟なぐらい肩を跳ね上がらせます。
余程、わたしのことを心配していたようです。
それだけわかれば、怒りなんて湧いてきません。
「大丈夫ですよ、博士」
「本当か?本当に、大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。えっと、本当にどうしたのですか?」
「だって、その」
「?」
「あれを食べてから、いつもの清楚な感じから粗野な感じになってな」
「??」
「その、愚痴とかはいろいろ迷惑かけてるからいいんだけど、さ」
「???」
「その、俺がす、好きだとか。そういうことしたいとか、言ってたんだけど……冗談だよな?」
「…………」
もう一生、あの黒いものを見たくないですね。
爆弾虫:体内より生成される分泌液を用いて爆発を起こす危険生物。
基本的に温和な性格で草食。
敵意に敏感で、危険を察知すると爆発を起こし逃走する。
鉱石を摂取することにより高い硬度を会得した甲殻は、外敵から身を守るだけでなく自身の爆発からも守る役割を持つ。
爆発する際には身を丸め、甲殻の僅かな隙間から特殊な分泌液を放出し、それが空気に触れることで急激に気化、爆発する。