ラピス2
博士との顔合わせを終え、早速対人訓練を始めます。
場所は山鯰を捌いたあの広場です。
ラピスさん曰く、暴れられては堪ったものじゃないとのこと。
当然ですが、屋内で訓練をしようものなら腕の一振りで半壊、逃げようと全力疾走するものなら半壊。
抵抗しようにも逃げようにもその被害は馬鹿になりません。
ですので、この見渡す限りの更地を訓練の場所として選んだのです。
とは言え。
「待て逃げるな!!」
「死ぬ!死んじゃう!!怖い怖い怖い!家っ!俺の家はどこだあぁぁぁあっ!!」
「だから逃げるなと言っているだろうっ!!」
無駄に広い分、一度逃げ出した博士を捕まえるのは至難の業となっています。
ですが、未開拓領域に入ったり、街の中に逃げ込まない辺り、見えてない部分の方が怖いのが伺えます。
純粋な追いかけっこでは博士を捕まえるのに膨大な時間と労力を必要としますが、用は見えている部分を少なくすればいいだけの話。
「これくらいで、どうですかね?」
範囲を定め、魔力を練り上げるとそれを一気に解き放ちます。
魔力が足裏から地面を伝い、砂の粒子に命令式が浸透していきます。
すると、特定のある場所に向かって周囲の砂が収束していき、やがてそれは勢いよく地面を突き破り、高々とした壁を築きあげます。
「なんだこれは!いや、こんなことが出来るのは……だが助かる!」
博士とラピスさんの二人を囲むようにして出来た壁は、上からでないと出入り出来ないようになっています。
上と言っても、翼でも生えていない限り飛び越えることは出来ない高さです。
まあ、博士ならば容易く飛び越えてきそうなものですが、今の博士は外界を特に怖がっているので、態々そんな危険は犯さないでしょう。
透視の魔術で壁の向こうを覗いて見ると、ラピスさんがかなり善戦しています。
逃げ場を限定出来たことも大きいですが、何より威圧感のあるラピスさんが迫ってくるのです。
肉体的には兎も角、精神的にはかなりの負担になっていることでしょう。
圧倒的強者であるはずの博士が悲鳴を上げているのが何よりの証拠です。
後は博士が捕まるのを待つだけなのですが、見ている側としては焦ったく、そして可愛そうでもあります。
いくら必要なこととは言え、荒療治にも程があると。
ですがわかっているのです。
こうでもしない限り博士に慣れが訪れないことを。
それは、未知に対する恐怖に他なりません。
博士は滅びの森で、常に適応し続ける過酷な生活を余儀なくされました。
でなければすぐにその命を落としてしまうからです。
その結果、不必要な無駄を極限まで削ぎ落とし、常に倒す術を模索し会得しては襲い来る魔物からその身を守っていました。
だからこそでしょうか。
次々と際限なく現れる未知の魔物に対し、博士は深い恐怖を抱きました。
知らない所には知らないものがあるのはごく当然な話ですが、それが博士にとっては生死に直結していたのです。
だからこそ博士は未知を恐れ、未知に対し強くあろうとし、そして距離を置いていました。
そんな博士を無理矢理外に引き摺り出し、こうして過去のトラウマと向き合わせているのです。
とてもではありませんが、わたしには耐えられません。
博士の過去とわたしの過去では、比べるまでもなく博士の方が壮絶で過酷なものでしょう。
今博士が体験しているのは、ラピスさんを通じて恐れが押し寄せている状態にあります。
それに適応出来るかどうかは、わたしにはわかりません。
わたし自身、克服出来た試しがないのですから。
「はあ、何か手助け出来ることがあればいいのですが、わたしでは克服の邪魔にしかなりませんからね……」
もうすでに慣れた人間が側にいては寄りかかってしまいます。
それでは今回の試みも無駄に終わってしまいます。
かと言って何もしないというのも良心が痛みます。
あ、もしも克服出来たとして、ご褒美を設けるというのはどうでしょうか。
いや、でも博士が喜ぶものって……。
「はあ、溜め息ばかり出てしまいますね。もう素直に博士に聞いた方がいいのでは?うん、そうしましょう」
そうと決まれば、博士を労いに行きましょう。
わたしは転移の魔術を行使し、その体を壁の中へと移動させます。
空間を跳び終えると、そこには足を投げ出し寝転がっている博士の姿と、今にも倒れそうなラピスさんの姿がありました。
一目見ただけでは、それが接戦だったのではないかと思ってしまいます。
ですが、博士のあの心底安心していると分かるいつもの表情を見るに、ラピスさんの実力では体力を削ることも出来なかったようです。
改めて、規格外ですね。
ですが、目的は無事達成しました。
少なくとも、博士はラピスさんを受け入れました。
根本的な外界恐怖症の完治に至ったかは定かではありませんが。
「お疲れ様です。はい、これお水です」
「あ、ああ。それは、助かる。ごくっ、ごぐっ、ごくっ……ぷはぁっ!美味い!それに力が湧いてくる。なんだこれは!」
「我が家の近くで汲んできたお水です。魔力の回復効果がありますので、疲労回復にも繋がるかと」
「それでは最早薬ではないか。まさかこんなものがあるとは……。ふっ、全くわからんな、あの森は」
そう言って、ラピスさんは地面に腰を下ろします。
魔力が回復したからと言って、すぐに体の疲労が取れる訳ではありません。
短くない時間を全力で駆け回ったのですから、いくら鍛えていると言っても限界がありますからね。
そうして一息ついているラピスさんを他所に、博士に確認して見ることにしました。
即ち、外の世界が怖いか否かを。
「怖いに決まってる。だけどまあ、ラピスは大丈夫だ。なんか知らんけど。なんなんだろうなあ、こう悪意を感じないというか、魔物共と違って手応えがまるでないというのもあるかもしれん」
「なっ!それはわたしが弱いとでもっ!?」
「少なくとも、あの蛇よりかは弱いかな。あれ、そうなると結構ルールーって強いんだな。まあ、ルールーは頑張って克服したわけなんだし、いくら虚弱体質って言っても努力次第でどうにかなるんじゃないか?」
「このわたしが虚弱体質?ほう、さっきまで散々逃げ回っておきながらか?」
「それはほら、あれだよ。その、単純に怖かったから?」
「それが女性に言う言葉か貴様っ!!」
「はいはい、まだ安静にしておいた方がいいですよ。この水、魔力の回復が早い分副作用が凄いんですよ。回復してからなら派手に動いて構いませんが、回復している途中の激しい動作は後に痛みになって返ってきますよ」
「くっ、仕方ない。お前がそう言うのだ。ここは大人しくしておこう。だが後からしっかりと思い知らせてやる!覚悟しておけ!」
そしてラピスさんは背中を向けてしまいました。
よっぽどご立腹のようです。
ですが、少し怖いです。
いったい何がどうなったらこうなるのかわかりませんが、どうやら博士とラピスさんの間には少なくない信頼関係が築かれているようです。
それがただの信頼ならいいのですが、それがもしも斜め上の方向に向かっていくとしたら……。
「いや、あまり考えないようにしましょう。あるかわからない先の話よりも今が大事です。というわけで博士。何か欲しいものってありますか?」
「急にどうした?まあ、欲しいものねえ……。ちょっと欲しいものの質は変わるんだが、強いて言うなら、まあルールーとの何気ない日々、になるのかな〜」
「はい?」
「いや、こう言ってはなんだけど、ルールーには感謝してるんだよなあ。ただの助手とかそういうのじゃなくて、ただ一人朽ちるだけだった俺に光をくれた希望として。ネラとも友達になれたし、こうして今外の世界にいるのもきっと俺一人じゃしなかったことだろうし。まあ、その、なんだろうねぇ」
「………」
「多分もう、ルールーなしでは生きていけない、のかも?あ、え?ああっ!?今のなし!なしでお願いします!」
土下座する勢いで訂正しようと慌てる博士。
もう、ずるいですよ……。
ご褒美を上げるつもりが、逆に貰うなんて誰が思いますか?
でも、正直嬉しいですよ。
口には出しませんけどね。
「それじゃあ、今日のご飯はどうしますか?お肉?お魚?山菜メインでも用意できますけど」
「あのぅ、そんなに率直に受け止められると、恥ずかしさで死んでしまいそうなんですが。え、俺ってこんなに受身キャラだったっけ?いや思い出せ俺!俺はそんなんじゃなかったはずだ!」
何やら激しい自問自答に陥ってしまう博士ですが、それもなんだか新鮮で微笑ましいです。
普段は自由気ままに己が道を行く博士ですが、偶には振り回されている博士というのもありかも知れませんね。




