山鯰2
「お前ら何者だ!」
覇気のある凛とした声が響きます。
博士はその声を聞いて驚き、震え始めました。
人見知りを超えた外界恐怖症に呆れて言葉も出ませんが、対人訓練には丁度いいかもしれません。
無理矢理連れ出した手前、訓練を強いるというのも心苦しいものですが、これからのことを考えると必要なのです。
それに、これだけ威圧感のある人なんてそうそういません。
この人に慣れれば、後はどうとでもなるでしょう。
問題は、どう博士と向き合わせるかです。
目も合わせないようでは訓練も何もないですから。
「おい聞いているのか!」
「聞いてますよ。はあ、それにしても随分と気が早いものですね」
わたしの喉に突きつけられた剣の切先。
明らかに排除にかかろうとする動きです。
見れば彼女には猫の耳と尻尾がついていました。
それだけで彼女が魔人の中でも一般的な獣人だということがわかります。
獣人は精霊の加護によりその姿と能力を与えられた魔人です。
猫であれば素早い動きは勿論ですが、何より目を見張るのはずば抜けた反射速度でしょう。
夜目も効くことから多岐に渡り重宝される獣人です。
しかし、獣人には共通してある性質があります。
それは主人以外には尻尾を振らない忠義者であること。
そして、融通の効かない筋肉馬鹿だということです。
「魔王様から許可のない入国は禁じると言われている。これは立派な不法入国だ。大人しくせねばその首、掻っ切るぞ」
「物騒ですね。でも、良いのですか?ここで殺してしまっては、それこそ魔人の悪評を広めるというものですよ」
「それがお前の遺言か?ならば死ねっ!」
「待て待て待って!」
慌てたように飛び出してきたのはもう一人の魔人、所謂鬼人と言われている鬼を模した魔人です。
かつてこの世に存在したと言われている鬼という種族の遺伝子を混ぜられ作られた魔人ですが、鬼という生物が途方もない強さを持っていたとわかるほど、薄くなった血の力というのは強力なものでした。
なんせ、百の兵士をたった一人で押し返せる程の力を持っているのですから。
鬼がもしもこの世に現存していたならば、世界は間違いなく鬼の支配下に置かれていたことでしょう。
まあ、そんなありもしない話はさておき。
「何故止める。こいつらは犯罪者だぞ」
「落ち着けラピス。この方々が不法入国だと、そう言う気持ちはわかる。だが、転移魔法で来られたということは力あるお方に違いない。魔王様と顔見知りかもしれないし。それに何より、戦闘になれば間違いなく殺される」
「魔王様のお知り合い?はっ、ならば事前に文などを寄越すのが常識ではないか?急な来訪など、忙しい魔王様にとっては迷惑だ!そしてルーフ、この間合いでわたしが仕損じると思っているのか?」
「いや、それは」
言葉に詰まっているところから察するに、止められそうにないですね。
鬼人のほとんどが温和な性格なので、強く出られないところからも無理そうです。
ここは責任者を呼ぶことにしましょう。
「っ!?」
制限していた魔力を一気に解き放ちます。
その瞬間、途方もない魔力を感知したのでしょう。
迷わず剣を喉元に突き刺そうとしてきます。
しかし、その程度ではわたしを殺せません。
「くっ、結界か!ならば、これはどうだ!」
ラピスと呼ばれていた獣人は、その猫耳をピンと立てて剣の切先に何やら魔力を溜め始めます。
わたしの結界は大賢者時代のそれとは比較にならない程強固です。
それを貫通することなど出来ないとは思いますが、油断は一番の敵です。
態々それを受けてみせる必要もありません。
わたしはやんわりと、重力を加速させました。
すると、溜めていた魔力が一気に霧散し、その体を地面に縫い付けることになりました。
「くっ、体が、重い……っ!」
「ダイエットをするのでしたら良い方法がありますが……」
「誰も体重の話などしていない!うぐっ、苦しい……」
「もう限界ですか。獣人と言っても、耐久力はあまりないようですね」
個人差はあるでしょうが、それでもわたしの魔術がどの程度通用するのかわかるいい機会になりました。
このラピスとかいう獣人がどの程度の実力なのかはわかりませんので、あくまで目安にしかならないでしょうけどね。
「それにしても随分と遅かったですね。転移で来れなかったのですか?」
「貴様のように、そうあちこちに転移が出来るものか!一度座標を登録せんと、我には転移などという高等魔術使えんわ!」
乱暴にそう吐き捨てつつ、魔王ことヘルンちゃんが降臨します。
いや、到着しました。
「な、なんじゃ?我の顔をジロジロ見おってからに」
「可愛い」
「なんじゃと?」
「いえ、やっぱり可愛いなあと」
「全然言い直せとらんが!?」
「お前!魔王様を可愛いだと!?わたしですらそんなこと直接申し上げたことないというのに!」
「お前は少し黙っとれ!」
「はぅっ」
頭を叩かれて尚、その目に宿るのは忠誠、いや、崇拝とも言うべきでしょうか。
どこか狂信的なものを感じます。
獣人というのは、誰もがこういうものなのでしょうか?
わたしは書物による知識でしか魔人という種族について知りませんので、確たるものは言えません。
ですが、皆がこうでは流石のわたしでも疲れを覚えてしまうことでしょう。
そこは他の魔人の方々に期待したいところですが、正直不安しかありません。
「あの、魔王様がなぜこちらに?」
ルーフという名の鬼人が、か細い声でヘルンちゃんに足を運んだ理由を聞きます。
この中では常識的な思考回路を有しているみたいですが、如何せん意思が弱いようです。
先程のように、力はあるのにそれを止められない。
しかし、意思の強さが伴えば頼れることは間違いありません。
なので、これからもっと多くの修羅場を超えて欲しいところです。
主に、ラピスの抑止力として。
「いや、それはこっちが知りたいわ。強烈な魔力反応があったから来てみれば……おい、そいつはどうしたのじゃ?」
変に神妙な表情で博士へと目を向けるヘルンちゃん。
何か、博士に思うところがあるのでしょうか?
「博士ですか?所謂、外界恐怖症というものですね」
「そんな症状聞いたことないのじゃが……。まあ、いい。それで、その外界恐怖症の其奴を連れ出してまで来た理由はなんじゃ?別に遊びに来たというわけではあるまい?」
「ヘルンちゃんに会いたかったというのもありますが……」
「へ、ヘルンちゃん!?お前!魔王様にそんな羨ま、馴れ馴れしい呼び方をするでない!」
「ええいっ!お前はいい加減黙っておれ!」
「ひゃいっ」
今度は叩くではなく、頭から拳骨をもらったのですが、その表情から察するにご褒美にしかなっていないようです。
普段、あまりスキンシップはしないのでしょうね。
もっとしてと、飢えているのがだだ漏れです。
ヘルンちゃんは全く気づいていないようですが。
「すまん。えっと、それで?」
「ここにいる皆様に、是非試食して欲しいものがあるのですよ。大きさが大きさですので、見渡せるような場所があればいいのですけど」
「ふむ。つまり、貴様らは魔物食の体験をしてもらおうということじゃな?それに、いろいろと模索したいようにも見える。試しの場で実験する度胸は控えて欲しいものじゃが」
「流石はヘルンちゃんですね。わたし、益々好きになりましたよ」
「す、好きとかそう簡単に言うものではないわっ!ま、まあ、整備しておらん土地がまだ幾ばくか残っておる。そこでならどうじゃ」
「ええ、大丈夫ですよ」
「よし。では我には付いて来るがいい」
そう言われ、ヘルンちゃんの後を追います。
その道中、協力して人間と魔人がせっせと働いているのを見かけました。
パッと見た様子でも、互いに良好な関係を築けているようでした。
魔人は希望者を募り、比較的人間に対して友好的な者を集めているとのことですが、人間側は亡命者が多いです。
不安があるとすれば魔人ではなく人間の方ですが、この調子だとその心配も無さそうです。
これならば、近い内に中立国としての在り方を確立できそうですね。
そうして十分程度歩いたでしょうか。
そこには木々や岩などは撤去され、ただ剥き出しの平たい地面が広がっていました。
「ここなら問題なさそうですね」
そう言って、わたしは転移の応用で滅びの森との空間を繋ぎます。
ですが、わたしが出来るのはここまでです。
繋げた空間から例の魔物を引っ張るのは物理的にも魔術的にもわたしには不可能です。
あれだけの巨体ともなれば、平行しての魔術行使で持ち上げられるものではありません。
そこで、博士に手助けしてもらう他ないのですが……。
「博士。あの、ちょっとお願いがあるのですが」
「な、なんだ?」
わたしの後ろで小さくなりながら、博士がぎりぎり聞こえる声で応えます。
ここまでずっと怯えながら歩いてきましたので、肉体的にではなく精神的に参っているのでしょう。
すぐにでも帰りたいという願いが全身から伝わってきます。
「では博士、今から倒した魔物をこちらに降ろしたいので、向こう側に回ってもらっていいですか?」
そう言うと、博士はちらと空間の向こう側を見ます。
するとその瞬間、目にも止まらぬ速さで空間の向こう側へと飛び込みました。
それだけ、外の世界というのは恐怖でしかないのでしょう。
こちら側の者たちからすれば、滅びの森の方がよっぽど恐怖でしかないというのに。
「全く見えんかった……」
そうぽつりと呟くヘルンちゃん。
安心してください。
わたしも見えませんでしたから。
これまでも異次元的な速さを見せてきた博士ですが、今回のは本気だったと思います。
これまでは辛うじて、目では追えなかったものの通ったということは感覚的にわかったのですが、今回はそれすらありませんでした。
ですが、ただ家に帰りたいという理由で貴重な本気を見れたということが、わたしにはどうも腑に落ちません。
しかし、博士の天井がどれ程のものなのか、その片鱗を見れただけでも良しとしましょう。
「ヒャッホーッ!!帰ってきたぞ!俺はやっと、我が家に帰ってきたぞおぉぉぉぉっ!!」
嬉しさのあまり叫んでしまう博士ですが、それを聞いたラピスやルーフは奇怪なものでも見るかのような目を向けます。
当然でしょう。
つい先程まで絶望の底にいたかのような有様から一変、全身から嬉しさを溢れ出させてははしゃいでいるのですから不気味に思うのも無理はありません。
ですが、二人の博士を見る目は次の瞬間明確な驚きに変わります。
博士は、なんでもないように空間の向こう側から投げたもの。
それは、比喩でもなく山のような魔物だったからです。
その巨体にも度肝を抜かれるものがありますが、それ程高くない場所から投げられたというのにも関わらず、着地した際には地面を陥没させ、立っていられるのもままならない程の地震を起こしました。
それだけの衝撃を伴うとなれば、並外れた重量ではないと容易に想像がつきます。
しかも軽々と持ち上げるとなればその力は驚愕に値するでしょう。
魔人の高い身体能力を持ってしても、そんな芸当が不可能に近いというのは二人の驚きようからも明確でした。
「あれは、人間か?」
「俺の全力でも無理かも……」
無事、二人に人外認定される博士でした。
しかし、そんなことはどうでもいいのです。
問題は、向こう側から博士が帰ってくるかということです。
博士は自由奔走なところがありますので、こちら側を嫌って向こう側に居座る可能性があります。
それでは折角連れ出した意味も皆無です。
一応、呼びかけてはみますが……。
「用が済んだらこっちに戻ってきてください!これからが本番なんですから!」
「……………………わかった」
「え、あ、ありがとうございます」
以外でした。
あの博士が無理を押し通すなんて。
この機会を逃す訳にはいかないとでも思っているのでしょうか?
だとしたら、わたしは博士を見くびっていたことになりますが……。
「あ、ああっ、やっぱ無理」
「博士っ!!」
こちら側に降り立つや否や引き返そうとする博士を、わたしは襟首を掴んで強引に引き戻しました。
魔物食を広め、飢えを無くしたいという想いはあっても、体は正直な博士でした。




