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山鯰

 何事もなく、と言えばネラさんから一言文句を言われそうなものですが、無事ヘルンちゃんに魔物食を知ってもらうことができました。

 博士もあれから頗る上機嫌で、毎日を笑顔で生活しています。

 次はあれを食べさせなければ、とか、もっと美味しい料理を作って驚かせてやろうなど、最早孫に対する態度そのものですが、楽しそうであればそれに越したことはありません。

 決して、わたしが放置されがちで寂しいとか、そういうことではありませんからね?

 そしてヘルンちゃんとネラさんが帰られてから二日後、各国へと中立国の宣言がなされました。

 国名は敢えて決めず、あくまでも独立した組織として運営されていくようです。

 その上で、魔人側は高い身体能力を活かした労働力を、人間側は手先の器用さを用いた物作りの技術力を提供しあい、今後助け合っていく体制を築いていくようです。

 まだまだ溝は深いですが、少しでも埋まるようにしばらくはヘルンちゃんも魔王として滞在するとのこと。

 小さな諍いは頻繁に発生しているようですが、それもすぐに沈静化するだろうとネラさんは予想しているそうです。

 なんせ、魔人側は肋屋みたいな粗末な家に住んでいたのがきれいな一軒家となり、雨漏れに悩む必要がなくなります。

 それに加えてインフラを整えることが出来れば、清潔とは言えなかった水とトイレ事情を解決することができます。

 これまでは魔術で誤魔化してきたようですが、それがなくなり楽に綺麗に利用することができるのです。

 嬉しくないはずがないでしょう。

 人間側も重労働とされてきた力仕事を魔人たちがやってくれるので、楽を出来るといえば聞こえは悪いですが、心身共に解放されると思います。

 その上で新たな試みに挑戦出来るようになるため、事業面や娯楽でも発展が見込めるでしょう。

 作業の効率化も素晴らしいとのことで、一月もすれば立派な国となるでしょう。

 ですが問題は、他の諸国がどう動くかに掛かっています。

 中立を謳い、平等を掲げる飢えなき国。

 それは側から見れば桃源郷そのものであり、魔人も人間も半信半疑であれど興味を示すことでしょう。

 もしもその全てが真実であれば、人は雪崩のように流れ込むことになります。

 そうなれば中立国という立場的には喜ばしいことですが、実際に人が流れ出ていく各国の反応は正反対もいいところでしょう。

 人が減るということは即ち国力の低下を意味します。

 純粋な労働力だけでなく、数的戦力という意味でも減少していきます。

 規模的に数百人程度は問題ないと思いますが、それ以上になってくると国も人の流出を止めようとするでしょう。

 今はまだその段階に至っていないため、特別対策が必要だというわけではありませんが、いずれぶつかることになる問題です。

 人が増えれば自然とその脅威も増してくるので、他国がなんらかの圧力をかけてくる、或いは武を持って抑えようとしてくるかもしれませんが……まあ、そんなことはネラさんもわかっているとは思いますが。

 しばらくの間ヘルンちゃんに会えないと思うと心配ですが、わたしたちはわたしたちで研究に励まなくてはなりません。

 折角魔物食を広げる良い機会を得たのです。

 これをものにしない訳にはいきませんので。

 そして今日はというと、最近頻繁に発生している地震の震源地へと来ていました。


「博士、ここですか?」


「間違いねえ。奴が、いる」


 目の前に広がるのは向こう岸がかろうじて見える大きな湖でした。

 水質は最悪ですが、見る分には綺麗な緑色をしています。

 しかし、ここに何かがいるとしても目視では確認の仕様がありません。

 水面に波紋でも立ってくれればわかるのですが、見える範囲でも湖の中を覗き込めそうな場所はありません。

 何故なら一面緑色だからです。


「おおっ、おおっ!!びんびん来るぞ、あいつの気配が!」


 気配がすると、近づいていると博士は言いますがわたしにはさっぱりわかりません。

 博士の直感は伊達ではありませんが、それでも探知の魔術を使っているのではと疑ってしまいます。

 ですが、わたしが全力で探知の魔術を行使しても一切の反応がないのです。

 こうなってくるとやはり博士の直感は生物的本能によるものだと言うのがわかります。

 正直、反則です。

 これは探知の方法を変えないといけないかもしれませんね。

 新しい魔術の開発となると骨が折れますが、博士の足を引っ張る訳にはいきませんので。


「来るぞ来るぞ来るぞ来たぁぁぁっ!」


 カウントダウンのように告げられた博士の言葉通り、それは現れます。

 湖の水を津波のように巻き上げながら、山と言われても不自然ではない巨体が宙を舞います。

 手足がない代わりに胸、腹、背、尻、尾とヒレがついており、脈打つかのように動くエラが見てとれる辺りそれは魚なのでしょうが、それにしたって大き過ぎます。

 何を食べたらこんな大きさになるのでしょうか?

 ですが、やはりその大きさからして普通の魚ではありません。

 内蔵する魔力量からも魚ではなく魔物なのだと認識できますが、蜘蛛のような無数の目を持ち、魚にはおおよそ相応しくない巨大な犬歯を持っています。

 まあこの森の生物はどれも巨大で災害級の魔物なので驚きもしませんでしたが。

 しかし周囲が巨大で強力だとなるとそれに合わせて大きく、より攻撃的な姿になるのは自然の摂理かもしれませんね……いえ、今はそんなことを考えている場合ではありませんね。

 恐らく、魔力量から間違いなく天災級の魔物。

 油断すれば確実に死ぬ相手です。

 とは言え、あの巨体ですからそう動きも早くないはず。

 そう、不覚にも思い込んでいました。

 それはわたしの予想を意図も容易く裏切るように、その体の大きさを否定するような滑らかな動きで身を翻し、こちらに大口を開きます。

 その瞬間、死の危険を予知させるように全身に謎の悪寒が走りました。

 わたしは本能に従い、全力で風を起こしその身を大きく真横へと飛ばしました。

 着地のことなど考えず、ただひたすら全力で。

 その直後、大口から膨大な魔力によって練り上げられた泥水が光線のように放たれました。

 一直線にわたしが元いた場所を狙い撃ちにしたその攻撃は、一切の抵抗なく大地を寸断し、木々を小石のように弾き飛ばしました。

 わたしはなんとか無事でしたが、元いた場所から綺麗に森が二つに割れているのを見て言葉を失いました。

 例え、わたしの最大を持ってしても拮抗することすら叶わない程の威力。

 それ程までに隔絶とした差を思い知らされました。

 ですが、わたしは立ち止まる訳にはいきません。

 求められる強さの上限がまた一つ上がっただけのことだと鼓舞します。

 圧倒的に魔術的威力では劣っていますが、それでもわたしの全てが通用しないと決まったわけではないのですから。


「魚には、熱です!」


 持てる魔力のほぼ全てを注ぎ込み魔術を湖へと浸透させていきます。

 ここで馬鹿正直に火球なり投げつけようとするのは下策です。

 なんせ、巻き上げられた水のせいで威力も飛距離も期待出来ないでしょうからね。

 雷撃なんて使ったその時には、わたしも感電してしまいそうで怖いので却下です。

 であれば、湖を沸騰させるしかありません。

 と言っても、ゼロから百にするには圧倒的にエネルギー不足です。

 なので、湖のすぐ下にある地脈を利用することにしました。

 直接地脈を刺激し、熱いドロドロを呼び出すのです。

 そうすることで、沸騰までの時間を大幅に減少させることができ、魔力の節約にもなります。

 さて、そうこうしている内に気泡が徐々に多くなってきました。

 温度が上がっている証拠です。

 そしてそうなってくると気になるのは魔物の方ですが、盛大に暴れ苦しんでいるところを見るに、どうやら効果はあったようです。

 ただ、暴れる度に激しい揺れと高波に襲われるので、その辺りの守りも気にしつつ魔術を行使することになるのでかなりこちらも苦しいですが、わたしは何も一人で戦っているわけではありません。

 頼れる人が、こちらにはいるのですから。


「お座りっ!」


 凡そ魚に言わないであろう言葉と共にその脳天を殴りつけます。

 大気が震え、衝撃で激しく湖が波打ちます。

 辛うじて目視できる距離にいるというのに、こちらにまで突風が襲ってくるのでその威力の高さが伺えます。

 そしてその会心の一撃を受けたそれは、当然の如く脳震盪を起こしました。

 頭部が割れなかったという事実にこそ驚きましたが、無事湖の温度も沸点を超えました。

 後は煮るなり焼くなり好きに出来るというものです。

 が、正直危なかったです。

 事前にこんな大物と戦うということを教えて貰っていれば、対策はまだしも心構えだけは出来たというものですが、それはもう過ぎた話ですし今更蒸し返しても仕方のないことなのでしょう。

 小言だけは言わせてもらいますけどね。


「いやあ〜、やっぱ楽だわ。ヒャッハーって感じ。態々泳いで殴らなくていいわけだし、ただ全力で殴るだけとかなんだよそれ神かよ。マジストレスフリー過ぎてもうっ」


「博士?」


「あ、はい」


「いろいろと言いたいことがあるのですが、よろしいですね?」


「…………そろそろ煮えたんじゃね?あまり長過ぎても」


「あれだけ大きいのです。全身に熱が通るのはまだまだ先の話ですよ」


「もし、あれで生きていたら」


「すでに死んでますよ。水棲の魔物ですし、やはり熱には耐性がなかったということでしょう。見た目も魚ですし」


「匂いに釣られて、魔物が寄ってくる……かも?」


「かも、ですか」


「………………すぅ、ごめんなさい」


 博士には次から何をするのか、狩りをするならばどんな魔物なのかを事前に伝えてもらうように約束させました。

 わたしは博士みたいに規格外ではありません。

 魔術が比較的強く上手に扱えるだけであって、肉体的には脆弱もいいところです。

 確かに下位の魔物はすでに敵ではありませんが、だからと言って高位の魔物と戦えるというわけでは断じてありません。

 とは言え、今回の狩りが良い刺激になったのも確かです。

 本人には言いませんが。

 さて、話し込んでいる内にすっかり熱も通ったようです。

 狩りをしていたはずが、ついでに調理までしてしまいました。

 ですが、問題はこれをどうするか。

 中々お目にかかれない魔物だけあって一片足りとも無駄にはしたくないのですが、これを二人で処理するというのは現実的に不可能な話です。

 というわけで、兼ねてより考えてあった計画を前倒しにする形で実行することにしました。


「博士、今から中立国に転移しますよ」


「なして?」


「これだけの量は食べられません。ですので、もっと多くの人に振る舞うのですよ。魔物食を一気に広めるチャンスです」


「でもなあ」


「それに、向こうでいろんな意見を聞ければ今後の研究に大いに役立つとは思いませんか?」


「それはそうなんだが、でも外は怖くてな……」


「大丈夫ですよ」


「いや、ルールーだけで」


「転移しますね」


「へ?」


 博士の一瞬の動揺を利用させてもらいました。

 博士もいい加減外の世界に出て欲しいのです。

 これは強硬策ですので、後が少し怖いですが。


「え、外?人がいっぱい……家も。あ、ああ……」


 博士はそれきり、蹲ってしまいました。

 本当に怖いんですね、博士……。


山鯰:文字通り山の如く巨大な鯰、遭遇したらまず逃げることを推奨される天災級の魔物。

隙間なく覆われた分厚い鱗は衝撃を散らし、ありとあらゆる攻撃を受け付けない。

敵対者と遭遇した場合は、捕食に用いる大口から体内で圧縮した泥水による放射を行うが、魔力により泥の硬度と水の鋭さが増すためどんな障壁も貫く。

体の成長に合わせて池や川を大きくしていく為、広く深い湖には注意が必要。

また、水棲の魔物とは共存関係にあり、身を守る役割を果たす代わりに体表の付着物を取り除いて貰っている。

肉は白身。

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