猫型のタヌキ、いや、タヌキ型の猫。
動くカフェオレ。
珈琲色と乳白色のグラデーションが利いたフサフサの毛並み――
顔の鼻先と四本の足先は黒に近い、焦げ茶色をした影のよう蠢く毛玉が、庭木の合間に見える。
ずんぐりむっくり太い体付きに、フワフワの毛がそれをさらに丸く見せているのだろう。
――狸。
そう評せざるをえないその生物は、私と一瞬目を合わせれば黙々と庭を立ち去った。
どうやら、ただの通りすがりの様だ。しかしあれは一体何なのか――
猫だ。極めてそう見えないが、確か有名な品種であった筈だ。――が名前は思い出せない。
この辺りでは見られない、野良猫ではない筈だ。
それにしても、随分太ましくゴージャスな毛量であった。
それが再び庭を訪れた。
名将不明のタヌキ何某は、どうにもこの人の縄張りが気になるか、ごく稀にこの庭に姿を現す。
そこで遊ぶ様子はない――木に登ったり、トカゲを追い掛け、蝶を狙い、適当なところに体を擦りつけたりとした猫の戯れ、それをする様子はなかった。ただなんとなくふらりと訪れ、ゆっくり、大樹が揺れるようそこを歩き、そして静々と去っていく。まるで老境に至った隠者の散歩だ。
しかし、その足取りはしっかりと堂々とし、日陰を歩んでいるにも拘らず背筋もピンと優雅な足取りである、育ちの良さなのだろう、獲物として追われる事も、逆に、それを追う事も無かった、生粋の宮殿暮らし。私がその奇異な猫の気を引こうと猫じゃらしを向けたこともあったが、もうそんなものには興味がないと言わんばかりでそっぽを向き。また、別の機会に、おいでおいでと声を掛け手招きしたのだが『ちゃんと人を通して紹介しなさい』と言わんばかりについと背を向けられた。
不思議なことに、焦って逃げるような真似はしなかった。普通、どんな猫も見ず知らずの他人には警戒を示すのだが、そんなこともなく。
寄らず、触れず、そして交わらず……そんな態度を貫き通して。
浮世離れした、とでもいうのか、、幽世の存在、とでもいうのか。住む世界、生きている場所、産まれてきたそれというものがズレているようで――それが偶々、同じ場所で姿を現しているというようで。
何故かは分からないが――私もこのタヌキ猫に近寄り触れようとは思わなかった。
ただこれから一体どこへと――そのふわふわの背中を眼で追った。
と、我が家の庭を南に――そして隣の家の柵、敷地を仕切るコンクリートの基礎打ちを跨ぎ、その隙間をゆっくりとすり抜ける。
オレンジ色の三角屋根――大手住宅メーカーが手掛ける洋風建築、その間仕切りの中へと入り、
その敷地で程なくして、
――ニ゛ャア。と、太々しい鳴き声が響き。
そして、窓が開き、閉まる音がした。
……お隣さんだった。
という事実に、地味に衝撃を受けた。
多分、ここ最近家族として迎え入れたのだろう。こんな猫、隣家の住民が越して来た時には庭に来なかった。古ぼけた枕木で作ったテラスや東屋、小さな雑木林も見事なまでの洋風の庭園は、梅雨の時期には見事な薔薇が宮殿の如く咲き誇る――家も洋風なら、そこで飼う猫も洋風に統一したのか。
だからか? 我が家は純日本家屋――質実剛健な宮大工が手掛けた精緻且つ荘厳な軒づくりは、温かみ以上に周囲を寄せ付けない威圧的な外観だ。これが洋風建築に住まう洋風猫としては――東洋の神秘に興味がそそられたのか。
しかし、全くと言っていいほど鳴かない猫だった。所作からしても、音が全くしない。
この家を通る猫の中でも……相当寡黙な猫だろう。表情から読み解く心情も常に凪いでいて「?」や「!」はなく、常に「シーン」と「……」がその顔横に浮かんでいるようなありさまである。
豊富な毛量が、その表情筋を霞の様隠し、ふさり、ふさりと、その長毛の尻尾を豪奢な扇のよう優雅に揺らしていた。
ただそれだけの猫だ。私とこの猫との間に物語はない。ただ一方的に私がこの猫の事を知り、それと同じようこの猫もまた私の事を一方的に見ていた。
ただ、それだけの関係――普通、猫と人はそういうものなのかもしれない。
交わることなく、ただ近場で見つめるだけで、決して触れ合う事はない―― どんな飼い猫でも、どんな野良猫でも、特別それと関わるような縁か運命が無ければ決して触れ合うことなど無いのではなかろうか?
いつか、私と触れ合い、出会うことになる――そんな猫もいるのだろうかと。
それは今は分からない。なにせ、今のその私ではないのだから――
ただ、あの猫は通り過ぎるだけの毎日を象徴するような猫だった。
そんな気がする。




