赤毛の男
確かに薬師見習いと聞いてはいても、こんな子どもに投薬される人のほうが不安だよねとサラも思う。ちらりと大人のネリーを見るが、ふるふると首を横に振られてしまった。こういう細かいことが得意ならそもそも山小屋があんなゴミ屋敷みたいな状態なわけがないのだ。サラは覚悟を決めて不安そうな表情を消し去ると、ポーチから解麻痺薬の小瓶を出した。
「町長さん。コップを10個。なるべく同じものをください」
「わかった」
どう手を出していいかわからずうろうろしていた町長が急いでコップを持ってきてくれたので、サラは小瓶の中身を10個に分けていった。そもそも小瓶に分けて入れる作業をしたのも自分なので、入っている容量は予想がつく。サラは分けた解麻痺薬をまず一人に手渡し、震えるその手を支えた。本当に飲んでいいのか不安そうだったが、サラが静かに見つめ続けるとその視線に耐えかねたのか、しぶしぶとコップを口元に運ぶ。サラは中身がなくなったのをきちんと確認する。
どういう仕組みなのか、怪我に直接かけたポーションも一瞬で効くし、飲んだポーションも少し遅れるがすぐに効き目が表れる。解麻痺薬もそうで、飲んだ本人にとっての効果は絶大だ。コップを持つ手はもう震えてはいない。サラは支えていた手をそっと外した。
「ああ、コップが普通に持てる!」
クリスがそう指示したのだから、治るのはわかっていたが、喜びの声にほっとする。
「あんた、ありがとう!」
不安だった目が驚きから喜びに、そして信頼へと変わっていくのはなんとも嬉しいものだった。だが喜ぶのは後だ。サラは気を引き締めて次の人にコップを手渡した。
サラが症状の軽い人に解麻痺薬を飲ませている間にもクリスは着々と治療を進めていたようで、サラの背後では、
「おお! 奇跡が!」
という叫び声や、
「なんとありがたい」
という感謝の声であふれている。本人だけでなく、付き添いの家族の喜びの声もある。サラはそれを聞きながら、解麻痺薬をコップで飲ませるというある意味単調な作業をたんたんと続けた。
「よくやった」
というクリスの声がかかったのは最後の一人の麻痺が治った時だった。振り向くと、部屋は寝ているものなどほとんどおらず、笑顔であふれている。サラが10人分でも四苦八苦している間に、残りの20人ほどの症状の重い患者を全部治してしまっていたのだ。
「おかげで早く治療が終わったよ」
「はい」
自分は震える手を支えて、コップの麻痺薬を飲ませるというそれだけの仕事だったのに、サラは嬉しさと同時に激しい疲労も感じた。今回は軽症の人ばかりだったとはいえ、人の命に携わる行為がこんなにも疲れるのかと驚くほどだ。
しかしクリスは大変なことなど何もなかったかのように平然としている。
「私たちは数日滞在する。明日になっても調子の戻らぬものはまた見せに来てくれ。では解散」
「解散って」
何かの集会じゃないんだからと思わず突っ込みそうになったサラである。おかげでなんとなく重苦しかった気分はどこかに行ってしまっていた。
「あんたも小さいのにありがとう」
「いえ、手伝っただけですので」
サラもお礼を言ってもらえて今度こそ本当に嬉しさだけが残った。
「この非常事態にまさかローザのクリス様が来てくださるとは思いもしませんでしたよ」
ほっと胸をなでおろしているのは町長である。
「敬称も敬語も不要だ。今はどこにも所属していない、流れの薬師のクリスに過ぎない」
流れの薬師と言った時にちょっと嬉しそうだったことに気がついたのはサラだけかもしれない。
「お礼は後でご相談、まず宿の手配ということでよろしいですかな。いきなりこれでお疲れでしょうし。小さい薬師さんもな」
実は薬師見習いですらないサラは思わず身を小さくしてしまった。
その瞬間ドアが無遠慮に開き、さっき出ていったセディという男が戻って来た。手には一抱えもある白いキノコを抱えている。
「町長。ちょうどもう一羽山から下りてきていたから、ニジイロアゲハを追い払いがてら山のほうに入ってみたんだが、こんなキノコに群がっていたぞ」
「それはちょいと大きいがヒラタケじゃないか。この季節よく採れる、普通のおいしいキノコだが、アゲハが群がるようなもんじゃないぞ?」
二人の間にクリスが割って入った。目はキノコにひたと据えられていた。
「セディアス。見せてみろ」
「クリス。やはりお前か」
驚いたことに二人は知り合いだったようだ。しかもたいして仲のいい感じはしない。どちらかというとピリピリした緊張のようなものが感じられた。そしてアレンと共に壁に寄りかかって休んでいたネリーがパクパクと口を開けたり閉めたりしている。
「ネリー?」
サラが事情を聞くより前に、クリスは大きなキノコを受け取ると床に置いて、おもむろに二つに割った。
「うむ。外はヒラタケに似ているが本来季節は初冬のキノコ。大きな違いは割ってみた時にわかる。多汁。虫に好まれる」
クリスは割ったキノコの汁を小指の先につけると、ぺろりとなめ、目を閉じてしばらく味わうと、紙を出してぺっと吐き出した。
「よし。サラ。少量口に入れ、飲み込まずそのまま様子を見てみろ」
「うう。はい」
なぜ自分がという思いもあるが、好奇心も抑えきれず、サラはクリスの隣にしゃがみこむとクリスと同じように小指の先にキノコの汁をちょんとつけて、口に運んだ。
「甘い」
ほんのりと甘みが舌先に広がる。それはやがて無味に変わり、舌先をピリピリと刺激する。サラが顔をしかめるとクリスが紙を渡してくれたので、それを吐き出した。
「最初は甘いため気づかないが、体内の何かの成分と反応し、やがて麻痺毒に変化していく。シロツキヨタケだ」
「シロツキヨタケ。確かにヒラタケに似ているが、季節が全く違うぞ」
「何かの理由で早い時期に異常発生したのだろうな。だが区別する方法はある」
町長は少し考えて答えた。
「夜か」
「そうだ。シロツキヨタケは夜に発光する。採取して二、三日は発光しているはずだし、何なら夜に繰り出して採取するのもありだろうな」
言うべきことは言ったクリスは満足したらしい。すっと立ち上がると、サラにちらりと目をやり歩き始めた。これがクリスの付いてこいという合図なのだ。なんとも王様な態度だが、少なくとも、少し前まではサラを視界にも入れていなかったことを考えるとクリスも進歩したと思うしかない。
「ネフ、疲れただろう。宿に案内してもらおう」
「ネフだと!」
セディという男は大きな声を出してクリスが声をかけたほうにぐるりと体を向けた。
「ひ、久しぶりですね。兄様」
ためらいながら手を上げて挨拶をしたのはネリーだった。
「にいさま? ネリー?」
その後は大騒ぎだったのは言うまでもない。
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