用なし
しかし、それからの日々も、テッドの夜のお茶くらいでは癒されないほどに忙しかった。
王都からハンターが来ているのに、ヌマガエルは一向に減らないどころか増えている。アレンはたっぷり稼げると元気いっぱいだが、ネリーは珍しく毎日疲れたような顔をして帰ってきていた。
「ヌマガエルを狩りながら、カメリアの町の観光をするつもりだったのだがなあ。毎日沼とカエルしか見ていない。さすがに飽きた」
「そりゃあ魔の山の魔物は種類が豊富だったし、何より景色がよかったものね」
まず一歩でも山小屋の外に出ようと努力していた頃を、こんなふうに懐かしく思い出すなんてサラは思いもしなかった。だが悲しいことに、ネリーが観光できていないということはつまり、サラもできていないということなのである。
「食事は私たちの分も届けられるようになったけど、そもそも食堂にも行けてないなあ。ヌマガエルの料理を食べてみたいのに」
いつも夜に食事を運んで給仕をしてくれる人がサラの嘆きを聞いて驚いたように目を見開いた。
「ヌマガエルは私たちにとっては庶民の食べ物なんです。町長にしてもお客様に出すような物ではないという判断だったのでしょう。庶民的でいいからこの町の名物のカエル料理を出してほしいと言っていたと、町長にお伝えしておきますね」
「ああ。お願いできると皆が喜ぶ」
クリスが正式にお願いしてくれたので、明日からは夕食を楽しみに頑張ろうと思うしかなかった。
しかし、クリスはカメリアとはとことん相性が悪いらしい。
次の日、サラたちが薬師ギルドで休みなく解毒薬を作っていると、珍しいことに店側ではなく、裏側からガヤガヤと人の気配がした。
クリスもテッドも、薬師の仕事以外のそういう雑事は気にしない性質だということをサラは知っているので、たいして気にも留めない二人の代わりに何事かと振り返ると、同じく振り向いたロニーが驚いたように声を上げた。
「えっ! ギルド長?」
その声に一瞬自分のことかと動きを止めたクリスは、すぐ違うと気が付いたのかかすかに首を横に振ると、作業を止めて振り返った。
そこにはクリスより少し若いと思われる壮年の男性と、五人ほどの人が立っていた。皆薬師のブローチを身に着けているから、薬師に違いない。そしてロニーの呼びかけから推察すると、前のギルド長が戻って来たことになる。
サラはほっとして肩の力が抜けた。六人も薬師が戻って来たのなら、やっとこの忙しさから解放されるだろう。
テッドより色の濃い金髪をクリスのように後ろで一つにまとめ、青い目をした前ギルド長は何も言わず、一緒に来たらしい薬師に険しい顔つきで合図した。手に大きな荷物を持っていたその薬師は、少しおろおろとしながらも荷物を床に下ろした。どうやら洗濯物とお茶道具らしい。
「俺のお茶道具だ。なんでそれを」
毒腺を煮込んでいたテッドがようやっと振り向くと、荷物を見て眉を上げた。
「私の屋敷にあった。不愉快だ。持って帰れ」
「あんたの屋敷? 違うだろう。あれは俺たちが町長から借り受けている屋敷だ」
正確には借り受けているのはクリスなのだが、テッドは堂々とした態度で反論した。しかし相手は前ギルド長である。そんな態度をとっていいのかとサラのほうがハラハラする。
前ギルド長は片方の眉を大きく上げた。
「私は、町長からの依頼でわざわざ王都から戻って来たんだ。あれはギルド長の屋敷だから、返してもらう」
クリスは肩をすくめた。
「クライブだったか。確か初見ではないと思うが、一応自己紹介しておく。私はクリスだ」
クライブは口元に冷笑を浮かべた。
「元王都ギルド長のクリス様。存じておりますよ。少しの間王都で一緒に働いていたからな」
「それで聞き覚えがあったか。さっそくだが」
サラから見てもクリスが引き継ぎをしようとしているのは理解できたが、クライブは気が立っているらしく、クリスの言葉を途中で遮ってしまった。
「私にまたギルド長をやるようにと声がかかったということは、わざわざローザからやって来たのに、このカメリアのヌマガエルに対応しきれなくて結局仕事を投げ出したというわけだな」
サラはその言い方に腹が立って、柄にもなく食ってかかろうとしたが、なぜかテッドに止められた。この薬師ギルドの現状を一目見ればわかるはずだ。クリスは何も投げ出してはいないし、前のギルド長、つまりクライブに戻るよう声をかけさせたのは、そもそもクリスなのだから。
クリスはそれには何も答えず、ただ肩をすくめた。そうしてふうっと大きく息を吐き出すと、解毒薬を作っている作業場を指し示した。
「では引き継ぎは」
「必要ない」
クライブの返事はにべもない。
「では、私物のみ引き上げよう」
「手伝います」
駆け寄ってきたのはロニーだ。テッドはもう一連のことに興味がなさそうに解毒薬作りを再開している。床に置かれた荷物もそのままである。
クリスは自分の薬師道具をさっさとまとめると、サラに声をかけた。
「サラ。行こう」
「待て」
待てと声をかけたのはクライブである。これ以上何かあるのかとサラはうんざりした。
「その薬師見習いは、残るのなら面倒を見よう」
サラは思わずキョロキョロと周りを見渡した。薬師見習いなどいただろうか。
「お前しかいないだろう」
「え、私ですか」
サラは驚いて思わず素直に返事をしてしまった。そして慌てて首を横に振った。
「私、違います。たまたまここにいただけで、薬師見習いなんかじゃありません」
「だが」
「さあ、クリス。もう行きましょう」
サラはクライブの言葉が聞こえなかったふりをした。面倒ごとはごめんである。クリスが静かに去ろうとしているなら、サラもおとなしく去るまでだ。後はテッドだけである。
「テッド?」
後ろを見るとテッドは黙々と仕事をしている。ついてくる気はなさそうだ。
「テッド」
「俺は残る」
きっぱりと言ったテッドの目は、わかれよと言っていた。テッドはサラと合わせた目を今度はクライブに向けた。
「ああ、屋敷は今まで通り使わせてもらうからな。お前、荷物は屋敷に戻してこい」
テッドは荷物を持ってきた薬師に横柄に命令した。誰にでも失礼なのは、ある意味テッドらしい。ちなみにサラもネリーも、私物は常に収納ポーチの中なので、屋敷に置いてある荷物などなかった。
「お前はいったい何者だ!」
薬師ギルドに響く前ギルド長の怒号に、今日初めて面白くなりそうな展開の予感がしたので、サラは見ていきたいような気もしたが、クリスに背を押されて二人で薬師ギルドを出た。
「待ってください!」
走り出てきたのはロニーだ。
「カメリアの恩人に、あんな、あんな失礼な態度で。僕、町長のところに行ってきます!」
「いいんだ。ロニー」
クリスはいつもと変わらない顔をしている。
「それよりロニー、引き継ぎができなかったのでな。ちゃんとわかっているのは君だけだ。町長のところへは行く必要はないから、この後をよろしく頼む。テッドのこともな」
「はい。クリスも、サラも、本当にお世話になりました」
ロニーは頭を下げると、名残惜しそうに振り返りながら薬師ギルドに戻っていく。
サラは外に出てきたものの、途方に暮れていた。前ギルド長が突然やってきて、薬師ギルドも泊まっていた屋敷も追い出されてしまった。それなのに、クリス大好きなテッドは付いてこない。いったいどういうことか、これからどうするのか。
「私たちは用なしになってしまったな」
「はい」
シュンとするサラを、クリスはおかしそうに眺めていた。
8月25日、3巻発売です。




