また一歩
「小屋の外観は問題なし、と。俺、ちょっと裏を見てくるわ」
管理小屋に着いた途端、ヴィンスがギルド職員の顔をしてすたすたと小屋の裏に向かった。
「ここがサラとネリーの小屋か。なんかお話の中に出てくるような家だな」
「私もずっとそう思ってた。ほら、後ろを振り返ってみて」
「ガウ」
「オオカミはいらなーい」
景色の中にオオカミがいるのもお約束であるが、振り返ると、小屋から坂の下にかけて青々とした草原が広がり、まるで一幅の絵のようであった。
「登ってくるときは振り返る余裕なんてなかったけど、ほんとにきれいだな」
ハルトの声には感動があふれていた。一方でアレンは黙ったまま景色を見つめている。しつこく感想を聞くほど野暮ではないサラは、アレンが満足したように一つ大きく息を吐くまで静かにそばに立っていただけだ。
「世界には、見たことのない景色がいっぱいあって、俺はこれからそんな景色をいっぱい見ていくんだな」
「うん。これが始まりだよ、きっと」
そしてその始まりの前に、まず管理小屋の案内である。
「入ってすぐが居間と台所。右手がネリーの部屋で、左手二つが客間だよ。一つは今私が使ってるから、すぐに空けるね。二人部屋だから、部屋割りを考えてね」
「へえ、ちいちゃいな」
「まあね。ちょっと広い普通の家くらいかなあ」
「使ってる結界がめちゃくちゃ高価だから、このくらいの小屋しか建てられなかったんだよ」
部屋の説明をしているとヴィンスが小屋の裏から戻って来た。
「魔の山は魔物が強すぎて、さすがに普通の結界じゃあもたないからなあ。そうだ、サラさ、迷いスライムの魔石、旅に出る前に少し売って行けよ。いつでも買い取れると思っていたから、少しずつ買い取ろうと思ってたんだけどさ。もう招かれ人だってバレちゃったしな」
「少しでも荷物が軽くなると嬉しいから、助かります」
迷いスライムの魔石も買ってもらえることになって、サラの懐はさらに豊かになる。ヴィンスは部屋と台所、水回りを一通り確認して居間に戻ってくると、顎に手を当てて何か考えている。
「ネフェルタリは一人で、いやサラと二人でやっていたが、招かれ人が二人もいるとなると、おそらくここに来る客人も増えるだろうな。ハルトとブラッドリーが一部屋ずつ使うとして、客室が一つはやはりこころもとねえな」
「外のデッキで寝かせたらどうだ」
「そりゃさすがに鬼畜だろうよ」
ネリーの雑な提案はあきれたように却下された。
「屋根裏がありますけど。こないだ確認したら寝具もありましたよ。確か四人分」
「それだ!」
ヴィンスは屋根裏と寝具も検分して、
「あちこちでごろ寝させれば20人くらいは泊まれるだろ。十分だ」
とサラと同じ結論になったのは少しおかしかった。
「ギルド長にも聞いてはいたが、整った部屋に食料が3ヶ月分か……。ネフェルタリ」
「なんだ」
「サラは得難いな」
「女神には心の底から感謝している」
ヴィンスとネリーのやり取りがサラにはくすぐったい。しかし、食料はネリーと相談して半分は置いておくつもりでいた。招かれ人達もきちんと準備はしているようだが、魔の山の魔物の料理見本があったほうがいいと思うからだ。
それから数日はネリーが案内して、魔の山の魔物ポイントを巡った。ネリーとサラでガーゴイル狩りに行った岩山にも訪れた。
「本当にこのひび割れているところからガーゴイルが発生するのか」
「本当だよ」
「オ……オ……」
「この不気味な声が、そろそろ剥がれ落ちそうなやつ。おいしいよ」
サラがアレンとハルトとヴィンスに解説している傍らで、ブラッドリーとネリーは狩りの相談をしている。
「しょっちゅうあちこち行って魔物を狩らないと駄目だろうか」
「ここ数年、とりあえず一日数頭ずつ魔物を減らしていれば十分だった」
「そうか」
ブラッドリーはほっとしたようだった。静かに本を読みたいと言っていたのだから、狩りし放題だと浮かれるハルトとは考えかたが違うのだろう。
「だがガーゴイルはうまい。それにコカトリスもうまい。元気なハルトがいるのだから、あちこち行ってみるのも悪くはないだろう」
「ああ。貴族との会食やら付き合いが一番時間をとっていたからな。人付き合いはストレスでもあったし。この程度の狩りならむしろ息抜きになる」
ゴールデントラウトの獲り方も見せた。ヴィンスの静電気の魔法の大型版だと言ったら、なるほどと納得していたが、
「こんなに大掛かりにはやれねえよ」
とあきれてもいた。
「これは俺が料理を学ぶところだな。魚が食べたくなったらここに来るよ」
「ゴールデントラウトはめったに獲れなくて高級食材だってこと覚えておけよ」
余りに非常識すぎて、ヴィンスはもうどこに突っ込んだらいいかわからないようすだった。
その10日余りの間、サラは小屋ではハルトに料理を教え、小屋の周りではブラッドリーに乞われて薬草採取を教え、オオカミにはみんなで骨を投げたりして慌ただしく過ごした。ブラッドリーはどちらかというと薬草を採って暮らしたいのだそうだ。
「招かれ人の意味がねえ」
などとヴィンスに嘆かれていたが、サラにはブラッドリーの気持ちはとてもよくわかる。二人で狩りをすれば仕事としては十分らしいから、ここで薬草を採りつつ、少しのんびり過ごしてくれたらいいと思うのである。クリスが薬師ギルドからいなくなって落ち込むであろうテッドの役にも立つだろう、とサラは思い、いやいや、テッドのことなど考えてやる必要はないと思い直した。
その間に持っていくものとそうでないものを分ける。といっても、ネリーを探すためにローザの町に行った時に、自分のものはすべてまとめてポーチに入れてあるから、魔の山ならではの食材を少し足すだけで済んだ。
「私はサラが来るまでは10日ごとに行き来していたが、ハルトのことを考えると、20日ごとのほうがいいかもしれない」
それがネリーの最後のアドバイスだ。
「今ローザに行って、王都から何か言ってきたりしたら嫌だから、一か月くらいはこもるつもりだ」
「それがいい」
魔の山の最後の日、残るのはハルトとブラッドリーだ。そしてサラとネリーはアレンと共に旅立つことになる。
「ギルドに来たらなるべくのらりくらりと話をごまかしておくが、使者がここまで来たら自分で対応してくれよ」
「わかった。これからも世話になる」
ブラッドリーはヴィンスとそう挨拶を交わした。
「ハルト、元気でね」
「ああ。サラ、アレン、また会おうな」
「もちろんだ」
ハルトとはサラとアレンが別れの挨拶だ。二年と半年お世話になった管理小屋ともこれでさようならだ。サラは管理小屋を目に焼き付けた。そんなサラの肩にネリーの手がぽんと置かれた。
「じゃあ、サラ。そしてアレン。行くか」
「「はい!」」
「俺もいるけどね」
あの時、ローザへ向かうのはサラ一人だった。今度は皆が一緒だ。
「楽しみだなあ」
「ガウッ」
「オオカミは、いらなーい」
いつだって旅の始まりはまず一歩からなのだ。
まだ続きます。次は来週の水曜日です。