静かに暮らしたい
「ああ、誤解しないでくれ。悪いことをして追われてきたわけではないし、追手がかかることもないだろう。迎えは来るかもしれないが」
その迎えというのが怪しいのだ。
「ローザの、しかもこの部屋に三人招かれ人がいることになるな。ハハハ」
ハハハではない。常識人だと思われたこの人も、実は微妙にずれている気がしてきたサラである。
「こちらの世界に招かれてから十数年、特にわがままも言わず過ごしてきたせいか、最近騎士隊からの要求が大きくなってきてね」
ブラッドリーはふうとため息をついた。
「あまりに違うレベルの文化をこの世界にもってくると、大きな影響を与えかねない。その時はいいことに思えても、結果としてよくない事態を招くこともある。今までの招かれ人は皆幼かったし、この世界もその知識を積極的に利用しようとはしてこなかったために、問題は起きなかったようだ。が、最近はそうでもなくて、一例がハルトの麻痺薬だ」
「俺の麻痺薬とか、人聞きが悪いよ。確かに俺のアイデアだったけど」
それは既に謝罪済みなので、ここでは誤解する人はいない。部屋の皆が理解した顔をしているので、ブラッドリーは安心したように肩をすくめた。
「あれこれ聞かれるのも、うかつに答えて何かに悪用されるのももう嫌になった。だから観光を名目に逃げてきた」
「とはいえ迎えが来るんじゃあどうしようもねえだろ」
しかしギルド長に計画のずさんさを指摘されている。
「ああ。だから騎士隊もあんまり行けなかったところに行こうと思って」
騎士隊もあんまり行けなかったところ。サラはピンときた。
「魔の山?」
「招かれ人のお嬢さん」
「サラです」
「サラ。その通りだ。できれば魔の山に行きたいんだ」
部屋の皆は呆気に取られた。魔の山は危険で、ハンターでも行きたがらないところだ。だからネリーが一人で、いや、今はサラと二人で魔物の管理をしているのだが、ここにきてハルトとブラッドリー、二人も魔の山に行きたいという人が現れた。ヴィンスが難しい顔をした。
「だが、危険だ。サラは誤解しているようだが、騎士隊は結構強いんだ。その騎士隊でも優秀な奴らしかたどり着けないところなんだぞ」
「それならブラッドリーは大丈夫だろう」
ネリーがあっさりと太鼓判を押した。
「王都の渡り竜を簡単に倒していた。ハルトも体力こそないが、やはり渡り竜を倒すだけの力はあったぞ」
そこで顔見知りになったのだと、サラには小さい声で説明を足してくれた。
「俺の実力を認めてくれてたんなら、なんで魔の山に行くの反対したんだよ」
ハルトが口を尖らせたが、ネリーは鼻で笑い飛ばした。
「安全な場所で、渡り竜を倒すだけならサラでもできる。サラはワイバーンだって倒せるのだからな」
「いや、私を引き合いに出すのはちょっと……。それに一回だけだし、倒したと言うか自らぶつかって来たというか……」
目立ちたくないサラはもごもごと言い訳したが、驚愕の視線を向けられることになった。
「ワイバーンをか……」
「ワイバーン!」
一部キラキラした視線もあったが、とりあえずサラは無視し、ネリーが言いたかっただろうことを代わりに説明した。ネリーはいつだって言葉が足りないのだ。
「ワイバーンを倒せるかどうかじゃなくて! 魔の山では例えばね、ワイバーンを倒している間にも森オオカミが隙を狙っているし、足元にはたくさんのスライムがいる。転がってぶつかってくる魔物もいるし、強いだけじゃなくて、慎重じゃないと魔の山は暮らすのにはつらいところなの。ハルトはたぶん強いと思うけど、隙が多いし、体力もない。ネリーが気にしてるのはそこだよね」
「そうだ。体力についてはだいぶ改善したようだが」
調子に乗ってうかつなところは改善してはいないだろうとネリーは言いたいのだろう。
「そこで私だ」
「どこでなの?」
サラの突っ込みは無視されたが、ブラッドリーが一歩前に出た。
「このうかつなハルトの」
「ひどくない?」
「……少しうかつなハルトの面倒を見ていた私の出番だ。ハルトのやりそうなことは見当がつくし、なんとかなる。それより、私自身が、人の目のないところで自由にのびのびとのんびりと暮らしたいんだ」
ハルトをどうするかということではなく、要は自分が人目のないところで暮らしたいということらしい。サラはそのお疲れの様子に思わず肩をポンと叩きそうになったが、さすがに遠慮して手を引っ込めた。
「疲れたんだね」
「そう。いるだけでいいと女神は言った。自由に動ける体を得て嬉しかった。だが、自由に動く体を得ても、私は本を読んで静かに暮らしたかったんだ。だが、魔力の大きい私は、魔法を使って戦うことを自然に求められた。世話になっている以上、それに応えねば生きにくかった。疲れたんだよ」
その結果、普通の人が暮らすのも大変な魔の山に行きたいというのも極端な話だが、それだけ人目のある生活に疲れたということなのだろう。
「あと二人くらいなら暮らせるように部屋は整えてきたけれど、本はないよ?」
「ありがたい! 本なら山ほど持ってきた」
ブラッドリーはポンと腰のポーチを叩いた。確かに本好きの物静かな人が転生していてもおかしくはない。
それに、たまにはにぎやかな共同生活も面白いかもしれない。でも、ネリーはどう思うだろう。招かれ人なら、ネリーの圧も気にならないはずだが。
「ネリー?」
「ふむ。いいかもしれないな」
ネリーには好感触なようだ。ネリーはギルド長のほうを見た。
「ギルドとしてはどうだ?」
「魔の山の担当のハンターが増えるというだけのことで、ローザの町としては助かるが」
ギルド長ではなく、ヴィンスが答えた。
「いや、増えはしないが」
「は? どういうことだ?」
ヴィンスだけでなく、部屋の全員が疑問に思った。
「代わりの者がいるのなら、そろそろ魔の山の管理人を交代してもいいだろうということだ」
「え? ええー!」
部屋は叫び声でいっぱいになった。