また一人
「失礼する」
客は既に案内されてきていたようで、許可も出ていないのにすたすたと部屋に入って来た。
「ブラッドリー!」
ハルトは立ちあがると嬉しそうに駆け寄った。そういえばブラッドリーという名前は聞いたことがあるとサラは思い返していた。確か、そう、常識のある招かれ人、だったと思う。
「ハルト。遅くなった」
「いいんだ。俺、こっちですごくよくしてもらってたから」
「そうか」
ハルトの返事を聞き口元に笑みを浮かべたブラッドリーという人は、ハルトやサラの黒髪と違い、アレンのようなくすんだ金髪に緑の瞳の、静かなたたずまいの人だった。テッドよりはだいぶ年上、ヴィンスよりはだいぶ年下、そんな年頃で、確かに見るからに常識人だ。
ブラッドリーは、ハルトから目を離すと一瞬サラに目を留めたが、声はかけずに少し目をさまよわせた。
「突然の訪問すまない。私は招かれ人のブラッドリーだ。王都から来た。ギルド長はどなただろうか」
「俺だ。ローザのハンターギルドへようこそ」
ギルド長がちょっとかっこいい感じで立ちあがると、ブラッドリーに向けて両手を広げた。そういえば握手をしている人を見たことがない。これが歓迎の意なのだろう。
「ハルトが迷惑をかけていなければいいが」
「う、うむ。まあ、今は大丈夫だ」
「今って、ずっと迷惑はかけてないよ」
「自覚なしだもんな」
正直なギルド長にブラッドリーは苦笑した。
「一緒に住んでいれば私がもう少し見てやれたんだが。招かれ人ごとに、後見する貴族が異なる決まりでね。そしてローザの招かれ人も、誰が後見するかで王都は騒がしくなっていたよ」
「騎士隊から漏れたか」
ネリーが厳しい顔になった。
「ああ。招かれ人が王都以外に出ることはまれだし、しかも少女だ。てっきりローザの町長が囲い込むかと思っていたが」
その町長はテッドのお父さんだと思うと、サラは保護という意味だろうが囲い込まれるという言い方にちょっと嫌な気持ちになった。
「あー、俺たちは、サラが招かれ人だとは知らないんだ」
「そうだな。別にサラが俺たちにそう話したわけでもないし」
ギルド長とヴィンスのそんな返事に、サラは驚いた。
「薬師ギルドも、最近よい薬草を採ってきてくれる少女が現れたことは知っているが、それだけだ。だから町長はそもそも招かれ人がローザに、というか魔の山にいることを知らないのではないかな」
クリスもしれっとそんなことを言う。
もちろん、ハンターギルドの皆は知っているし、テッドをはじめ薬師ギルドの人たちもうっすらとは理解していると思う。
「そういうことになっているのだな。了解した」
ブラッドリーも状況を理解したのか、素直に頷いた。そのブラッドリーに、ネリーが気がかりな顔で尋ねた。
「ブラッドリー。ということは、サラには王都から迎えが来るということだろうか」
「既に準備は済んでいるはずだ。後見は確か……」
たいして興味がなかったのだろう、記憶があいまいで言葉を詰まらせたブラッドリーを見て、ずっと静かにしていたアレンが、急に何かに気が付いた顔をした。
「騎士隊と言えば、伯爵家。宰相の実家」
「そう、そうだ。味方にしたら心強い有力貴族だぞ」
「ごめんこうむるよ!」
サラにとっては思わず叫んでしまうほど嫌な話だった。騎士隊には嫌な記憶しかない。
「とはいっても、そう遠くない日に迎えに来るはずだよ。国としても、女神の招かれ人を放置はできないからね」
「本人が放っておいてほしいと望んでも? 保護者ならいるのに?」
「保護者は家ではなく、個人だろう。それに未成年のうちは無理だね。成人していても難しいのに」
サラは助けを求めてネリーのほうを向いた。
「ネリー、成人って何歳?」
「16歳だが」
「あと4年!」
サラは頭をかきむしりたい思いだった。貴族というものに憧れがないわけではない。特にドレスとか、ドレスとかだ。しかし、この世界に来て出会った貴族といえば騎士隊の人たちだけで、貴族じゃないかもしれないけれど有力者の息子と言えばテッドなわけで、いい印象などこれっぽっちもない。
クリスのことを人ごとのように大変だなあと思っていたが、大変なのは自分もだったと知り、にわかに焦るサラである。しかもクリスの話も、まだ少し聞いただけの状態である。そのクリスが、珍しくサラの目を見て微笑んだ。
「サラ、どうやら私のことを心配してくれているようだが、今は自分のことを考えなさい。ずっと引き延ばしていた依頼だったのだが、私の正直な気持ちをネフに聞いてもらえて、少し気持ちが落ち着いた。素直になるのはよいものだな。それにどさくさに紛れてネフのことを抱きしめることもできたし」
いい話で終わらなかったクリスにサラは少し引いてしまったが、クリスはそれに気が付かずギルド長のほうを見た。
「招かれ人の客人を優先してくれ。私の話は済んだ」
「だがよ、クリス。お前、どうするんだ」
ギルド長はクリスのことを気にかけているようだ。ギルドの長として、ずっと一緒にローザの町のために働いてきたのだから、当然かもしれない。
「なるべく引き延ばすが、結局は行くことになるんだろうな」
「ローザの町はなんとかなるだろうが、ネフェルタリ、お前はどうするんだよ」
「私か? 私は」
ネリーは話の中心ではない自分に話が来たのが意外だという顔をしたが、いつものように切り捨てはしなかった。
「まずはサラと相談してからだ」
そう言ってくれたのがサラには嬉しい。黙って話を聞いていたヴィンスが、客人に目を向けた。
「ところで、あんた、ブラッドリーだったか」
「そうだ」
「あんたも、何のために来たんだ。ハルトを引きとるためだけなら来なくてもよかったように思うんだが」
「ああ。その通りだ」
ブラッドリーは少し困ったような顔でふっと笑った。
「ハルトと同じだ」
「何が?」
その答えに皆が戸惑った。
「逃げてきた。王都から」
「はあ?」
そんなに王都とは生きにくいところなのだろうか。サラは貴族の後見など絶対に受けないと密かに誓った。