クリスの事情
テッドが足を引っ張りながらも、何とか次の日のうちにはローザの町についた。驚いたことに、ハルトはもう疲れている様子は一切なかった。
「もともとダンジョンに潜っていたから、体力や筋力がないわけじゃない。ただ、いろいろな動きをするのと、ただ単調に歩き続けるのとは体の使い方が違うって理解できたら、後は早かった」
「へえ」
ハルトにぐっと二の腕を曲げられても筋肉なのかどうかはよくわからないし、どうでもいいサラである。無事にたどり着けたのならそれでいい。
そろそろ夕方になりそうな時間だというのに、町の東門は大きく開いていた。
「いつもなら私を確認して門が開くのだが、最初から開いているのは珍しいな。うん? あれは」
「クリス様! 俺を待っててくれたんですか!」
疲れてふらふらだったテッドが声だけは元気よく、よろよろと駆け寄ろうとしたのは、腕を組んで難しそうな顔で立っているクリスだった。
「テッドか? そういえばお前も草原に出ていたな」
「クリス様……」
あいかわらず誰に対しても塩対応なクリスである。ということは、クリスがここにいる理由は一つしかない。サラはうんざりと額に手を当てた。
「ネフ!」
「ほらね」
思わず漏れ出た本音である。しかし、クリスの声はいつもネリーを呼ぶ弾んだものではなく、なにか悲壮なものを感じさせた。
クリスはずんずんと歩いてくると、いきなりネリーに抱き着いた。
「おまえ! なにを!」
とっさのことに避けられず、クリスを殴ろうとして上がったネリーの拳が、戸惑ったように開かれて落ちた。
「なんだクリス。何をそんなに必死に」
「離れたくない! 離れたくないんだ」
「はあ? いいから離れろ。おいクリス」
「いやだ」
なんだか子どものようなクリスに、普段遠慮のないネリーも戸惑っているようだ。
そしてそんな二人を見たサラは、そっとため息をついて夕暮れの空を見上げ、心の中だけでつぶやいた。
「今日も服を買いに行けそうにないなあ」
「なんなら俺が一緒に行こうか? テント買ったときみたいにさ」
「アレン、ありがとう」
アレンの優しさに涙が落ちそうだ。
「私だけならそれでも嬉しいんだけど、何とかネリーにも服を買わせたくて」
「ああ。それじゃ本人がいないとだめだもんな」
「それだけじゃなくて、私が先に服を買ったら、『じゃあもう行かなくていいだろう』って言い出しそうで」
「そ、そうか」
それでもネリーが忙しそうなら、自分の服だけでも先に買おうと思うサラであった。
「ネリー、クリス」
らちが明かないクリスを見て、サラはあえてネリーにも声をかけた。クリスにだけ声をかけても返事をしそうになかったからだ。
「ネリー、疲れているよね」
「いや」
「疲れてるよね」
「いや、ああ」
サラと目の合ったネリーは慌てて言い直した。
「魔の山から来たばかりで、疲れたなあ」
「早くギルドの宿に行って休みたいよね」
「もちろんだ」
とんだ小芝居であるが、クリスにはよく効いた。
「こんなところですまない。さあ、すぐにハンターギルドに行こう。というか、いつでも私の家があけてあるのに」
「なぜおまえの家に泊まらねばならん」
ネリーが鈍感すぎてクリスが気の毒なレベルである。とはいえ、これでやっとローザの町の中に入れる。テッドはそのまま自分の家へ、残りはハンターギルドに向かうことになった。
サラは第三層の商店街に切ない目を向けながら、ハンターギルドに入った。
「よう、おそろいで登場か」
なじんだヴィンスの声が響く。カウンターに寄りかかってヴィンスと話をしていたギルド長が、
「アレンたちと行き会うかもしれないと思ってはいたが、テッドはどうした」
「先に帰った。あ、テッドはちゃんと魔の山の手前まで一泊で行けたよ」
「あのボンボンがか。騎士隊でも難しかったのに」
テッドの同行はクリスからギルド長に頼まれたものだったはずなのに、ハンターギルドの親切さと比べてクリスの無関心さはどうだろうと思うサラである。
「テッドは王都にいた時は素材を求めてダンジョンにも潜っていたし、変わった素材があれば遠出もしていた。本来ならばできるはずなんだ。怠けているだけで」
クリスの口から次々とテッドの新事実が出てくるが、サラには怠け者というところだけが響いた。やっぱりねと思う。
「まあ、無事に帰って来たのならいい。明日になっていたら町長が捜索隊を出すところだったがな」
ははっとヴィンスが笑ったが、笑えない冗談だ。
「ところで、クリスが一緒だということは、あのこと、もう話したのか」
「これからだ。部屋を借りたい」
「俺の部屋、集会所じゃないからね」
ギルド長の一言は無視された。なぜかアレンとハルトも加えてぞろぞろとギルド長室の応接セットに落ち着くと、クリスが嫌そうに話し始めた。
「実は、他の町から依頼が来ていてね」
「依頼。ネリーの渡り竜討伐と同じ?」
サラに思いつくのはそのくらいだ。だが、クリスは首を横に振った。
「私は薬師ギルド長だから、そういった依頼は受けるのではなく振り分けるほうの立場なんだよ。でも今回はな」
クリスは大きなため息をついた。
「なんだよさっさと言えよ。他の町からギルド長就任の依頼が来たってさあ」
「ジェイ! 私が自分で言おうと思ったのに」
でもなかなか言わなかったので仕方がないと思う。
「行けばいいではないか」
ネリーはあっさりとそんなことを言う。
「どこの町なんだ?」
それでも興味はあるようで、身を乗り出すようにして話を聞いている。
「カメリアの町だ」
「ああ、西の大きな町だな。そろそろヌマドクガエルの繁殖の季節か」
「ああ。よい毒薬や毒消し薬の材料になるんだが、最近、数が増えているということでな」
「人手が足りぬならそれこそ薬師を派遣すればいいのに。なぜクリスが?」
サラもそう思う。
「カメリアの町で一から薬師を育ててほしいのだそうだ。いずれは王都だけでなく、カメリアにも薬師の学校を作りたいらしい」
「校長先生だ」
思わずサラは口を挟んでいた。王都に薬師の学校があるというのも知らなかったが、テッドを見ていて誰でもなれるのかと思っていたからだ。
「ああ、確かにその役割かもしれない」
ネリーはクリスをじっと見て、口を開いた。
「その仕事が嫌なのか?」
「嫌ではない。ギルド長はそもそも管理と人を育てる役割もある。素質のあるものを王都に送り出すのも含めてな」
「では何をごねている」
「何をごねているだと?」
クリスはばんと机を叩いて立ち上がった。
「ネフと! 離れたくないからに決まっているだろうが!」
「はあ?」
「私がたいして面白くもないローザにいたのは何のためだと思っている。ネフがいたからだろう……」
「そ、そうか。奇特なことだと思っていたが、そんな理由だったとは」
ギルド長とヴィンスが気の毒そうにクリスを見ている。
「断れるんですか?」
サラは気になっていたことを聞いてみた。
「断れはする。だが、常々薬師不足を痛感していたところだし、王都でしか薬師を養成できないというのも面倒なことだと思っていたのでな。どうしても裕福な家の者か、王都住みの者に薬師が偏ってしまう」
つまり、仕事としては魅力的なのだろう。その時、トントンとドアを叩く音がした。
「ギルド長、お客様です」
「何でこの面白いタイミングで」
本音すぎるでしょ。
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