修業始めました
ネリーは家にいるときは身体強化は使っていない。それは体の中の魔力が限られているからだ。同じように、魔法師も盾や結界を張り続けることはできない。
「でも、私は招かれ人だから。常に魔力を吸収して、出し続けることができるんだもの」
つまり理論上は無限に魔法を使うことができる。実際魔力が不足していると感じたことは一度もない。まあ、使ったこともほとんどないのだが。
「だから招かれ人はハンターとして活躍できるんだね! 私はしないけど」
サラはできれば手を上げたくない。これは必須である。
「さて、固くなるイメージ、固くなる、固くなる、イメージとしては鉄かな。固くなれ!」
サラは右手だけ固くしてみた。ネリーが厳かな感じでサラの右手を触ってみてくれた。
「ほう。これはなかなか。むん」
むんってなんだ。サラは疑問に思ったが、明らかにネリーも身体強化をしてサラの手を握っている。というか握りつぶそうとしている。
「いやいやいや、初心者ですから! つぶしちゃだめ!」
「そうか」
そうかじゃないです。手がつぶれたらどうしてくれるのだとサラは思った。
「そんなときのためにこの上級ポーションがある」
ネリーは得意そうにポーションの瓶を差し出した。この世界の怪我はたいていポーションで治るのだった。不思議なことだ。
「いやいや、治るからといって痛くないわけじゃないでしょ。だめだめ」
「そうか」
そうかじゃないです。
「私の身体強化でもつぶれないとは、さすが招かれ人だな」
ネリーは満足そうだ。
「ではオオカミにかじらせてみるか」
「え?」
「ではオオカミに」
「聞こえてるから。繰り返さなくていいから」
サラは思った。私はさっき、魔法を覚え始めたばかり。
なぜか身体強化はできた。ネリーにつぶされずに済んだ。
次はオオカミ。
おかしいでしょと。
早すぎる。
「しかし実践してみないと」
「わかった。わかりました」
サラは根負けした。
「でも反対側の手は抑えていてね」
「わかった」
そういうわけで、サラは左手をネリーにつないでもらい、固くした右手を恐る恐る結界の外へと突き出した。オオカミがよだれを垂らしている。
「ガウッ。ギャッ」
「ひいっ」
大きな衝撃はあったが、むしろそれより歯の砕けた音が怖かった。オオカミはほうほうの体で逃げていった。
「やったな」
やったといえるのだろうか。魔法修行第一日目、すでに心が削られるサラだった。
そのまま満足そうに狩りに行ったネリーを見送ると、サラは掃除を終え、夕食のスープを作りながら考えた。
確かに、オオカミに噛まれても大丈夫な固さを手に入れた。強化を全身にすることはできると思う。しかしだ。
スープに少し塩を足す。
噛まれても大丈夫なように、ということは、噛まれること前提である。つまり、移動している間中、噛まれることを覚悟しなければならないということだ。それはいやすぎる。
ということは、身も守りつつ噛まれないように魔法を使わなくてはいけないということだ。つまり、身体強化ではなく、それを外に広げて、丸い結界を作ればいいのではないか。ネリーも結界とか盾とか言っていたではないか。そうすれば、オオカミが自分に触れることはない。
「今日のサラのスープもおいしいな」
夕食の時間、ネリーが満足そうにスープを口に運ぶ。
「ありがと。それでね」
サラは昼に考えたことをネリーに説明した。
「ふむ。そもそも一定位置で身を守るときは、簡易結界を作る魔道具を使うんだが」
「簡易結界?」
「そうだ。この小屋は周りに結界箱を多数配置しているので、結界が張られていて魔物は入ってこられない。出入りするには、この石を持っていなければならない。摩滅石という。すっかり忘れていたが、後でサラにもやろう」
ネリーは腰に付けた根付のようなものを見せてくれた。
その結界箱を使えば安全に移動できるのではと普通は考えるだろう。
「乗り物に使うことはあるよ。でも、基本的に地面に置くか固定して使わなければならないんだ。だから野営の時は使えるが、移動の時は使えない」
異世界はいろいろ難しい。
「結界を作ってみたいのなら、つまり、やってみたらいい。魔力が多く必要だから、ずっとやっている人は見たことがないけどな」
ということで、次の日も狩りに行く前に見てくれることになった。
「さて、それでは実践編二日目です!」
「ガウ」
「君たちはどっかに行ってて! もう。昨日けがをしたでしょ」
「ガウ」
むき出した口には新しい歯が生えていた。
「うそでしょ。昨日と違うオオカミだよね」
「おそらく同じだ。魔の山の魔物の再生率は非常に高い。だから確実に仕留める必要がある」
そんな話は聞きたくなかった。
「もういいや。では身体強化を丸く膨らませる感じで。結界!」
フワンというイメージで広げた結界を、鉄の固さで強化する。それを見たネリーが腰の摩滅石を外し、剣をすらりと抜いた。
「待って。まさか」
ガッキーンと。結界と剣の間にまるで火花が飛び散るようで。思わず目を閉じたサラが、おそるおそる目を開けると、感心したように結界と剣を交互に眺めるネリーがいた。
「せ、成功?」
「見事だな、サラ」
どうやら成功したようだ。
「失敗したらどうするの!」
「大丈夫だ」
ネリーはニコニコしてポーションの瓶を取り出した。ポーションがあるから何をしてもいいということにはならないでしょ。
「ではオオカミにかじらせてみるか」
「え?」
「ではオオカミに」
「聞こえてるから、繰り返さなくていいから」
サラは思った。結界はできた。
はい、オオカミと対決。
おかしいでしょと。
早すぎる。
「しかし実践してみないとな」
「わかった。わかりましたよ」
結局、いつかはやるしかないのである。
「ガウ」
「ガウ」
ついにか。ついに出てくるのかというオオカミたちの期待を前に、サラは結界ぎりぎりに立ち、改めて結界を作った。人が作った結界と、家の結界とは反発しあわないようだ。
サラはほっとして一歩出た。すぐ横には、オオカミを追い払わない程度の気迫でネリーが付いてきてくれている。だから大丈夫。二歩、三歩。
「ガアッ」
オオカミが結界にぶつかるが、結界が丸いので歯は通らない。
「成功?」
では、なぜ景色が傾いているのか。
「結界が丸い、ということは?」
「ガウッ」
オオカミが体当たりしてきたら。
「あ、ああー!」
「サラっ!」
転がるよね。丸いものは。
サラはネリーが止めてくれるまで緩い坂道を転がり続けたのだった。気持ち悪い。
明日はお休み、あさってから再開します。明日は「異世界でのんびり癒し手はじめます」を更新予定です。