おかえり
サラはいら立ちを抑え込んで一歩前に出た。
「ネリー、ここは私に任せて」
「ほほう。では」
ネリーはサラとは逆に後ろに一歩下がった。
「いい」
何がだと突っ込みたい気持ちも抑えて、サラは右手を前に出した。意味はない。ただ、結界を広げるのにそのほうが気合が入るというだけだ。
今日だって、騎士隊の攻撃を跳ね返したではないか。もっと弱かった時だって、ワイバーンを覆うくらい大きな結界も作れたのだ。
「結界。広がれ!」
サラは自分をおおっていた結界をゆっくりと広げた。まずツノウサギが結界に押されて、少しずつ後退していく。そして入口で待ち構えていた森オオカミも、じりじりと下がっていった。
これで歩く先には何の障害もない。
「要は、近くに寄ってこなければいいんだから」
サラはふんと鼻息を荒くした。
「ハハハ」
何が可笑しいのかネリーがとなりで愉快そうに笑っている。
「せっかくだから思いっきりよく跳ね飛ばせばよかったのにな。でも、サラがそうしないってこともわかってた、私は」
わかっていたことが嬉しくて笑っているようだ。
「つまり、私も今サラの結界の中か。では、サラについていきますか」
世直し一行でもあるまいしとサラは思ったが、そのまま魔の山の入口に向かった。
「山がそのままダンジョンだとは知らなかったよ。というか、ダンジョンって地下に潜るものじゃないの? 外に出てたら、それはただの山じゃないの?」
「不思議だよな」
不思議で済ませる気だな。というか、ネリーは不思議だとも何とも思っていなくて、サラに聞かれたから、たった今不思議だと思ったのに違いない。
つまり、合理的な説明は聞けそうもないということだ。
「ローザに行ったら、ヴィンスに聞こう。いや、待って」
サラは鼻の頭にしわを寄せた。
「ヴィンスだったら、『だってそこにあるんだからいいじゃねえか』って言うし、ギルド長だったら、『知ってなんの意味がある』だろうし、聞くとしたらミーナくらいしかいないな」
町の知り合いの大人は、基本的に皆そんな感じなのだ。
「クリスなら」
「薬師ギルドとはあまりかかわりたくない」
「そうか」
とはいえ、薬草を生計の主にするなら、薬師ギルドに売りに行かなければならないのも確かなので、そのうち聞けたら聞いてみよう。
魔の山に一歩入ると、サラの広げた結界の向こうで、森オオカミたちが悔しそうにしているような気がする。
「ふふん」
サラはどうだと言わんばかりにそのオオカミたちを眺めた。
「とはいえ、入口のあたりは森だから、結界を大きくすると歩きにくいね。私とネリーが入るくらいの大きさで大丈夫」
サラは広げた結界を今度は小さめに調整しながら歩き始めた。それでも二人分だから、結構な大きさがある。
「行きはね、ここまで高山オオカミが」
ドウン。
「え」
「ギエー」
ばっさばっさと、慌てたような羽音が遠ざかっていく。サラはかたくなに上は見ないようにした。きっと鷲かなんかだ。
「ワイバーンだな。久しぶりに見た」
ふう。こんな下のほうまで降りてこなくてもいいのにとサラは肩を落とした。
「それでね、オオカミが」
バン。
「キュピー」
「これは知らないよ! なんなの? コ、コウモリ?」
「昼に出てくるとは珍しい。これは魔の山にだけいる森オオコウモリだ」
「主食は果物とか?」
確か地球にいる大きなコウモリはフルーツが主食のコウモリだった気がする。
「いや。吸血種だな」
「いやー!」
行きに結界に当たって落ちて高山オオカミに食べられていた魔物は森オオコウモリだったらしい。
「魔の森にしかいないから、結構いい値で売れるぞ。被膜が水をはじくいい素材になる」
「一応覚えておくけれども」
とりあえず、さっき結界にぶつかったコウモリは、ふらふらと飛んでいったから大丈夫だろう。
はい、そこ、森オオカミは惜しそうな顔で見送らない。
サラは気を取り直した。
「でね、高山オオカミが、え、うわ」
山道の先のほうから、何か岩のようなものが転がって来た。
「なになになに」
「行きに会わなかったか? ハガネセンザンコウと言って、魔の山の低いところに生息する魔物だ。鱗が固くて鋭いのでいい素材として」
ドン! ゴロゴロゴロ。
いかにも固そうなそれに森オオカミも歯が立たないのか、黙って見送っている。
。
「高山オオカミなら平気で狩って食べるが、森オオカミは食べないようだな」
「へ、へえ」
そういえば、高山オオカミはガーゴイルの固いところも平気で食べていた。
「と、とりあえずバリアがあれば平気だから。早く森を抜けたいな」
「少なくとも、拓けたところには行きたいな。ワイバーンがいる以上、木が生い茂って視界がきかないのはやはり落ち着かない」
サラだって結界があるとはいえ、やはり森は落ち着かないので、ネリーに賛成だ。
しかし森を抜ける前に夜が来た。
森の中の、比較的拓けた場所でキャンプをすることにする。
「へへ。ネリー、これ、見て」
「昨日も見たぞ。テントだろう」
「うん」
今日はネリーと二人なので、特にテントを張る必要はないのだが、サラは、中古だけれど、自分で選んで、自分で稼いだお金で買ったテントを何度でもネリーに自慢したいのだった。もっとも、一人用なので、ネリーと並んで寝るには狭すぎたから、見せるだけでまたしまったのだが。
サラは、ギルドのお弁当箱を出すと、それぞれのカップに水を入れ、お湯にし、お茶の葉を入れた。
ネリーと出かけた時のいつもの手順だ。もっと余裕があるときは、ちゃんとお湯を沸かすのだが、今日は一生懸命歩いたからこれでいい。
「王都にいても、サラの料理が恋しかった」
「ほんとに?」
サラはにこっとした。
「アレンもヴィンスもギルド長もおいしいって言ってくれたけど、ネリーがおいしいって言ってくれるのが一番うれしい」
「本当においしいぞ。だが、そうだな。やっと魔の山から出られるようになったのだから、今度は町に行ったら、宿にも泊まって、町のあちこちの食堂でも食事をしてみような」
それはサラのためでもあるが、きっとサラの料理が一層おいしくなって自分も楽しいという、ネリーの素直な気持ちも透けて見えた。もちろん、ネリーの期待には応える所存のサラである。
「楽しみだな。とりあえず、ツノウサギの調理法はギルドの食堂で教わって来たよ」
「ほう。ツノウサギは案外高級食材だからな」
「高級と言えば」
サラはふと思い出した。
「コカトリスの肉をよく食べてたって言ったら、そんなわけないって言われたんだけど、珍しいの?」
「う、うむ」
ネリーはサラからちょっと目をそらせた。
「まあ、いわゆるあれだ。超高級食材だ」
「それでかあ」
なんかの鳥肉だろうと思われたのはそのせいだった。
「もっといろいろ話そうね、ほんとに」
「うむ。異論はない」
「ガウ」
「ガウ」
ちょっと待って。今何か、とても聞きなれた声がしたような気がする。
「ガウー」
「久しぶりじゃないでしょ! なんでここに高山オオカミが……」
「ガウッ」
いつの間にか、森オオカミの群れは高山オオカミの群れと入れ替わっていた。
「気配がしたからやって来た、とかじゃないよね、まさかね」
「ハハハ。そうかもな。招かれ人だしな。ワイバーンから聞いたのかもな」
「ガウ」
「そうなのか。ハハハ」
ハハハじゃないよと思いながら、なぜか家に帰って来たようなほっとしたような気持ちもしたのだった。
「ガウ」
おかえり、サラ。
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更新は、次は土曜日を予定しています。「転生幼女」は今まで通り月曜日更新です。