目指すのは
「サラ、無理するなよ」
「うん、大丈夫。ネリー」
サラと呼ばれるのにもだいぶ慣れてきた頃には、ネリーと呼び捨てにするのも抵抗はなくなり、山小屋もだいぶ片付いていた。サラの仕事は、とりあえず部屋の片づけとご飯支度だ。
「できる範囲でいいから」
と最初遠慮していたネリーだが、部屋の様子からサラが予想していた通り、家事が苦手だった。
「疲れない体って最高」
サラだってそれほど家事は得意ではないが、少なくとも片付けるのも料理をするのも好きだった。ただ、すぐ疲れるので心ゆくまでやったことがなかっただけのことで、いくら働いても疲れない体のありがたさを実感する毎日である。
ネリーは普段は魔の山の小屋の付近の魔物を討伐し、その魔物を売るのと、必需品の買い出しに一〇日に一日くらい町に行く。行きに丸一日、帰りに丸一日かかるため、町に一泊してくるので、サラは最初は置いて行かれることが少し不安だった。
しかし、もともと一人暮らしだし、山小屋は結界に覆われているからすぐに慣れた。時々大きいものがドーンと結界に当たっている気配はするが、入ってこられないので安心だ。
「本当はこんなに頻繁に町に行きたくはないんだが、収納袋に入る量には限りがあってな」
物語の収納袋のように、無限に入るということはないらしい。一〇日ほどでいっぱいになるので、町に売りに行っているというわけだ。
「サラも時々目にするだろ? 収納袋に使う魔石には、迷いスライムの核が必要なんだが、一番大きい核を使った収納袋でも、ワイバーンが二〇頭くらいしか入らない」
初日に見たワイバーンはそこらじゅうを飛んでいる。地上に降りてくることはめったになくて、倒せるのは本当にまれなことらしい。あの時はいいお金になったとネリーは笑っていた。
「迷いスライムって、あの、目の端にちらっと映っていなくなるあれ?」
「そう。割とそこらへんにいるスライムなんだが、何せ捕まえるのが難しい。剣士ではまず無理だし、魔法師も狙いを定めるのが難しくて、一面を焼き払ってやっと一つ手に入るくらいだな。後は地下ダンジョンの宝箱」
だからそもそも収納袋が貴重で、小さい収納袋でも結構な値段がするのだという。
「ま、なければ仕事にならないんで、いっぱしのハンターは大体持ってるよ。私は腕のいいハンターだから、最大級に入るやつを持ってる」
ネリーの目がほめてくれと言っているので、サラはくすくす笑いながらすごいねと言った。
「私もいつか買えるようになるかなあ」
「うーん。サラはハンターは無理そうだしな。どうやって稼がせるか」
ネリーは自分がハンターだからか、世の中のほかの職業をよく知らないらしい。
「手っ取り早いのは、薬草採取なんだが。ハンターも最初はよくやる」
「やってみたいけどね」
サラは小屋のドアを開けてみた。
「ガウ」
そしてドアを閉めた。
「ふう」
サラはそもそもまだ小屋の外に出られないのだった。正確には、小屋の結界が作動している階段の下までは降りられるし、小屋に沿ってぐるっと回ることはできる。しかし、結界のすぐ外にはいつもオオカミがうろうろしているし、草むらには、動物を溶かすスライムがあちこちにいる。
もっとも、そのスライムのおかげで部屋のゴミはきれいさっぱり片付いたわけだが。
「とりあえず、今度薬師ギルドから薬草一覧をもらってくるよ。知り合いもいるしね。あいつら、いつも薬草不足だから、採取できたらすぐに売れるだろうし」
「うん。お願いします。このままじゃいつまでも町に行けないもんね」
お金もない、強くもないのでは、いつまでもネリーにお世話になってしまう。
「いや、ここにいつまでいてくれてもいいんだ。女神ともそういう約束だろ?」
「うん。でもね。せっかく動けるようになったから、もっといろいろなところに行きたいんだもの」
サラがそう言うと、ネリーはなぜだかいやそうな顔をした。
それからしばらく口数が少なくなり、サラを心配させたが、次に町に出て戻ってきたときには、何かを吹っ切ったようにすがすがしい顔をしていた。
そして懐から大事そうに薄い二冊の本を取り出した。
「私は剣士だから、魔法で戦おうとも思わないし、薬草を採ろうとも思わない。だが、サラは剣士にはなれない。だからほら、魔法教本と、薬草一覧をもらってきた」
「わあ、ありがと」
サラはネリーにギュッと抱き着いた。そうするとネリーはいつもほんの少しためらい、それからギュッと抱き返してくれる。そうしてほっとしたように大きく息を吐くのだ。
まるで疲れや嫌なことを吐き出してしまうように。
だからサラは、ネリーといられるときはなるべく一緒にいるようにしている。
女の人とはいえ、不潔でぶっきらぼうな知らない人との同居はかなり不安だったのだが、思ったよりずっと心地よく過ごすことができている。
それはネリーが余計な干渉をしないせいかもしれないし、サラがあまりおしゃべりではないせいかもしれない。女二人なのに静かな山小屋で、剣の手入れをするネリーの傍らで二冊の本を読みこんだり、料理の下ごしらえをするのがそれからの二人の過ごし方になった。
「さて、それでは実践編です!」
本を買って読んだだけでは薬草は採れないし、魔法も使えない。サラは頑張って魔法を使う訓練をする決意を固めた。
家の中では危ないかもしれないので、玄関を出たすぐの、階段の上のデッキのところでサラはネリーに向き合った。
「ねえ、ネリー。そもそもこの世界の人って、みんな魔法を使えるの?」
「無論だ。そうか、サラは魔力のない世界からの招かれ人だったな」
これが出会って一か月後の二人である。もう一人ここにいたら、やっと今頃かと突っ込んでいたに違いない。
「魔法というと、攻撃魔法を思いつくが、魔力とはそれだけではないんだ。つまり」
「つまり?」
サラはわくわくして尋ねた。
「もう一つの体、というか」
「というか?」
「もう一つの自分、というか」
「……」
抽象的でわかりにくい。ネリーは致命的に教えるのが下手だということだけはわかった。どおりで直接教える前に教本をもらってくるわけだ。サラは魔法の教本を思い出してみた。
「確か魔法の教本には、魔力は自分の思い描いた通りの力になると書いてあったよね。自分の魔力量に応じて、無理せず、自由に。その手本をここに記す、って」
「その通りだ。そこでまず安全な水の魔法から習うことが多いのだが、私は違っていて」
ネリーは迷うようなそぶりを見せたが、いきなりサラに手を差し出した。
「手を握ってみるんだ」
「こう?」
サラはネリーの手を握ってみる。さらににぎにぎと揉んでみる。柔らかくて気持ちいい。
「いつものネリーの手だけど」
「うん。でもここに魔力を流すと、こう」
ネリーがもう一度さわれと手を差し出した。
「え」
手が固い。かちんかちんだ。
「どうして?」
「私は魔力の使い方が身体強化に特化しているんだ。剣士だが、本当は剣もたいしていらない。魔力をうまく使えば、体すべてが鈍器になる」
「だからオオカミをこぶしで殴れるんだね」
「そうだ」
ネリーがこぶしを握ったまま階段のほうを向くと、うろうろしていたオオカミが数歩下がった。怖いならうろうろしなければいいのに。
「オオカミがうろつくようになったのは、サラが来てからだな。いつかサラが小屋から出てくるかもと期待して集まってきている」
「怖いし。そんな期待いらない」
サラはげっそりとした。しかしこのオオカミを潜り抜けなくては、町に行くどころか、薬草さえ採取できないのだ。その時だ。サラははっとひらめいた。
「ねえ、私も身体強化ができれば、オオカミにかじられても歯が通らないんじゃない?」
倒せなくても、自分を守ることができれば、少なくとも移動はできるのではないか?
ネリーは感心したようにうなずいた。
「確かにな。そういえば魔法師は盾の魔法を使ったり、自分の身の回りに魔法で結界を作ったりするな」
「それだ! 私の目指すべきところは!」
目標ができた。
異世界転生・転移日刊ランキング入り記念に、今日はもう一話更新しました。明日からは金曜日を除く朝6時更新です。