テッドとクラリッサ
「はあ? 台所を貸せ? なんでだ?」
呼ばれて出てきたテッドは、台所を使わせてほしいと言うと、あからさまに不審な顔をした。
「だから、魔の山に行くのに、一ヶ月くらいの料理のストックが欲しいの。お店の料理ばかりじゃ飽きるでしょ?」
「飽きないが? それになんで俺の家なんだ」
「だって、ローザにいて、台所が広くて、遠慮なく頼れるのはテッドだけなんだもの」
「頼れるって……」
プイと横を向くが、照れたのか耳が赤くなっているのが笑える。どうやら効果は抜群らしい。
「ゴホン、遠慮はしろ。だが、まあ貸してやる。料理長に相談して、空いている時間を相談するといい」
「やった!」
これで料理する場所は確保できた。野外でも料理はできるのだが、オーブンやコンロが複数ある場所のほうがはかどるのは事実である。
喜ぶサラを見て、テッドは肩を落とす。
「自由に動けるお前がうらやましいよ。魔の山か。俺も、いや」
テッドは首をかすかに横に振った。
「町長をやるって決めたんだ。もう、薬師じゃない」
そうつぶやいたテッドは、寂しそうな眼をしていた。
わがままを言わずに我慢しているテッドは偉いと思うが、テッドらしくない気もして微妙だ。
「そうなの? でも、クリスは言ってたじゃない。テッドはローザの町長だが薬師でもあるって」
「あれは嬉しかった。だが、実際仕事は山ほどあるし、町を広げる仕事も始まったばかりだ。東の草原の街道だって最後まで通したいし、薬師ギルドもハンターギルドももう少し大きくしたいし」
やらなければいけないことを、うわごとのようにつぶやくテッドの目の下にはクマがある。
知り合いの気安さで、いきなりテッドを呼び出したうえ立ったまま話していたサラは、自分も疲れさせている一人なのだと反省した。
今やテッドは忙しい、町長という立場の人なのだ。
「あ、じゃあちょっとこっちに座ろうか」
「なんだよ。ここは俺のうちだぞ」
ぶつぶつ言うテッドを引っ張って、家令らしき人が案内してくれた応接セットに座らせる。
もちろん、自分も座った。
「まあまあ、ここは本当はテッドが私をもてなすところだけど、今日は私がもてなしてあげる」
サラは、大ぶりのカップに、まずヤブイチゴのシロップと水を入れてほどよい濃さにする。
「むーん」
それからカップを両手で包むと、ひんやりするまで冷やす。
「はい、冷たいヤブイチゴのジュース」
「お、おう。ありがとう」
テッドはしぶしぶカップのジュースに口を付ける。
冷やしたお茶のほうがよかったかなと思っていると、一口飲んで、それから迷いなくごくごくと飲み干してしまった。
「ああ、草原の味がする……。また旅がしたい……」
人が旅がしたいと言い出す時は、たいてい煮詰まっている時だ。
サラはソファに寄りかかってだらけているテッドに、お替わりを申し出ようかどうか悩みながら、なにかしてあげられることはないかと考える。
「旅か……。いや、待って?」
さっき、テッドは魔の山に行きたいと言っていなかったが。
「つまり、ギンリュウセンソウを採りに行きたい?」
「行きたいさ! だが、実力不足で、しょせん、金に飽かせて行くしかなかった俺を笑えよ……」
すっかりぐれているテッドである。
だが、そもそもサラは、テッドが高潔な人物だとはかけらも思っていないし、ぐれているのが普通だと思っているので、事実をたんたんと指摘するだけである。
「いや、お金を支払って行くのは別に笑うようなことでも何でもないでしょ。正当な取引だもの。相手も儲かってよかったじゃない」
「そういう問題では」
「そういう問題でしょ」
何をグダグダしているのだと言いたいサラである。
「私、これからしばらく魔の山でどんな薬草があるのか調査する予定なんだだけど」
「う、ら、や、ま、し、い、ぞ」
テッドの声が地を這うようだ。
「それが落ち着いたら、連れて行こうか?」
「え?」
テッドが何を言われたかわからないという顔をしている。
「だから。魔の山に連れて行ってあげようか? 私、バリアを使って人も運べるようになったんだよね。ほら、怪我をしたルロイを連れて帰ってきたのも私だし」
「え?」
ルロイのことについては知っているはずなのに、反応が悪い。
「あ、何なら新婚旅行ってことで、クラリッサと一緒にお祝いに連れて行ってあげてもいいよ。クラリッサ、喜ぶんじゃない? 薬草採取、大好きだから」
テッドはついに黙り込んでしまった。
そうなると、一緒にいても仕方がないので、サラは家令に料理長を紹介してもらおうと席を立つことにした。
「サラ」
置物のように動かなかったテッドから声が聞こえてきた。
「なに?」
「なんで、なんでそこまでしてくれる? 俺は、小さかったお前を助けるどころか、意地悪をして苦しめた男だぞ」
「そこまでって」
サラはもう、誰かに利用されるだけの少女ではない。
力を知られたくなくて、ずっと目立たないように生きてきた。
もちろん、もともとの性質もある。
だけれども、今のサラは、自分の力を全力で使ったとしても、利用されずに権力をはねのけられる意思も力もある。だから、自分の力を隠さず、自由に使っていいと思うようになってきた。
そしてサラのやりたいことは、誰にも迷惑をかけないどころか、誰かの役に立つ仕事なのである。
だったら、サラの力を、知り合いのために、しかも楽しみのためだけに使っても全然かまわないと思うのだ。
「テッドはもう、ちゃんとした知り合いでしょ。薬師として魔の山に行きたい気持ちはわかるし、連れて行くのも別に大変じゃないし。町長が大変なら、少し息抜きしてもいいんじゃないって思ったから」
「サラ……」
テッドが何と言っていいかわからないという顔をしている。
「ゆっくり考えてみて。私ね」
サラはくすっと笑った。
「町長だが、薬師でもある、って、けっこうかっこいいと思うよ」
「なっ!」
今度は耳だけじゃなくて、テッドの顔中が真っ赤になった。
「それじゃあ、台所の件、よろしくね!」
「サラ! お前、おい!」
「ハハハ」
テッドをやり込めるために必要なのは、どうやら意地悪をし返すことではなく、親切にすることらしい。してやったりという喜びに浮かれるサラであった。
それから一週間、サラの午前中は、東の草原でクリスやネリーと共にあった。
クリスが植生や地形を調べている横でネリーがツノウサギを殴り飛ばし、サラは調査には参加せずに、見つけた薬草類をかたっぱしから採取し、おまけで結界の周りで倒れているツノウサギを拾う生活だ。
アレンやクンツと一緒に、ダンジョンに潜っている時と同じである。
けれども、目の端に入る二人は、時にはお互いを見守り、時には肩を寄せ合い、時には地面を指さして何かを話し、面白いものがあればサラを呼ぶ。
そこには、アレンやクンツと一緒にいる時とは違った親しみがあり、それは例えるなら仲のいい家族のような、温かいものだった。
「親が仲がよくて嬉しいけど、ちょっと自分も見てほしい子どもみたいな気持ち、かな」
二人がどのように仕事をしているかあまり知らなかったサラは、熱心に仲良く仕事をしている二人を見て本当に嬉しい気持ちになる。
お昼を食べたら、そのまま仕事を続ける二人を置いて、買い出しをしてからクラリッサを誘ってテッドの家に向かう。
薬草講習を終えてしまい、クラリッサがどうしているか気になったのもあったし、テッドの家に行くのに、誤解を招きたくなかったというのもある。クラリッサに対しても、町の人に対してもだ。
「招かれ人がクラリッサが必要と言うのであれば、まあいいでしょう」
サラが初めてクラリッサを誘いに行った時、ゴドウィンは渋い顔だった。
薬草採取に出かけていたのにも反対していたらしい。
テッドのうちに行くので、付き添ってほしいと言ったら、なんとか許可が出た感じだ。
クラリッサは驚きながらも喜んで付いてきてくれた。
薬草採取の講習で心を開いてくれたようだ。
「薬草採取の講習がなくなって、寂しかったので嬉しいです。でも、ちゃんと薬師を目指すのですから、この後は一人で採取に出かけるか、薬師ギルドに押しかけるか迷っていたんですよ」
すっかり前向きになっていて表情が明るい。
料理には興味がなさそうなので、お料理が終わるまでテッドの執務室にいてもらう。
料理が終わったら、サラも、テッドの執務室に押しかけて、そこで午前に採った薬草を使って調薬をする。
「やめろよ。俺を苦しめて楽しいか?」
テッドが書類と格闘しながら毎日文句を言う。
「とっても楽しい」
ある意味、これもローザでテッドにやられた意地悪の仕返しかもしれない。
「クラリッサも、執務の続きを手伝ってくれよ」
「それは後でお手伝いします。今はサラの調薬のお手伝いで忙しくて」
「俺だって調薬くらいできるし。っていうか、やりてー」
やればいいのにと思っているが、それは言わない。
と思っていたら、クラリッサが言った。
「もしその、私がいずれこちらに越して来たら、調薬はやっぱりここでやるのかしら」
なかなか結婚まで至らないといっても、結婚することは二人にとっても確定のようで、結婚したらどうするかという話は自然に話題に上がる。そのたびにさっさと結婚すればいいのにと思うが、サラは絶対、人の恋路には口を出さないと決めている。
「そのころには一人で調薬できるようになっていますからね。テッドの調薬のお手伝いなんて立場には甘んじません。テッドはテッド、私は私で調薬するとして、そうすると机はもう一つあったほうがいいかしら」
「なんで俺が調薬することが決定事項みたいになってるんだよ」
「だって、テッドは薬師ですもの」
テッドが黙り込み、執務室にはゴリゴリカチャカチャという、薬草を丁寧にすりつぶす音だけが響く。
「おい! ずっと思ってたが、薬草のすりつぶしが荒い。もっと丁寧に」
「丁寧って、こうですか」
「違う! こうだ」
ついにテッドが立ち上がって、クラリッサの後ろに立ち指導を始めた。
「均一にすりつぶすためには、こう」
「こう?」
「そうだ」
カメリアで、教えてくれと頼んでもいないのに、テッドにポーション作りの手伝いをさせられたことを思い出す。
あの時は口うるさい男だと思ったが、こうしてみると、なかなか丁寧に教えていることがわかる。
もっとも、サラの時はこんな風に手を添えたりはしなかったと、心の中でニヤニヤしながら二人を眺めるサラである。
「テッド、魔石の件だが」
突然ドアが開いたかと思ったら、顔を出したのはゴドウィンだった。手には書類を抱えている。
「なっ! 何をしているのだ! 娘から離れなさい!」
ドアから見ると、テッドがクラリッサを後ろから抱きしめているように見えたのだろう。
クラリッサが振り向くと、テッドと目が合う。特にやましいことをしていなくても、その距離の近さに二人の顔が一瞬で赤くなった。
「違うんです、お父様! 私はただ、ポーションの作り方を教えてもらっていただけで!」
「まだ薬師になりたいなどというたわごとを言っているのか……」
ゴドウィンはため息をついて、手に持った書類をバサバサと動かした。
「テッドもいい加減に、町長という仕事に集中しなさい」
サラは部外者ではあるが、テッドが気になってちらりとそちらの方を見てしまった。
こないだギルド長室では、まるで能面のような顔でゴドウィンの言葉を受け入れていたテッドを見ていたから。
でも、今日のテッドは、クラリッサの手に手を添えたまま、意思のある顔で前を向いていた。
「ゴドウィン。俺は、クラリッサが薬師になることには賛成です」
「テッド! 本当に?」
クラリッサが嬉しそうにテッドを見上げる。
「駄目だとは一度も言っていない。ただ、ちょっと年が行き過ぎているかと思っただけで」
「まあ」
誰のせいなのかと、クラリッサの目がきつくなる。相変わらずデリカシーのない男である。
「そして俺も、薬師であることをやめたつもりはありません」
「だが、薬師をやっている暇などないだろう」
ゴドウィンはいらいらと書類を上げ下げする。
「確かに、町長の仕事は忙しいです。でも、この数日、サラとクラリッサがわざわざ仕事の邪魔をしに来るようになって、気がついたんです。邪魔されてるのに、仕事がはかどっているってことに」
それは、サラが料理している間にクラリッサが手伝っているからではないだろうか。
「俺は、薬師です。薬師であることをやめたら、町長という肩書があっても、結局はただの態度が悪いだけの身分のある男ということになってしまう」
サラは噴き出しそうになるのを必死で抑えた。
真面目な話ではあるが、テッドが自分のことをちゃんと理解していて笑ってしまう。
「薬師という土台があってこそ、誇りと目的を持って町長をやれるということに気がついたんです。だから、薬師はやめないし、クラリッサがやりたいならやればいい」
「な、な……」
ゴドウィンが頭から火を吹きそうだ。
「クラリッサ」
テッドは、今度は腕の中のクラリッサのほうに向いた。
「はい」
「長く待たせたが、そろそろ結婚しよう」
「まあ。でもどうして急に」
いきなりのプロポーズでサラは驚いたが、クラリッサは冷静だった。
「クラリッサが一緒にいてくれた方が、いろいろなことがずっと楽だとわかった」
「そんなところだろうと思っていましたよ」
クラリッサは諦めたようなしぐさで肩をすくめる。テッドにロマンチックを期待しても無駄だとわかっているのだろう。
「町長の仕事も楽になるし、一緒に調薬できるのが楽しいし、なにより、一緒にいると、息をするのが、生きていることが楽になるような気がするんだ」
「ずるいです」
ぷいっと顔をそらしたクラリッサがかわいい。
「そんなふうに言われたら、はいとしか言えないじゃないですか」
「いや、クラリッサ、お前、その年ではどんなふうに言われてもはいと言うしかないんだぞ」
ゴドウィンの余計な突っ込みは二人の耳には入っていないようだ。
サラはこそこそとポーションづくりの道具を片付け始めた。ちなみに、クラリッサの道具は自前の物なので、後で自分で片付けるだろう。
なにやらいい雰囲気のテッドとクラリッサを二人きりにするために、サラはゴドウィンの肘に手を当てて、執務室からそっと連れ出した。
「薬師などと……」
ぶつぶつ言いながらゴドウィンは肩を落とす。
サラは励ますように腕をぽんぽんと叩いた。
「よい職業ですよ。人様の役に立つ仕事です」
「すまない。招かれ人で薬師でもあるサラを馬鹿にするつもりはないのだが……」
「大丈夫ですよ」
サラはゴドウィンを応接室に連れていく。
テッドのお屋敷をまるで自分の家のように使っていのがおかしくなる。
「テッドの父親代わりのようなものだと、ジェイから聞きました」
「そうか、ギルド長がそんなことを……」
サラにしてみると、ゴドウィンの印象はあまりよくないが、それはゴドウィンの言動が古くて頭が固いと思われるものだからだ。若いサラは、どうしても反発してしまう。
だが、若くして父親を亡くし、町長になったテッドとローザの町のことを心配してのことだと思えば、なんとなく理解できる気がする。
「ええと、クラリッサが薬師になりたいと声をあげたことで、結果的にテッドが結婚の気持ちを固めてよかったですね」
「それはそうだ」
父親だからこそ、いつ結婚するのかとハラハラしていたことだろう。
「テッドは、あれをしろこれをしろと言われて動くような人じゃないですから、薬師の仕事を餌に、町長の仕事をさせたほうがよく働くと思いますよ」
「薬師の仕事を餌にって……」
ゴドウィンはあっけにとられた顔をした。
「そんな言い方をして、君はテッドの友だちではないのかね」
「友だちですけど」
友だちとまで言っていいかは、正直わからない。
「だからこそ、ちょっと変わった人だって知ってるんです。やる気のないことはやらないってことも、愛想がないことも、他人には興味がないとか、いろいろです。でも、薬師としては優秀で情熱を持って仕事をする人だということも知ってます」
「そうか。テッドにもいい友だちがいたんだな」
友だちとまで言っていいかは、やっぱりわからないのである。
「いいほうに転がったんだから、あまり気にしないのがいいと思いますよ」
「そうかもしれんな」
次の日、テッドとクラリッサに、魔の山への新婚旅行の計画を聞かされて、プロポーズはそれが目的だったのでないかとちょっと疑ってしまったサラである。
「まず一歩」10巻、11月25日発売です。
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