高山オオカミ
「何が起きているんだ」
「とりあえず、刺激しないように進もう」
救出すべき人たちが目に入ってるのだから、もう悩む必要はない。サラはまずバリアで前の五人を覆うと、すっと緑の色を付けた。
それに目ざとく気がついたのはアレンだ。
「サラ?」
はっとしたように振り向くと、こちらを認めて満面の笑顔になった。
同じく、ネリーもこちらに振り向いて、笑顔になったが、二人ともすぐに視線を前に戻す。
「お前ら! 大丈夫か!」
ハンターたちは動きに気をつけながらも、取り残されたベテランハンターのもとに向かった。
「お前たちも来てくれたのか」
ほっとしたように口元に笑みを浮かべる三人は、大きな怪我をした様子はなく、毒に侵されているようでもない。結界箱を設置していたと言っていたから、それがここなのだろう。
うまく逃げ込めてよかったと、サラはほっとした。
だが、すっかり疲れ切った姿で、力なく座り込んでいる。
「食事はとりましたか? 水分は?」
「それは大丈夫だ。ただ、眠れていなくてな」
結界箱があるとはいえ、何かの拍子にずれてしまえば結界は消える。
緊張して眠れなかったのだろう。
「じゃあ、ここで少し寝てください。私のバリアは、結界箱と違って決して壊れません。ワイバーンも防ぐんですから」
「ああ、君が魔の山に住んでいたという、招かれ人のサラなんだな。アレンがきっと来ると言っていた。サラが来たらもう大丈夫だからって」
アレンの信頼に心が熱くなる。
「そうです。私が眠ったとしても解けない、鉄壁のバリアです」
サラは、バリアの色を少し濃くして見せた。
「俺たちもいる。ほんの少しでいい、横になれ」
「ああ……」
アレンとネリーが助けに来ても、コカトリスが目の前からいなくならなければ、撤退もできない。
丸二日以上寝ていないのに違いなかった。
サラのバリアというよりは、顔見知りのハンターがたくさん来た安心感のほうが大きかったのだろう。三人のハンターは横になった途端に眠ってしまった。
バリアを維持しつつ、サラは自分に何ができるか頭を働かせていた。
サラがいれば、どんな魔物の群れの中に孤立していても、バリアを使って救い出すことができる。
そう思って魔の山までやってきたけれど、少なくともハンターたちは孤立はしていなかった。
そうなると、次にどうするか。
疲れ切ったハンターたちを、バリアの担架で運んで戻ることもできる。
アレンやネリーも一緒に連れ帰ってもいい。
だが、この状況はどういうことだろう。
サラは立ち上がると、お互いに一歩も引かないと言わんばかりのコカトリスと高山オオカミを眺めた。
「どうなってるの?」
「私たちが来た時には、まだコカトリスだけだったんだ」
ネリーが静かに説明を始めた。
「幸い、コカトリスは中腹より下までは来ていなかった。コカトリスはたくさんいたが、ハイドたちは街道沿いにいるはずだ。道をたどっていけば、いずれ出会う。アレンと共に、群れに踏み込む覚悟を決めた時、高山オオカミが集まってきているのが見えたんだ」
アレンとネリーも、ちゃんと考えて救出に向かっていたんだなとサラは感心した。
「コカトリスが高山オオカミに気を取られた隙に、一気に群れに踏み込んで、街道沿いに走り、すぐにハイドたちを見つけた。すぐに隣に結界箱を設置し、そこから少しでもコカトリスを減らそうと準備を始めたところ……」
ネリーたちの結界箱で群れが区切られたせいか、その前に高山オオカミが陣取りだし、次第にコカトリスと高山オオカミの群れでにらみ合いが始まったのだという。
「コカトリスはともかく、こんなにたくさんの高山オオカミを見たのは初めてだ」
つぶやくネリーに、サラはこくこくと頷いた。完全に同意である。
ここでギルド長が初めて口を開いた。
「邪魔をするなら、高山オオカミも狩らなければならないが、この場合、高山オオカミに手を出していいものかどうか悩んでいたところだ」
こしてみてみると、ギルド長もハンターなのだなと思うサラである。
「さすがにこの数を私たちだけで倒すのは無理だ。一番無難なのは、サラに守ってもらって全員で撤退することだな。ハイドたちを連れ帰ることが私たちの役目だ」
ギルド長が堅実な意見を述べているし、サラもそれに賛成だ。
「寝てる人もそのまま私のバリアで運べます」
サラもそれが実現可能であることを言っておく。
「だが、この後どうなるのか、気にならないか」
ネリーが立ったまま、反対の足に体重を移動させた。
「私はずっと魔の山の管理人をしていて、高山オオカミとはよほどのことがない限りかかわりを持たずに来た。サラをかじろうとしたり、私の邪魔をしようとしたりしない限りはだが。
そういえば、魔の山時代、高山オオカミを狩ってきたぞという話は聞いたことがなかった。
「おいしくないから狩ってこないんだと思っていたよ」
「食べようと思ったこともないな、そういえば」
手前の高山オオカミがちらりとこちらを見たような気がする。
「その一番の理由は、魔物を減らす側だということだな。私が魔の山にこもっていたのもそのためだから、私の代わりにオオツノジカやワイバーンを狩ってくれるのなら、それはそれでいいと思っていた。あと、増えたのを見たことがない。サラを狙ってきていた奴らも、一定数から増えたことがなかった。増えすぎたら狩ろうと思っていたのだがな」
そういえば、サラは高山オオカミの子どもを見たことがない。
「魔物はダンジョンで自然発生する。コカトリスやニジイロアゲハのように、まれに子を持つ者もあるが、それらでさえ最初は自然発生だと言われている。高山オオカミは、自然発生する数が少ないのだと勝手に思っていたんだ。だがこれは……」
百頭以上いる高山オオカミを見ると、数が少ないとはとても言えない。
「なぜコカトリスと向き合っている? これから何が起きる?」
サラは改めて、ネリーが魔の山の管理人として、いかに真剣に取り組んでいたのかを知ることになった。
ネリーの話を聞いて、改めてしっかりと高山オオカミを観察していると、やがて高山オオカミが一頭、二頭と立ち上がり始めた。
「ガウ」
「ガウ」
人がざわざわとざわめくように、高山オオカミの唸り声が響き始める。
「ガウッ」
突然近くの高山オオカミがこちらに振り返ったので、ハンターたちは腰を落として、ある者はこぶしを構え、ある者は剣に手をかける。
その反応はさすがベテランハンターと言われるだけあると、サラは感心する思いである。
だが、オオカミは苛立ったように唸り声を繰り返した。
「ガウッ」
「ガウッ」
「え、お前たちも来い?」
魔の山の朝、もっと骨付き肉はないのかと、サラにねだった高山オオカミの声が聞こえたような気がした。
そういえば、なぜサラはあの頃、高山オオカミの言いたいことがわかったのだろう。
動物を飼っている人は、そんなふうに動物の心を想像して会話をするのが普通だからと思っていたが、違ったのだろうか。
「ガウッ」
「ガウー」
サラは遠くの物音を聞くかのように耳に両手を当てた。
「一緒に狩りをしようって、言ってる気がする」
ざわざわと、不審そうなハンターたちの気配がする中、アレンの声が響いた。
「サラが言うんなら、そうなんだろう。あいつら、サラのオオカミみたいなもんだからな」
そう言うとアレンはすたすたと前に進み、あっという間にサラのバリアから外に出てしまった。
すぐ近くにいるはずの高山オオカミはコカトリスから目をそらさず、アレンを襲おうともしない。むしろ少し移動し、まるでアレンも群れの一員のような配置になってしまった。
「もし高山オオカミが襲ってきても、俺の身体強化ならオオカミの牙のほうが折れちまう。サラ、心配するな」
「それもそうだな」
サラがおろおろしている間に、ネリーまですたすたとアレンのところに行ってしまった。
「しょうがねえ。やるか」
ギルド長まで歩いて行ってしまった。
バリアを拡げるべきか、けれどそうすると高山オオカミも弾いてしまう。
「ガウー」
「ガウー」
「信じろって? 隙あらばかじろうとしてきたくせに、いまさら?」
だが、サラが皆を守りながら撤退するという案は、高山オオカミの余計な一言のせいでなし崩し的になくなってしまった。
そのうえ、アレンたち三人につられたのか、もともと好戦的なハンターたちもいつの間にかオオカミ戦線に加わっている。
いつの間にか、オオカミと人が横並びでコカトリスに向かうという、奇妙な構図が出来上がってしまっていた。
サラは改めて自分が守るべき人を確認した。ハイドたち三人は結界箱の中。一緒に来たハンター一〇人とクリス。アレンとネリーとギルド長、そしてサラ自身。
「一八人。三人を除いても、一五人。これまで、一度に作れた結界の数は、そんなに多くない。でも、やるしかない」
明かりの魔法は、サラが手を離しても、しばらくそのまま残り続ける。
結界だってしっかり魔力を込めれば、サラから切り離しても、きっと残り続けるに違いない。
「魔力は自分の思い描いたとおりの力となる。自分の魔力量に応じて、無理せず、自由に自分の思い描いたように」
魔法の教本の最初の言葉を、呪文のように口にする。
「招かれ人の私の魔力は無限。まず、アレン」
普段サラがやっているように、体ギリギリのところにバリアをまとわせ、切り離す。
「うん、できる」
ネリー、クリス、ギルド長、そして一〇人のハンター。
結局、少しのうたた寝で起きてきたハイドたち三人。自分。
計十八個の、見えない小さなバリアを張り終わった。
これで魔物に襲われても、攻撃を跳ね返すことができるはずだ。
「それじゃあ、仕上げを御覧じろ」
サラは、両手を伸ばして、胸の前に構えた。
「今だけは仲間だよ! 高山オオカミも入れて! バリア!」
ふわんと、一九個目の大きなバリアが拡がった。人とオオカミを守るように。
「敵は弾いて、味方は守る。一頭だって、ふもとまでは行かせないんだから!」
サラの叫びで、戦端の幕が切って落とされた。
「ガウッ」
「ガウッ」
見えないバリアに阻まれたコカトリスが前に進めないなか、高山オオカミと人が戦場を自由に駆け回り、コカトリスを倒していく。
今まで大量発生したどの生き物も、コカトリスのように血を流したりはしなかった。
白い体に、赤い血が散る。
恐ろしさと悲しさ、残酷さにめまいがしそうになりながらも、サラは視線をそらさないようにじっと前を見つめる。
コカトリスをこのまま放っておいても、魔の山からあふれたりなんてしなかったかもしれない。
高山オオカミだけで、なんとかなったような気もする。
だが、巻き込まれた人がいる。
そして、この場に居合わせてしまった。
だったら、やるべきことをやるし、自分ができないことをやっている人に責任だけ押し付けてはいけないのだ。
何も見えないほどにコカトリスで埋め尽くされていた草原は、街道が続いている先が見えるほどになり、残ったコカトリスは、高山オオカミに追われて散り散りに逃げて行った。
「残ったのは俺たちと死んだコカトリスだけだな」
さすがに疲れの色が見えるアレンの言葉には、情緒のかけらもないが、サラはアレンのそういうところが好ましいと思っていたりする。
コカトリスだけでなく、あれほどたくさんいた高山オオカミの姿もほとんど見えなくなっていた。
「コカトリスの次は高山オオカミかと思っていたが、いなくなってくれて助かった」
ネリーがほうっと息をつくが、サラほどではないにしろ、管理小屋から毎日見ていた高山オオカミには愛着を持っていたのだろう。
「いったい、なんだったのだろう」
薬師なのに、しっかり戦闘に加わっていたクリスがポツリとつぶやいた。
「さあな。結局、高山オオカミが、魔の山の真の管理人ってことなのかもな」
答えたネリーの声にも疲れがある。
「じゃあ、小さなバリアはもういいかな」
魔力に限度はなくても、精神力には限度がある。
サラは一つ一つ、個人に張ったバリアをほどいていく。
「敵の攻撃が入らねえと思ったが、サラのバリアがかかってたのか」
バリアがかかっていたとやっと気づいたハンターたちは、自分たちの腕や体をためつすがめつしているが、もう外した後である。
「最後に、大きいバリアを外してもいいかな。あ」
重い荷物を下ろす気持ちで空を見上げると、ワイバーンの群れが急降下してくるところだった。
「あいつら、コカトリスを狙ってるのか!」
「伏せろ!」
油断していたハンターたちが口々に叫ぶが、サラたちは平然としていた。
どうん。
どん、どうん。
頭からぶつかったワイバーンが、バリアに沿って滑り落ちていくのが見える。
「かわいそうだから、バリアに色を付けるね」
いまさらだが、バリアの緑でコカトリスが見えなくなったワイバーンの群れの残りは、少し飛び回ってから去っていった。
「もういいかな。バリア解除します」
緑の天井がさあっと消え、青い空が広がった。
「とんでもねえな、サラは」
ギルド長のあきれたような声が響くが、いまさらである。
「さあて、後始末だな。ポーチに入りきるか、これ」
総出でコカトリスを拾い集めていく。
「サラ! 後ろ!」
「え?」
アレンの叫び声に後ろを振り返ると、高山オオカミが大きな口を開いているのが見えた。
サラは腰に手を当てる。
「今、かじろうとしてたでしょ!」
「ガ、ガウ?」
「ちがうって? もう!」
サラは常に自分に張ってあるバリアをぽんと広げた。
「キャウン!」
「オオカミは、いらなーい!」
やっぱりオオカミなんていらないのである。
「まず一歩」10巻、11月25日発売です。
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