婚約者
それに、町長とは思えない言葉遣いは相変わらずだ。
「ルロイを助けてくれて、本当に感謝します。クリス様もサラも。よほどしっかりした護衛を付けないと無理だと話していたつもりだったんですが、俺が安易に夢を語った結果です」
それでもきちんと感謝の言葉を口にできるようになった。クリスだけでなく、サラにまでだ。
進歩であると、サラはうんうんと頷いてしまう。
「まずはっきり言うが、私はローザだけでなく、どこのギルド長にも二度となるつもりはない」
テッドの感謝については一つ頷くだけで叱りもしなかったクリスだが、余計な話はせず、一番大事ことを話し始めた。
「返事がないから、もしかしてと期待していたんですが、やはりだめでしたか」
がっかりしたのだろう、テッドの顔色が悪い。
「瑕疵なく辞めさせられる方の気持ちを考えたことはあるのか。あるいはルロイの行き先をきちんと決めての上の提案か?」
「いえ。ルロイもクリス様が戻ってきてくれるなら、また副ギルド長に戻ると言ってくれたので」
「それでもルロイには、一度ギルド長になったのに降格したという傷がつく。本人が望んだとしても、理由がどんなものであっても、評価が戻ることはまずないのだぞ」
評価がよかろうが悪かろうが、自分の道を行くところは、クリスもテッドも変わらない。
テッドも一瞬、それがどうしたのだという顔になったが、すぐに目を伏せた。
「そう、なんでしょうね」
相変わらず、他人の立場に立つということは苦手のようだ。
「それはそれとして」
クリスが声の調子を変えた。
言うべきことは言ったので、気が済んだのだろう。
「ネフと共に、しばらくローザに滞在しようと思う。時間があればだが、食事を共にできるといいのだが」
クリスが誰かを食事に誘うなんて、サラも初めて見たかもしれない。
当然テッドも自分が誘われたということを理解できず、しばらく固まったままだった。
「あ、あります。時間ならいくらでも! もちろん、ネフェルタリでもサラでも一緒にうちに滞在してくれてかまいません。そうしたら毎食でも一緒にできますし!」
興奮したのか、白かった顔に少し赤みが戻ってきたようで、少しほっとしたサラだが、やっぱりネリーも自分もおまけなんだなあとおかしくなる。ネフェルタリでもサラでも、って、相変わらず言い方に気遣いがゼロである。
だが、そんな必死のテッドの顔色がまた白くなった。
「時間があるのなら、娘との食事を優先してほしいものですな」
ギルド長室、本日三人目の、ノックをしないお客様の登場である。
「ゴドウィン、来客中だ。ノックもせず会話に割り込むとは不作法ではないか」
いつも少しお気楽な感じのジェイの声が堅苦しいのは珍しい。
「そう目くじらを立てなくてもよいではないか。そもそも町長代理が、いや町長がすぐ捕まえられれば、このようなところに足を運ばずに済んだのだ」
ソファに座っていたミーナが席を立ち、部屋の隅に控えるように移動した。
クリスはちらりとテッドに目をやると、ゆっくりと席を立ち、隠れるように立っていた若い女性をエスコートしてソファに座らせている。
ゴドウィンと呼ばれた人は、五〇代半ばに見え、娘の隣にさっさと座った。白髪交じりの栗色の髪を後ろに撫でつけ、少し前に出たお腹を上品な服で包み込んだ、身分の高そうな人だ。
口髭がちょっとおしゃれである。
テッドは硬い表情で誰とも目を合わさずうつむき加減だ。
「町長、お忙しいのはわかりますが、娘との時間も大切にしてもらわないと困ります。婚約者なのですから、子ども時代とは違って、ちゃんと配慮してもらわないと」
婚約者。
サラはテッドに婚約者がいたことに心底驚いたが、平然とした顔を保つのに必死である。
ここはあらかじめ知っていたように振る舞うべきだ、そんな気がしたからだ。
よく考えたら、テッドと同年代のリアムはもう結婚しているのだし、町長という立場で結婚していないのがおかしいくらいなのだ。
こういう場は苦手で、できればミーナと一緒にギルド長室の外に出たいくらいだったが、サラはそれをぐっとこらえた。
「おや、クリスではありませんか。あなたが急に出て行って、ローザは大混乱でしたが、今はいかがお過ごしですかな?」
「ゴドウィン。久しぶりだな。クラリッサは薬師ギルドにいなくて大丈夫なのか?」
クリスはこの父娘と知り合いのようで、さすがローザで薬師ギルド長だとサラは感心した。町の重鎮とは交流する機会も多かっただろう。皮肉な物言いにもさらりと応じている。
そして、クリスが娘さんに言葉をかけたので、そちらのほうにも目を向けた。
テッドの婚約者と聞いた時からものすごく興味があったのだが、そんな野次馬的な視線で見てはいけないと我慢していたのだ。
父親とおそろいの栗色のつややかな髪を後ろでふわりとまとめた、穏やかそうなお嬢さんだ。
年のころはサラより四、五歳上だろうか。
髪とおそろいの栗色の目も、優しい印象で好もしい。
しかし、娘さんが口を開く前に父親が答えてしまう。
「娘を薬師になどさせるわけがないでしょう。町長夫人としての責務があるというのに」
「そもそも町長が薬師だが」
クリスの反論に大きく頷きそうになるサラである。
「テッドは既に引退しておりますよ。兼任できるような仕事ではありませんからな、町長は」
まるで自分がその場にいないかのように話されても、テッドは何も言い返さず、すっと立ち上がると、いきなりサラのほうを手で指し示した。
「ゴドウィン、こちら招かれ人のイチノーク・ラサーラサだ」
「なんと! 招かれ人が来ていたのなら、最初にお知らせください。それにしても」
この部屋に入ってきて初めてサラに気づいたのか、ゴドウィンはサラのことをさっと上から下まで眺めた。ほんの少し口元がぴくついたのが、なんとなく失礼な感じである。
それはそうだ。美しく装ったゴドウィンの娘と比べ、サラは丸一日、身体強化で走り通して怪我人を救出に向かった身だ。そしてそもそも薬師のローブをはおっているものの、旅人の服装で身なりを整える間もなく報告にやってきたから、かなりくたびれて見えるはずだ。
だが、サラは胸を張った。
初めて挨拶する時でも頭は下げない。
侮られることで、他の招かれ人に迷惑が掛かってはいけないということを、去年騎士隊で学んだばかりだ。
姿勢を正して相手が名乗るのを待つ。
「ゴドウィン・ベイルです。ローザの世話役をやっています。テッドにとっては父親代わりのようなものです。そしてこちらが娘のクラリッサで、テッドの婚約者です」
「私は一ノ蔵更紗。招かれ人で、薬師です」
薬師という言葉にクラリッサの頭が上がったので、お互い軽く目礼をした。
その目に浮かぶのは、興味、好意、そして諦めだろうか。
「薬師ですと。それでテッドと顔見知りなんですな」
「はい、そうです」
サラがこの町にいたことを知らないか、あるいは知っていても思い出しもしない世話役なんて、中身が知れていると思ったサラは、余計な情報を与えたくなくてあえて簡潔に挨拶を済ませた。
「もしかして、テッドとは、その」
「友人です」
サラの答えは素早すぎただろうか。テッドとサラを行き来するゴドウィンの目は、なんだか二人の仲を疑っているようで不愉快だった。
「それで、この町にはどうして……」
「ゴドウィン。そのくらいにしてくれないか」
今度こそ不機嫌な気持ちを表したジェイが、ゴドウィンをさえぎった。
「テッドに用事があるなら、別の場所で話してくれ」
その言葉に促されるように、テッドが父娘を連れて、ギルド長室を出て行った。
「強烈。なんだか前に見たテッドのお父さんに似てる」
いない人のことをあれこれ言うのは好みではないが、思わず口に出てしまった。
「今テッドの頭を押さえているのがゴドウィンだな。だが、そういう人がいないと、テッドはやりすぎることがあるからちょうどいい。とはいえ、婚約期間も長いし、クラリッサについては早くどうにかしてやれんものかとは思うがな。結婚もまだ、一端の薬師としても見習い程度であるともいえない という状況だ」
「そうだな。私はとっくに結婚していると思っていたし、クラリッサもいいかげんそろそろ薬師になっていてもいい頃だろう。だが、確かに招待状は来ていなかったな」
ジェイとクリスはテッドが婚約していることを知っていたようだ。
それに、自分の結婚式にテッドがクリスを招かないわけがないというのもわかる。
クリスの結婚式の時は、テッドを招いたそうだが、当時も町長代理だったテッドは遠すぎて来られなかったそうだ。
一二歳の身寄りのいないサラでは、そういう事情はほとんど何もわかっていなかったということなんだなと思う。
「テッドに婚約者がいるなんてびっくりしました」
過去に何度か、テッドとの婚約をほのめかされたことがあったことを思い出す。テッドは否定的だったから、あれはより条件のいい婚約者をという、テッドの父親の勇み足だったのだろう。なんにしても婚約者に失礼なことだ。その件がクラリッサの耳に入っていないといいなと願うサラである。
「おっ、知らなかったか。あいつが自分から話すとは思わないし、そもそもサラはテッドにあんまり興味がないだろうしな」
「その通りです」
話す話題ができたとは思うが、おそらく皆も興味はないだろう。
「でも、テッドについては、ちょっと不健康そうなのが気になります。薬師なのに」
「私もだ」
サラとクリスの意見は一致したが、今できることは何もない。
「テッドの乱入で話が途中だったが、俺たちは何を話していたんだっけ?」
ジェイが真面目な顔をするのでサラは苦笑してしまったが、確かにその通りだ。
「クリスがなぜローザにやってきたかですよ」
ミーナがソファに戻ってきた。さすがにジェイの扱いには慣れている。
「ギルド長就任を断るために、そしてちょっとテッドのことが気になってだな」
クリスが簡潔にまとめた。
「私はクリスにネリーも付いていくって言うから、久しぶりにローザに来てみたかっただけです」
「それでアレンとクンツはサラが行くから付いてきたと」
サラはにっこりと頷いた。
「観光気分でローザに来るのなんざ、お前たちくらいだよ。だが、歓迎する」
ジェイが両手を広げて歓迎の意を示してくれた。
「そして、感謝する。いきなり面倒ごとに巻き込んですまなかったな」
「安心するのは、残りの皆が帰って来てからですよ」
ミーナの指摘にはっとする。確かに、いろいろあって忘れそうになっていたが、ネリーたちはまだ、魔の山を下っている最中だった。
「でも、クリスとサラはゆっくり休んでください。怪我人を連れて魔の山を一日で往復するなんて、疲れているに違いありません。宿を取りましょうか? 職人たちもいなくなったし、どこも空いていると思いますが」
「うちでもいいんだぜ」
二人の気遣いがありがたい。
「そうだな。ジェイの奥さんの料理は魅力的だが、急では申し訳ないし、ネフがいないのに町に泊まるのもなんだから、ギルドの安宿にでも泊まるか」
「いいですね。でも、私はちょっと外に出てきます。見てきたいところがあるんです」
サラは立ち上がった。
「おいおい、ミーナじゃないが、魔の山から駆け下りてきたばかりだろう。どこへ行くんだ?」
「町の東側は行きに見たので、西側を。ついでに屋台にも寄ってきます。あのころと違って、好きなものが買えそう」
サラは収納ポーチをポンと叩いた。今はしっかりと稼いでいるのだ。
「あ、でも」
サラは魔の山の一行を頭に思い浮かべた。
「屋台を回るのはアレンと一緒にしたいから、ちょっと我慢します」
「まあ、ついに?」
ミーナが両手で頬を押さえた。
「婚約済みです」
サラはぐっと親指を上げた。
「ロマンチックじゃねえなあ。そこは頬を染めてうつむくところだろ」
ジェイがからかうから、部屋に明るい笑い声が響く。
「私はもう少し、ジェイと話していく」
「じゃあ、私はちょっと出かけてきます」
ギルドの食堂を集合場所に決めて、サラは軽い足取りでギルドの外へと踏み出した。
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