魔の山の薬師
こんな時なのに、クリス様だという憧れの目で見ている三人の薬師たちに、サラはため息が出そうになる。
サラよりも年下が一人、年上が二人。最年長は三〇歳をとうに越えているだろう、落ち着いた人だった。ハンターに比べると皆、線が細く、運動とは無縁のように思われる。
「見覚えのない者もいるな」
「クリス様が去ったあと、採用されたローザ出身の者です。既に王都にも研修に出しています」
年上の人が一番若い人を手で指し示した。
「王都では、同い年のノエル様に学びました」
ノエルはクリスと同じく将来を嘱望される薬師だ。
そのノエルと同じ年で地方から王都へと勉強に出してもらうということは、かなり優秀なのだろう。
「サラ様のお話も、よく聞かされました」
「ごめんなさい、私のことはサラと呼び捨てにしてもらっていい? 同じような年だし」
「は、はい」
敬意をもって様を付けるのは薬師の習慣なのだろうか。クリスに限ったことだと思っていたサラは、なんだか居心地が悪くて、そうお願いした。
「なぜこんなことをした」
「あの、私は無理だと思ったんです。ですが、ギルド長が、いえルロイが、クリス様がまた来てくださるのなら、ハイドレンジアより魅力があると思ってもらわないと困ると言い出して」
クリスははあ、とため息をついた。
「テッドが無茶を言ったのではないのだな?」
「町長のせいではありません。ルロイは、町長に行けるなら自分だって行けるはずだとは言っていましたが、町長自身は、行ってほしいとほのめかしたことさえありません。むしろ、薬師が定期的に採取に行くには金がかかりすぎる、もっと街道を整備してからじゃないと、と言っていたくらいで」
テッドのわがままではなかったということにほっとしたのは、サラだけではないと思う。
だが、ヴィンスの予想は当たっていた。
それだけクリスがローザで慕われていたということだ。
「ギルドで一番新入りの……ゴホゴホっ」
後ろから聞こえてきた声は、かすれてはいたがサラにも聞き覚えのあるものだった。
「セネガでさえ、その調薬の正確さは、王都でも上位に入る。本当は王都に出しても学ぶものなど何もないほどだ。なぜかって? それはローザはクリス様のギルドだから」
「ルロイ! 目が覚めたのか!」
クリスはさっと立ち上がると、ルロイの元に急ぎ、容体を確かめている。
「まだ顔色が悪い。よく聞くんだ、いいか、ワイバーンにやられたお前の怪我はひどく、特級ポーションを使った」
「特級ポーション……。なるほど、この体験したことのない、ゴホッ、倦怠感と体の重さは、そのせいでしたか。投薬してからどのくらい経ちました? 誰か、メモを……」
「馬鹿を言うな。まだ二時間もたっていない。本来なら、そこまでの倦怠感はないはずだ。少し早く目を覚ましすぎたようだな。サラ」
「はい」
サラは収納ポーチから、めったに使うことのない種類のポーションを取り出した。
サラでさえ数回しか調薬したことがない、眠り薬である。もちろん、薬師ギルドも見えるところにはおいていない。サラも持っているだけで誰かに使ったことはない。
「さあ、これを飲むんだ」
「これとは何ですか。私も薬師です。中身のわからない薬を飲むわけには……うっ」
クリスは少し強引にルロイを抱き起すと、有無を言わさず瓶を口に当てた。
「これは夢かな。クリス様が戻ってきてくれた」
幸せそうに眠りについたルロイを、サラは微妙な気持ちで眺めた。
一瞬見えた瞳の色はヘーゼルで、短く整えられた髪は柔らかな薄茶色だ。四〇歳は過ぎていると思われるが、記憶にあるより後退した生え際が、七年という年月を感じさせる。
ルロイに使った眠り薬は、特級ポーションとは違い、副作用はない。めったに使わないのは、単に需要がないというだけのことである。
カメリアの元薬師ギルド長以外は、どこに行ってもクリスは尊敬され、賞賛されていた。
中にはテッドやカレンのように、信者と言っても過言ではない薬師もいたことはいたが、ここまで強烈な信者は始めて見た。
「なんということだ。私は二度と、どこであろうと、ギルド長になどならないというのに」
「そんな!」
年かさの薬師二人がクリスの言葉に嘆いているが、そんな場合ではない。
一番若い薬師は澄んだ目をして言った。
「私が見習い薬師として入った時に、薬師ギルド長が言っていました。ローザという小さな町で、クリス様に直に学んだ者たちがなんと幸運だったことかと。一番レベルが低かったのが今の町長で、それでさえ王都では並ぶもののない優秀さだったと言えばその素晴らしさがわかるだろうと」
サラがいた時、騎士隊の手当てをてきぱきとしていた薬師たちの姿を思い出した。テッドでさえ、ちゃんとした薬師なんだなあと思った記憶があるが、もしかしたらすごく優秀な薬師軍団だったということなのだろうか。
だが、クリスの秀でているところは調薬だけではない。薬草への深い知識と採取の力もある。それなのに、ローザの薬師たちには採取の大切さは伝わっていなかった。クリスがギルド長であった時代には教える必要を感じなかったのだろう。
だが、ギンリュウセンソウや特薬草の群生地の発見など、サラとクリスが移動してからの薬師業界の変化は大きい。
ハイドレンジアや王都でも、薬草の採取を薬師の業務として扱うようになってきている。
そういう意味では、ローザは遅れているとも言えるし、追いつこうとしているとも言える。
だが、やり方が無茶すぎたし、そもそも動機がよくないと思う。
「僕も今、クリス様とサラ様、いえ、サラの師弟関係を見ていて、お二人のすばらしさに目を見張る思いでした。何も言わずとも次にすべきことをわかり合っている。クリス様、サラ様、ぜひローザでご指導をお願いいたします!」
「ええ……」
クリスだけならともかく、なぜかサラにまで流れ矢が飛んできた。
「いい加減にしろよ、お前ら」
ヴィンスの声の低い声が響く。
「クリスもだ。交代って言っただろう。ちゃんと叱れ! お前の残していった負の遺産だぞ」
「すまない」
クリスは素直に頭を下げ、薬師三人に向かった。
「事情は理解した。だが、ヴィンスの言う通りだ。お前たちは、護衛を巻き込んで全員死にかけたのに、まったく反省の色がない」
「それは!」
一番年かさの薬師が顔を上げたが、クリスの厳しい顔を見てうつむいた。
「私たちは薬師だ。ローザにいれば、ポーションを作るだけではなく、時にはハンターの命を預かることもある。そんな薬師が一番大切にしなければならないことはなんだ?」
命だ。
薬師は命を守る仕事なのだ。
サラの頭の中では、打てば響くようにその答えが浮かんだ。
だが、薬師たちはうつむいたままなかなか答えずにいる。
「命、でしょうか」
年かさの薬師が答えたのは、しばらく沈黙が続いた後だった。
「なんでそんなに答えるのに時間がかかる。私がお前たちに教えたのは調薬だけだったのか? なぜ薬師はポーションを作るのだ。怪我を治し、日常生活に戻らせる。すなわち、命を守るためだろう」
「それはわかります。だから、よいポーションを作るのでしょう」
一番若い薬師が知った顔をする。
「そうか、セネガと言ったか。では、薬師にとって一番いいこととはなんだ?」
「薬草が十分にあること、でしょうか」
自信はなさげだが、はきはきと答えるその姿は気持ちがいい。青い目にかかるさらさらした金髪の小柄な少年は、ノエルによく似ているとサラは感じた。
だが、答えは違う。
「サラ。答えは」
「はい」
サラはすうっと息を吸い込んだ。
「誰も怪我をしていないこと。ポーションを使う必要のない状況のことです」
まるで決められた問答のようだが、サラはこれをクリスから学んだというわけではない。
本気で薬師の仕事をするものなら、誰でも自然にわかってくることなのだ。
よいポーションができたら嬉しいことは確かだが、同時にこれが使われずに済みますようにとも祈る。
「サラの言う通りだ。お前たちは、その大切な自分の命だけでなく、護衛の命をも軽視した行いをしたのだ。それは、薬師としてあるまじきことだ」
静かに語るクリスの言葉が、どうか薬師たちに届きますようにとサラは願った。
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