クリスの信者とは
テッドの登場にサラは思わず眉を顰めてしまった。
嫌だからではない。もともと細身だが、あごの線が明らかに前よりとがっているし、よく見ると全体的にやつれていると言ってもいいくらい不健康な感じがして、心配になったからだ。
「ルロイたちは! 無事か!」
「テッド、てめえ……」
ヴィンスが今度はテッドに詰め寄ろうとするのを、アレンが止めた。
「テッド、俺たちが行くから」
「アレン? それに、クリス様!」
テッドの顔に喜色が浮かんだが、すぐに不安の色に置き換えられた。
「ルロイが! いや、そんな場合じゃない」
テッドは自分を落ち着かせるように大きく息を吐くと、ヴィンスのほうに体を向けた。
「薬師たちを頼む」
「言われるまでもねえ。行くぞ!」
緊急事態にもかかわらず、サラは思わず目を見張った。
テッドが誰かに、頼むと言えるようになったなんて。
体の横でこぶしをきつく握っているテッドは、貴族らしい服装で、もう薬師のローブを身につけてはいなかったけれど、襟に輝く緑の薬師のバッジが、薬師でありたいという気持ちを表しているように見えた。
「テッド」
通り過ぎるときに目が合い、サラが小さくかけた声に、テッドがかすかに頷いた。
「頼んだ」
その願いを素直に受け止められた自分の心を考察するに、サラの仲間のくくりには、どうやらテッドも入っているらしい。目の下のクマも気になるところだ。
だが、今は怪我人の救助を優先しなければならない。
休む間も惜しんで東の草原を駆け抜けると、ツノウサギの数は相変わらずのようで、なぜか一行の真ん中にいるはずのサラに向かって激しく突っ込んでくる。
ところが全く問題ない。
「すごい。ちゃんと防がれてる!」
サラがバリアをふくらませなくても、街道に張られた結界でしっかりと弾かれているのが見える。
しかも、野の中の、草の生えていない一本道という感じだった街道も、小さめの馬車が一台通れるくらいの石畳のような道に整備されている。
「ここをクンツのお父さんたちが整備したんだね」
「改めて見ると、すごいな。街道を見てきたぜって報告したら、父さん喜ぶかもな」
いきなり巻き込まれた緊急事態だが、皆落ち着いて行動できている。
整備された街道に感心しながら移動していると、思ったより早く魔の山が見えてきた。
ツノウサギに緊張しながら行き来するのに比べると、いつもより距離が短いような気さえするほど気楽だった。
「ここまでだ」
先頭を行くヴィンスが止まったところは草が刈られて広場のようになっていて、道の横にはブロックがいくつか乱雑に置かれている。そして、ここまでというしるしなのか、広場の出口の両側に、背の低い塀が作られていた。
「あと少しで、魔の山のふもとまで整備されるというところで、結界の魔石が足りなくなっちまったんだよ。ハンターギルドにとっちゃあ、ここまででもありがたいくらいだが、今回の件は、間違いなくこの街道が薬師たちを勘違いさせちまったんだな」
サラやあの頃の騎士たちが苦労した東の草原が、誰でも通れる街道へと変わったのだ。
もっとも、魔の山に用のある一般人などいないから、通る人を警戒する必要もないはずだった。
結界の魔石という言葉が気にはなったが、ふもとまであと少しというところまで整備されたのはいいことだと思う。
「ここのツノウサギは、いくら狩っても減りやしねえ。かといって一定以上増えるでもないから、最近は様子見で大規模な狩りもしていない。街道も整備されて、若い奴らのいい稼ぎ先になっていたんだが。薬草を採る奴らもいるし」
町から休みなしでここまでやってきたから、途中では話などする暇もなかった。
どうやら、ここで詳しい話が聞けるらしい。
「ちょうどいいから、少し休みましょうか」
鍛えているとはいえ、長時間の身体強化での移動は、受付業務中心のヴィンスにはつらいことだろう。息が上がっているのがわかる。
サラはてきぱきとお茶の準備を始めた。
ブラッドリーのようにテーブルや椅子は出さないけれど、地面に思い思いに座り込む一人一人に、温かいお茶とおやつを配る。
「ありがてえ」
ほっと息を吐いてお茶をすするヴィンスも、もう五〇歳は過ぎただろうか。若々しいとはいえ、しわも増え年相応の渋いかっこよさがある。
「カメリアへと向かったあの時は、急に出発することになったとはいえ、薬師ギルドの皆にはその可能性はちゃんと話していた。ルロイは十分に頼れる薬師のはずだ。問題なくギルド長をやっていると思ったが、なにかあったのか」
今回、魔の山に向かったのは、ギルド長のルロイと三人の薬師だという。
「問題なんてなかった。あんたと違って、突出したところはないが、はやるテッドをうまくいなしながら、町人や薬師による薬草採取にも取り組んで、ちゃんと成果も出していたよ。王都から買わないと手に入らなかった薬草が、少しでも自前で賄えるようになったのは大きかったな」
「では、なんでいまさら私にギルド長の依頼が来たのだ?」
「最初はテッドのわがままだっただろうよ。魔の山までの街道を整備して、ギンリュウセンソウを餌に、いずれはあんたに自分の町に、と思っていたのが、前町長が亡くなってタガが外れたんだろう」
「それだけか?」
ヴィンスはけっという顔をして横を向いた。
「お前がもう一度ギルド長になるかもって、薬師ギルドごと大はしゃぎなんだよ。やけに街道の整備を急ぐと思ったら、そういうことかと思ったぜ。こっちとしては都合がいいから、積極的に協力したけどな。急ぎすぎで止めざるを得なくて少しは落ち着くかと思ったら、違う方に暴走しやがって。お前の信者は手に負えねえ」
ヴィンスはぷんすか怒っているが、サラは今一つヴィンスの話が呑み込めなくて、クリスのほうを見ると、クリスもなんだか戸惑っているようだった。
「それは私がギルド長を断ればすむ話だろう。それがなぜルロイが魔の山に行くことにつながる?」
サラも大きく頷いた。
今大事なのは、これから救助に向かう人たちの話だ。
テッドが街道をどうしたのかももちろん聞きたいが、薬師の事情も聴きたい。
「ギンリュウセンソウを自分でとってくる力があれば、ギルド長でいられるからか? ばかな。私が教えたのは、薬師はまず自分の命を大切にするということだぞ。何をやっているんだ」
クリスは自分で結論を出し、立ち上がった。
今にも魔の山に走り出しそうだ。
「待て待て、違うぞ」
そしてヴィンスに止められている。
「まず俺をもう少し休ませろ。そうでないと魔の山に入ってからがキツイ」
クリスのローブの裾を、ネリーがぎゅっと引っ張ると、クリスはおとなしくすとんと腰を落とした。
「そもそもが、なんでそういう考えになる。ローザの薬師は皆、あんたの信者だって知ってんだろ」
「周りはそう言うが、私にはそんなつもりはない。それに、カメリアのギルドでは……」
クリスが言いにくそうに言葉を途切らせた。クリスがギルド長になるのを嫌って、たった一人を除いて薬師は全員消えていたのだ。
あの時はやるべきことをたんたんとやっていたクリスのことを、さすが薬師の鑑だと尊敬するばかりだったが、どうやらそれなりに傷ついていたらしい。
ヴィンスは頭をがりがりとかくと、胡坐をかいていた足を少し投げやりにほどいた。
「実は俺もよくわからねえんだよな。薬師たちが、ハンターギルドに黙って出かけた結果がこれだからな」
「わかんないんですか」
ここはサラが突っ込むべきところだろう。
「だから推測になるが、きっとクリスにいいところを見せたかったんじゃねえのか?」
「それだけで……」
クリスがあっけに取られているが、そもそもがテッドが実例ではないか。
「じゃあ、ヴィンスがクリスに詰め寄っていたのは?」
「それはすまねえ。八つ当たりだ。最初のサラのときみたいに、クリスの信者はろくでもないことがあるからな」
あれはテッド限定じゃなかったんだと、いまさらながら思うサラである。ということは、その後副ギルド長が謝らなかったのも、サラがクリスのお気に入りに見えたからなのだろうか。
サラは思わず鼻の頭にしわを寄せた。
本当に助けに行くべきだろうか。
そして、一瞬でもそう考えたことを、即座に反省した。
薬師として、人間としてあるまじきことだ。
「戻ってきた奴の話によると、管理小屋までの中間点、森を抜けたあたりでワイバーンに襲われたらしい。薬師を含め、複数人に怪我と聞いている。さっきも言ったが、結界箱を使い、とりあえず安全地帯は確保ずみ。比較的怪我の程度が少ないハンターが、ポーションを使ったうえで救助を求めにきたということになる」
クリスはその話を聞いて顔色を曇らせた。
「なんだと! ワイバーンに……。サラ」
ヴィンスの話を聞いて生じた不安は、クリスのその一言で確実なものになった。
つまり、急がねばならないということだ。
「はい。ヴィンス、そろそろ大丈夫ですか?」
「お、おう」
サラはすぐさまその場を片付け始め、それを見て他の人たちもすぐに出発する準備を始めた。
「思ったより状況が悪いかもしれない。ヴィンス、付いてこられないようなら、後から来てくれ」
「そんなにか? 怪我をしたとしても、薬師だぞ? ポーションが足りないこともないだろうに」
あたふたするヴィンスが、今度は列の最後になる。
既に日は落ち始めている。
クリスを先頭に、一行はできるだけ足を速めた。




