ブラッドおじさん
「君が新しい招かれ人のアンだね。私のことはブラッドリーと呼んでくれないか。ブラッドおじさんでもいい」
「気さくすぎだろ!」
ブラッドリーとハルトが訪ねて来てくれたのだ。
ハルトといい、ブラッドリーといい、サラとの初対面の時とはだいぶ感じが違うではないか。
サラが内心ちょっとむっとしていると、ブラッドリーがサラのほうに向いた。
「サラもだ。今からでもブラッドおじさんと呼んでくれたらいい」
「いや、おじさんって年じゃないですよね。枯れすぎじゃないですか」
サラの思っているブラッドリーと印象が違いすぎたので、もやもやを忘れて思わず突っ込んでしまった。
「ブラッドリーはもともとこんなノリだぜ。社交性がちょっと人とずれてるんだ。初めてサラと会った頃は俺と同じで、だいぶ気分が下がってたから、意外かもしれないけどさ」
このブラッドリーはハルトにとっては普通の状態らしい。
「サラ、ローザに行くんだって?」
「そうなの。クリスとネリーが行くって言うし、久しぶりだから一緒に行ってみようと思って」
ハルトにそう説明していると、本当はサラがローザに行く理由なんて何もないことに改めて気づく。
あるとしたら、懐かしいからというそれだけだ。行ってから何をしようという目的もないし、ローザの薬師ギルドで仕事をしようという気持ちさえない。
たとえクリスが、ローザの薬師ギルド長になるとしても、自分がその下で働こうという気持ちは今のところわいてこない。
あえて言うなら、魔の山のどこにギンリュウセンソウが生えているか見てみたい。
いや、いっそのこと魔の山の薬草分布調査をしてみようか。
サラの心が魔の山に飛びそうになったところで、ハルトの言葉が飛び込んできた。
「気をつけて行ってこいよ」
「え?」
ごく普通の言葉なのに、頭に入ってこず、サラは思わず聞き返してしまった。
「だから、気をつけてな。俺もそのうち遊びに行くって、ジェイとヴィンスに言っといてくれよ」
ハルトは、来ない。
当たり前といえば当たり前のことだが、ショックを受けたということは、サラはハルトも一緒に来るものだと思っていたということだ。
王都に来てからずっと、住むところこそ違っても、サラとアレン、クンツとハルトの四人は、だいたい一緒に活動していたのだから、それも当然のことだろう。
「来ないの?」
「行かないよ。クンツも行くなら、なおさら行かない。せっかく新米ハンターの講習会がなんとなく形になりそうなんだ。俺とクンツ、二人とも抜けたらグダグダになっちゃうだろ。俺のやりたいことはここにあるんだ」
「私もせっかくだから、ハルトのやることを手伝おうと思うんだ」
魔の山の管理人になる前、ハルトの面倒を見なくてはと気負っていたブラッドリーはそこにはいなかった。
「誰かのやることに乗っかるだけっていうのは、気楽でいい」
「手伝うんならそんなことさせないぞ。たくさん働かせるからな」
「はいはい」
つまり、この二人が王都に残るだろうと、エルムは予想したということだ。
「サラ」
「はい」
ブラッドリーの目がサラ一人だけに向けられた。
「君が一人だった時、私は同じ招かれ人なのに、自分とハルトのことだけで精一杯だった。何の手助けもしてやれなくて、すまなかったな」
「えっと、はい」
そんなことありませんと答えるべきなのだろうが、いろいろな思いがこみ上げて来て、サラはそれしか言えなかった。
「だが、君は一見頼りなさそうだが、誰の助けがなくても、一人で羽ばたいていける強い女性に育った」
「そんなことはありません」
今度ははっきりと言えた。
誰の助けもなかったわけがない。まずネリーが、そしてアレンが、ヴィンスが、ローザのギルドや町の人々が、サラを支えてくれたから今があるのだ。
そして今だって、アレンやクンツが、そしてウルヴァリエの人たちが、薬師ギルドが、サラを支えてくれている。
「言い方が悪かったかもしれないね。今後は、私の手の届く範囲ならいつでも手助けすると誓おう。なにより、君の代わりとまではいかなくても、君が心を残していくアンは、同じ招かれ人として、私とハルトがしっかり見ておくよ」
ブラッドリーは、もう魔の山には戻らないと決めているのだろう。
「なんだよ、ブラッドリー。重すぎだよ、重すぎ」
ハルトがブラッドリーの背中をバンと叩いた。
「サラたちは、ローザにはとりあえず行ってみるだけだぞ。戻ってくるかもしれないし、他のところに行くかもしれない。それは俺たちだって同じことだ。どこに行ったって、お互いに助け合う。そのくらいでいいんじゃね? 仲間なんだし」
「仲間、か。そうか、ハルトは本当にちゃんと仲間を作ったんだね」
安心したような、でも少し寂しそうなブラッドリーを見て、サラははっと気がついた。
ハルトには、同じ招かれ人のブラッドリーがいて導いてくれたが、ブラッドリーには誰がいた?
だれとでも当たり障りなく付き合えるのに、なぜブラッドリーは何年も魔の山に引きこもった?
サラにとってのネリーのように、後見してくれる家族のような人はいたはずだ。
それでも疲れ果てるほどに、気を張って生きていたのだ。
気を許せる人は、もしかしたらハルトだけだったのかもしれない。
そんな人に、自分はかまってもらえなかったと、いつまでも批判的な気持ちでいるなんて、どれだけ甘えた人間なのだと反省する。
だが、甘えた態度を取ってすみませんなどと謝罪しても仕方がない。
サラはブラッドリーと目を合わせて、にこりと笑みを浮かべた。
「アンはしっかり者ですけど、やっぱり心配なので、よろしくお願いします」
「ああ。できるだけのことはする」
ブラッドリーはほっとした顔をした。
意地をはって、別に頼む必要などないという態度を取ることもできる。
でも、ブラッドリーは、きっとお願いされたいのだ。
同じ招かれ人のアンだけにではなく、サラの役にも立ちたいのだ。
自分でも気づかずにブラッドリーに抱えていた心のわだかまりにも、一緒には来ないと言ったハルトへの残念な気持ちも、いつの間にか消えていた。
自分たちはゆるくつながっていて、前線に出る者もいれば、留守を守るものもいる。
自分の好きなことをやって、お互いに頼り合う、それでいいではないか。
「ハルトの言う通り、とりあえずネリーやクリスと一緒にローザに行ってみたいんですが、そこでどうするかも何も決まっていないんです。逆に、こっちで何か大変なことがあったら戻ってきますから、いつでも頼ってくださいね」
なにしろサラは、一人で羽ばたいていける強い女性らしいから。
反発さえしなければ、誉め言葉として素直に嬉しいと思える言葉だった。
「そうだな。なにかあったら声をかけるよ」
心残りがなくなったサラの気持ちは羽のように軽かった。




