もし自分が残る立場だったら
「私も」
思わずこぼれ出た言葉は、自分でも止められない。
「私も行きたい。魔の山に」
「ローザじゃないのかよ」
部屋に走った緊張をほどいてくれたのはクンツの突っ込みである。
「行くか!」
ネリーが向けるのは満面の笑みだ。
「うん!」
頷いたサラは、はっとしてアレンとクンツに目を向けた。
「久しぶりの魔の山かあ。腕がなるぜ」
「魔の山じゃないって。まずはローザだろ。俺の盾を、ギルド長に見てもらわないとな」
昨日は王都の西ダンジョンに行こうと話し合っていた。
そのことをハルトに伝えられなかった今日は、サラは薬師ギルドで、アレンとクンツは中央ギルドで活動するかと予定を変えたばかりだった。
それなのに、サラは誰にも相談せずに、勝手にローザに行きたいと決めた。
それでも、アレンもクンツも即座に付いてくることを決めてくれている。
「いいの?」
「俺は大歓迎。中央ダンジョンもちょっと飽きてきたところだったから」
「俺も賛成。初心者講習がちょっと面倒になってきたところだった」
にかっと笑う二人が頼もしい。
「私は反対です」
一方で、プンと横を向いているのはアンだ。
「そうだった。私、アンの話し相手として王都にいるんだから、勝手に決めちゃダメだった。ごめんね」
「サラがそんないい人だから、反対したくても反対できないんじゃないですか。反対なんですけれども。なんでそんなにいい人なんですか、サラは。ほんとに」
よくわからないことを言ってプンプンしているアンを見て、サラは反省するしかない。
「ほんとにごめんね。エルム、私、軽率でした」
「いや、そんなことはない。自分の思いは大切にした方がいい。だが、ネフェルやクリスはともかく、サラもアレンもクンツも、もう少しよく考えてから決めたほうがいいのではないか」
「はい」
「はい」
「はい」
エルムの大人な発言には、サラたち三人も素直に頷くしかない。
「今日はブラッドリーに会えたっていう話をするはずだったのに、ネリーとクリスに驚いてそれどころじゃなかったな」
やれやれとクンツがこぼした言葉に、またしても部屋に沈黙が落ちた。
「なんだって?」
驚いたのは、クリスとネリーだ。
今夜はまだまだ終わりそうにない。
夕食の時に聞いたのは、主にネリーとクリスの近況だったので、サラたちの話は少ししかしていなかったのだ。
「まさしく王都に来たかいがあったというか、情報源がローザからやってきたとは。さっそく約束を入れよう」
立ち上がりかけたクリスは、時間が遅すぎることに気がついたのか、そのまま腰を落とした。
「それにしても、魔の山の管理人を短期、しかもパーティ単位か。元の形に戻ったと言えなくもないのか」
さすが元管理人、ネリーである。
「元の形? ネリーの前ってこと?」
「そうだ。その形では、希望するパーティがいないことも多くて、どうしても空白期間が長くなってしまうことが問題でな。とりあえずしばらくの間私が、ということで、そのまま」
「何年間も管理人をしたというわけなの?」
「意外と居心地がよくてな」
ハハハと笑うところではないと思う。
だが、ブラッドリーが癒されたように、ネリーにも一人で癒される時間が必要だったのだろう。
だが、その時間が長すぎたせいで、ローザの町の人と距離ができてしまった。
「サラにも話したと思うが、私も指名依頼で魔の山を数か月抜けることはよくあった。狩る人が少なくても、そのくらいは全然大丈夫なんだよ。だが、いったん魔物の数が増えると、それを鎮めるのに時間がかかるからな。魔の山が、他のダンジョンと同じくらい町のそばにあったら問題ないんだが」
「魔の山に行くまでに、普通は一日かかっちゃうもんね」
「ベテランハンターなら半日以下で済むが、移動に半日かけるなら、ローザのダンジョンで狩りをしたほうが効率がいいからな」
魔の山に短期滞在する人たちには、割り増しで手当てが付くのだろうが、そもそも魔の山に行ける実力のあるハンターは、稼げる人たちばかりなのである。
魔の山の管理は難しい問題だった。ずっといてくれるネリーに任せて、問題に蓋をしていた気持ちもわからないではない。
「ともかくも、本人に聞いてみるまではわからないか」
次の日にはブラッドリーと連絡が取れ、その日のうちに話を聞くことになったネリーとクリスだが、サラは同行しなかった。どうせ帰ってきたら話が聞けるだろう。
それよりも、サラには話し合わなければならない人たちがいる。
アンとエルムである。
ちょうど次の日はアンのお休みの日だったから、都合がよいと言えばよかった。
いつもならサラは、物事を慎重に決める性質だ。
サラにしては衝動的に決めた、王都でのアンとの暮らしでさえ、決心するのに数時間はかけた。
「慎重さがだんだんなくなっているなあ」
だが今回は自分だけの気持ちで決めていいものではなかった。
「こうして三人で話すのも久しぶりかもしれないな」
「ほんとですね」
エルムとアンは、仲のいい叔父と姪というくらいの、ちょうどよい距離感でくつろいでいる。
そしてそのアンの隣に、サラは座っている。
ネリーと二人いるときと同じだなあとサラはこそばゆい感じがする。アンのほうが背が高くても、サラがお姉さんなのは間違いない。
アンの話し相手としてエルムに依頼されてやってきたサラだが、エルムがアンと会話するのに困ることはもうない。というか、最初からしっかりと面倒を見ていたし、おしゃべりとは言わなくても、話すのに何の問題はなく、サラは仕事としてではなく、本当に友だちとしてアンのそばにいたようなものだった。毎日楽しかったのはむしろサラのほうである。
「私ね」
話し出したサラを、アンが遮った。
「もう。サラったら。ローザに行く話なら、昨日ちゃんと聞きましたよ。私を説得しようとしなくていいんです」
「だって昨日、反対って言ってなかった?」
「反対したくても反対できないとも言いましたよ。つまり、心の中ではめちゃくちゃ寂しいけれど、サラの好きにしていいですよってことです」
「アン……」
アンはまだ一三歳で、楽しくも厳しい職場にいる。
そんなアンを置いて行っていいのかという罪悪感が、サラにはまだある。
「じゃあ、逆に考えてください。もしも私が、騎士隊で頑張るよりもずっと素敵なことを見つけて、カメリアに行きたいって言ったら? ほら、熱烈な恋をしちゃったとか」
穏やかな笑みを浮かべて話を聞いていたエルムがぶほっとお茶を噴き出した。
「ねねね、熱烈な恋? いったい誰と?」
「エルム、落ち着いて。たとえ話ですから」
「たとえ話か、そうか」
もしもって最初に言っていたではないかとサラもアンもあきれた目でエルムを見てしまった。
サラは具体的に相手を思い浮かべて考えてみた。
知っている男子は少ない。
ノアなら?
ありだ。
テッドなら?
ちょっと反対するかも。
クンツやハルトとかなら?
むしろ安心だ。
「基本的には、応援するかな」
「じゃあ、心配だからってついてきてくれます?」
「それはないけど、あ」
自分が残る立場なら、旅立つアンを止めたりはしないと気づいたサラに、アンはふんっと鼻息を荒くする。
「サラがこの家にいてくれたおかげで、私はエルムにもアレンにもクンツにも、そしてハルトにもなじめたんです。サラが一緒にいてくれたから、ロッドや新米ハンターたちとも知り合いになれた。サラがいてくれたから、サラが卒業した後も騎士隊で頑張れてるんです」
騎士隊を卒業と言われるとちょっと笑ってしまいそうになる。
「寂しくても、私はもうちゃんとやっていける。むしろ、サラの足手まといになんてなりたくない」
「足手まといなんてそんなことない!」
「うん、サラがそんな風に思ったりしないって、ちゃんとわかってます。それに」
いつもサラがネリーに身を寄せるように、アンもサラに身を寄せる。
「私が本気で行かないでほしいと言えば、サラは行かないでくれる。それもわかってるんです。だからこそ、サラには自由にしてほしいの」
前世から足したら、そろそろ二〇歳になるアンである。
サラよりよほど大人な考え方をしていると思う。
「エルムはどうですか?」
アンと二人残されるエルムにも確認しなければならない。
「行ったらいいさ」
言葉はシンプルだが、決して突き放した言い方ではない。
「ハイドレンジアで問題なく過ごしていたサラを王都に誘ったのは私だが、そんな私だからこそ、サラが自分からやりたいと思ったことを止めることはできないよ」
かすかに笑みを浮かべているエルムに、無理している気配はまるでない。
「アンと二人でも楽しくやっていくし、おそらく二人きりではないだろうと思っているしね」
「二人ではない?」
ネリーもクリスも、サラもアレンもいなくなったら二人しか残らないはずだとサラもアンも首を傾げたのだった。
だが、その答えは次の日にわかった。




