ローザのうわさ
仕事に出かけたら、ウルヴァリエのタウンハウスに帰り、夕食時にはアンやエルム、そしてアレンやクンツと過ごし、今日一日のことを語り合う。かなりの確率でハルトも訪ねて来るし、時にはノアやモナやヘザーといった薬師仲間と出かけることもある。
ネリーがいないことだけが寂しかったけれど、一九歳のサラは、一人前の薬師として、充実した毎日を過ごしている。
ノアとアレンと深層階で薬草調査をした次の日のこと、サラが仕事から戻るとウルヴァリエの食卓にはクンツがいた。
「あれ? お父さんが帰ってくるから実家に戻ってたんじゃなかったの?」
数日は実家にいるだろうと思っていたサラはちょっと驚いている。
「それは昨日。帰ってきた報告なんて一日で十分だよ。実家が狭いから、むしろ追い出されたまである」
「なるほど」
確かにクンツの家は下町らしく、居心地よく、温かくはあっても広くはない。だからこそウルヴァリエのタウンハウスで下宿している形をとっているのだ。
「で、久しぶりの一家団欒はどうだった?」
「母さんが張り切ってご馳走をたくさん出したから、ご飯がめちゃくちゃおいしかったこと以外は別にどうってことなかったんだけど」
お母さんのご馳走が出て、一家団欒するなんて、サラにもアレンにも縁遠いことだ。それをどうってことないといえるクンツが少しだけうらやましくもあるが、クンツがそれどころではないという顔をしているほうが気になったサラは、何も言わず続きを待った。
「父さん、仕事が一段落ついたから帰ってきたのかと思ったら、そうじゃなかったんだって」
「そうじゃなかった?」
テッドのお父さんは、魔の山への街道整備の手伝いにローザへ行っていたのだから、一段落ついたわけではないという話はとても気になる。
「確かに途中までは順調だったんだけど、ローザの予算を街道に回しすぎだとかそんな理由で、工事が一旦中止になったんだってさ」
「そうなの?」
サラの感想は、単純に残念だなというものだった。
けれど、なぜかわからないが、まだ胸にもやもやしたものがあって、しかもだんだん大きくなっていくのを感じる。
少したって、それはポロリと口から出てきた。
「テッドって」
「テッドが」
声が重なって、サラとアレンは思わず顔を見合せた。
「「大丈夫かな」」
自分でも、そんな言葉が口から出てきたことに驚いたし、アレンもなんだか驚いているようだった。
以前ほどの嫌だという気持ちはないけれど、そこまで親しくなったわけでもない。遠い親戚のお兄さんくらいの気持ちでいたサラだが、いつの間にか自分が心配してしまう人に格上げされていたようだ。
「絶対テッドが何かやらかしたよな」
「そうとしか考えられないよね」
心配はしているものの、自業自得なのではないかという疑いが否定できない。
「ローザの新町長か。昨年交代したと聞いたばかりだが」
エルムの言葉に驚きが隠せないサラである。
「そんなに偉い人になってたんですか。町長代理かなんかで頑張っているものと思っていました」
一瞬しか会ったことのない、ローザの町長を思い出す。なぜだか思い浮かぶのは貴族らしい壮年の人ではなく、その人からサラたちをかばうように前に出たテッドの背中だった。
「前の町長は病を得て亡くなったはずだ。こればかりは薬師でもどうにもならないからなあ」
アンの保護者役をやっているだけあって、最近のエルムは、社交的とまではいかないが、ウルヴァリエ伯爵家として必要な顔出しはしっかり行っているらしい。したがって、貴族の動向にはサラたちよりよほど詳しい。
「夫を亡くしたローザのご婦人は、傷心をいやすために王都に来ていたはずだ。したがって、残っているのは新米町長である、その息子のみということになる」
「街道整備の事業を始めた時は父親がいたけど、亡くなってしまったから調整がうまくいっていないのかなあ」
テッドの話を漏れ聞くに、ローザの町長の家に生まれたことが窮屈そうではあったけれど、父親を疎ましく思っているという感じでもなかったという印象だった。若くして父親が亡くなったテッドのことを、サラは気の毒に思う。
「父さんから聞いた限りでは、その通りだっていう印象だな。最初は羽振りよく資材が届けられたけど、だんだん滞りがちになって、最後のほうはローザの町長が私財を投じているんじゃないかって噂も出ていたらしい」
「ええ……。テッドのところがいくらお金持ちでも、そんなことしてたら、あっという間にお金がなくなっちゃわない?」
テッドがサラにくれたような高級な茶器や食事とは訳が違う。いわば公共工事なのだから、国家予算並みの私財を持つ大富豪だって、そんなことをしたら破産してしまうのではないかとサラはハラハラする気持ちになる。
「ま、噂だからな。だけど、街道の工事が中途で止まってしまったことで、ハンターギルドにも薬師ギルドにも影響が出ているらしい。今ローザは居心地があんまりよくなくて、王都に帰ってこられてほっとしたって父さんが言ってた。俺はテッドっていう人が、そんなに強引な人には思えなかったけど」
クンツもタイリクリクガメの時にローザに行っているので、テッドとは一応面識があるのだ。
「まあ、その時ハンターギルドにいた俺としては、ほとんど関わりがなかったから、表面的な感想しかないけどな」
実際にローザにいたわけではないから、サラにも本当のところはわからない。
「俺はさ、途中まででも、魔の山への街道が整備されたのならよかったと思う。少なくとも、町から少し離れたところでも街道が安全地帯ならば、ツノウサギの狩りはだいぶ楽になる」
東の草原での狩りの経験があるアレンの意見に、サラも頷いた。
「そうだね。ローザの東の草原は、ほとんどダンジョンみたいなものだったもんね、今思うと」
ダンジョンの中層程度と考えれば、初心者を卒業したくらいのハンターにはよい狩場になる。
「ネフェルが魔の山の管理人になったばかりのころに私も行ったことがあるが、途中の草原にそこまでツノウサギがいた記憶はないが」
エルムが首をひねる。
「ちょうど私とアレンがいた時に、ツノウサギが増えすぎて特別な狩り依頼があったりしましたから、ネリーが管理人になった後に増えたのかもしれませんね」
ただし、エルムが強すぎてツノウサギが気にならなかった説も否定できない。
「この話、ハルトにも聞かせたかったんだけど、今日はギルドにも来てなかったし、家のほうでなにか用があったのかな」
「そういえばここ数日ハルトに会ってないぞ」
昼は違う活動をしていても、週の半分はウルヴァリエにやってくるハルトである。
「俺は昨日ギルドで会った。普通に講習会を開いてたよ」
昨年成り行きで始めた、主に初心者に対しての講習会だが、好評により不定期ではあるけれども続いていて、主にハルトとクンツを中心に活動している。だからハルトの動向はクンツのほうが詳しい。
「私も中央ギルドの薬草分布調査が一段落しそうで、次は別のダンジョンに行こうか悩んでるところなんだ。みんなの意見も聞きたいし、一度ちゃんと集まってみる?」
なんとなく一緒にいたので、改めてというのもおかしいが、サラがいつのまにか中央ダンジョンからいきなり東や北に移動していたとなれば、ハルトも戸惑うことだろう。
「それがいいな」
別にサラに付きあってくれなくてもいいと思うのだが、自然と一緒に行動してくれるのが頼もしい。
「私も行きたいなあ。ローザだって行ったことないし」
口を尖らせるアンだが、生まれてからほとんど住む町を出ないトリルガイアの人たちに比べたら、ガーディニアから王都まで移動していることがそもそも珍しいくらいだ。
「でも騎士隊が忙しいし」
見習いではあっても、正式に騎士隊に所属している。ゆえにまだ一三歳でも、社会人と一緒の働き方なのである。もっとも、楽しそうに通っているので、騎士隊に入るというアンの選択は間違いではなかったのだろうと、サラは微笑ましく見守っている。
「もう少し仕事が落ち着いたら、お休みを使ってあちこち行こうか。ローザよりもまずはハイドレンジアがいいと思う。ウルヴァリエの人たちはアンにとっても親戚みたいなものだからね」
「ハイドレンジアも行きたい! やりたいことがたくさんあって、困っちゃう」
アンと同じくらいの年の頃、サラは何をやっていただろうか。
なぜかクリスのペースに巻き込まれて、やりたいことよりもやらなければならないことが多かった気がする。
やりたいことをやっていいと思えたのは、本当に最近のことである。
のんびりだけど、それがサラの進む速さだから、これからもゆっくり歩いていくしかない。
けれども、周りがそれを待ってくれない時もある。