ジュニア……?
『転生少女はまず一歩からはじめたい』9巻、
3月25日発売です!
次の日から、サラは薬草班として、二人の子供を預かり、薬草、上薬草、魔力草まで覚えさせ、採取からそれをまとめて提出するやり方まで、懇切丁寧に教えた。
魔力操作や身体強化の基礎は、地味なので成果がわかりづらい。子どもたちには不評だったが、初日からいつの間にか知らない参加者が増えていた。
一番喜ばれたのは、ハルト提案の、魔法を見せる講義だろう。訓練室は閑散としていたはずなのに、どこからか面白いことをやっていると聞き及んだのか、なぜかぎっしりと人で埋まっていた。
「魔法がどんなものかわからないと、それを実現することはできないからな。いいかー、魔力は自分が思い描いたとおりの力になる。既存の魔法はもちろん大切だが、新しい可能性に目をつぶっては駄目なんだ」
クンツは魔法の教本の初めの言葉を、生徒たちに言い聞かせている。その生徒たちの後ろには、もう少し大きいハンターもいれば、ベテランのハンターもいるので、クンツの勘弁してくれよという内心の声が聞こえてくるようだった。
だが、人ごとではない。
「では、今日の講師はサラです」
招かれ人の魔法は喜ばれるはずだし、覚えたらきっと役に立つ。それでも、人の多さに緊張は隠せないサラである。
「今日は曲がる魔法です」
魔法を効果的に見せるように、的として丸いパンを買ってきている。
サラは、自分の前、斜め前、真横、真後ろにパンを置いて行く。
それから、一つ一つに魔法を撃っていく。
「炎、行け!」
これが正面だ。小さい炎がまっすぐ進み、パンをこんがりと焼いた。
「炎、左、曲がれ」
今度は斜め前である。炎は曲がったが、ずれただけのように見えなくもない。
「炎、左」
サラが正面に構えた手から炎が出て、それから左に曲がる。
「おお!」
「なんだそれ!」
ここで初めて大きな反響が起きた。
「次。後ろ。炎、行け!」
正面を向いたサラの手から、炎の玉が出てぎゅいんと曲がる。
こんがりといいにおいがするから、真後ろのパンに当たったはずだ。
「すごい!」
「いったいどうやったんだ」
すごい、は子どもたちの声だったが、どうやったんだ、は、大人のハンターの声だった。
どのみち説明するつもりだったサラは、気にせず話し始めた。
「魔法はまっすぐに飛ぶ、というのは思い込みです。目的の物があるとわかっていれば、それに当たれ、と念じれば、魔法はその方向に行きます」
簡単なことだ。
「私がやっている方法は二つです。前、横の、目的の物が目に見える範囲にある場合は、目に見えている目的物に当たれ、と念じます」
少なくとも、皆黙って話を聞いてくれてはいる。
「もう一つは、方向だけ決めます。後ろに置いたパンの位置を想像して、魔法をそこへ向かえと念じます」
どちらも似たようなものだが、迷いスライムを倒している方法は前者である。一度目視して、目的物を定めてから魔法を撃っている。
「はーい、では皆さん、やってみましょうか。わからない人は聞きに来てくださーい」
教えるところまでは講習の予定には入れていないが、いちおう声掛けはしてみる。
原理は簡単なはずなのだが、何を教わっていいかがわからないのだろう。誰も並ばず、戸惑った雰囲気が流れる中、並んだのはクンツだった。
「ちょっとクンツ。冗談?」
「いや、本気だ。俺、ちょっとサラの魔法、誤解してたみたいだ。魔法で狙いを定めるのがすごくうまいんだと思ってたんだけど、ちょっと違うんだな?」
つぶてを正確に当てるのはクンツの持ち味だが、それは正確な狙いに基づいて、その方向にまっすぐ投げていたという。つまり、投擲が得意なのとおなじということか。
「うん。魔法を目標に向かって正確に投げるんじゃなくて、魔法を対象に当てるの」
「当たるのが当然と思えば当たるってことか」
「そう」
「うわあ」
頭を抱えてうずくまったクンツだが、すぐにすっくと立ちあがった。
「サラ、曲がる魔法を何回も見せてくれ」
「いいよ」
初心者組から質問が出ない以上、クンツのためだけに魔法を見せるのはまったく問題ない。
いつも一緒にいたのに、お互いにわかり合ってはいなかったことをおかしく思いながら、サラは何度も、あらゆる方向の的に魔法を撃って見せた。パンがこんがりではなく、真っ黒になってしまうくらいに。
「曲がるイメージ、頭に焼き付けたぞ」
ついにクンツが満足したようだ。
「狙うんじゃなくて、当てる。対象に引き込まれるように、吸い込まれるように」
ああ、そんなふうに言えばよかったのかと、サラはぽんと手を打った。
「つぶて、行け」
クンツの言葉と共に、横に配置された黒焦げのパンは、衝撃で粉々に砕け散り、つぶてだけが残った。
「うわあ!」
サラの時とは比べ物にならない歓声が沸き、ハンターたちはクンツに駆け寄り、笑顔を向けたり背中をどやしたりして、大騒ぎだ。
「俺もやる!」
「俺もだ!」
別に対象はパンじゃなくてもいいのにパンを買いに行く人が続出し、近所のパンは軒並み売り切れ、地下の訓練所がパンの焦げた匂いで充満したのをいい思い出と言えるかどうか。
成功する人もいれば、しない人もいる。
生徒の初心者ハンターのための場所を確保しつつ、請われれば魔法を見せている間に、アンが戻ってきて、再び魔法を見せと、二日目の指導はなかなか充実したものになったと思う。
ちなみに、初心者生徒組の成果は、半々と言ったところである。
三日目に至っては、朝の魔力操作の訓練の時点で、ギルドの地下訓練所は満員で、いったい何人来ているのか数えるのも面倒なくらいだった。
一番前に来ているのが、最初の一〇人の生徒たちで、その子たちが押しのけられたりしているわけではないので注意するというほどでもない。
「ええと、ちょっと皆、こっちに来てくれないか」
クンツの声で、四人は朝から頭をよせる。
「どうしよう。なんかすごいベテランみたいな人もいる。俺たちひよっこに何を聞きたいことがあるんだよ……」
ハンターとして一人前になって、痛い二つ名を付けられたとしても、先輩はたくさんいるし、傲慢に振る舞える性質でもない。
こんな時に頼りになるのはアレンだったりする。
「いいか、落ち着け。昨日だって今日だって、俺たちは教えてくれなんて一言も言われてない。あえて言わないことで、何か起きても俺たちのせいだって思われないようにしてくれてるんだと思う」
何か起きるとか不吉なことを言わないでほしいサラである。
「逆に、何も得るものがなくても文句は言わないってことでもある。ただ、たまたまそばにいて、講義内容が聞こえてきただけで、聞こえてきたことをたまたま使ってみただけってことだ」
なるほど、そういう考え方なら理解できる。
ハルトが小さくとん、と手を叩いた。
「俺たちはただ、なりたてハンターに教えてるだけ。それが聞こえた人がいるかもしれないけど、気にしない。それでいこう」
魔力循環は、身体強化を主に使っている人こそやるべきことである。魔力を使っていると意識せずやっている人は、動きに進歩がなかったりする。
「そう、その体の中のもやっとする何かを、あなたは無意識に強化に使っているんです。それを意図的に動かすことで、部分的な強化をしたり、盾のように使ったりすることもできます」
サラだけではなく、他の三人も、皆の中を回って声をかけていく。
そうはいっても、時間になれば、ダンジョンに潜っていく人もいる。
次の実践の講習では、残ったハンターが、なりたてハンターと組み手をしたり、一緒に剣を振ってくれたりという景色も見られるようになったらしい。
サラは、薬師組を連れて外に出ていたから知らなかったが、こちらにも他のハンターが付いてきたので、改めて薬草の講習をしたりして、大忙しである。
そして本日の魔法の時間は、ハルトが担当する予定だったが、サラの魔法をもう一度見たいという希望者が多く、曲がる魔法を披露する羽目になり、またパンがよく売れたそうだ。
「そんな感じで、なんだかおおごとになっちゃってて」
タウンハウスに帰ってから、サラはちょっとだけエルムにこぼした。
「私が楽しくアルバイトをしている間に、そんなことになってるなんて」
アンのアルバイト生活は順調のようで、その日お使いで行ったところについて話してくれるのを聞く限り、たった三日でもサラよりも王都に詳しくなっている気がするほどだ。
「町の人もなんていうか、働く子どもに普通の態度で、届けるのが遅かったりすると叱られることもあるの」
嬉しそうに話すアンからは、ガーディニアでは蝶よ花よと育てられたのが、逆に居心地が悪かったことがうかがえる。
「でも、サラの講習も受けたいなあ」
「私だけじゃなくて、クンツとハルトの魔法もやる予定だよ」
「もっと行きたくなるー」
ガーディニアからの道中は、騎士隊に入るとできないからという理由で、対魔物の指導が多かったから、サラのやるような魔法はあまり使わなかったのだ。
「スライムの倒し方を教えられればよかったんだけど、途中にはあまりいなかったんだよね」
「スライムはダンジョンに多い魔物だからな」
草原にはいないわけではないけれど、少なめらしい。
クンツもハルトも実家に帰っているので、タウンハウスにはアンとサラとアレンだけである。
「どうやら大丈夫そうだな」
一安心といった雰囲気のエルムに、アレンが怪訝そうな目を向ける。
「不安なら、見に来ればいいじゃないか。っていうか、ハイドレンジアではダンジョンに入ってたのに、なんで来ないんだ?」
そういえば、エルムは現役のハンターだった。日中はいったい何をやっているのだろうか。
「しばらく王都には顔を出していなかったのでな。挨拶回りとか、そんなのだ。それにな」
エルムはなぜだか困ったように笑った。
「お前たちの話を聞いていたら、コンラートに顔を見られようものなら、大騒ぎになること必須だろう。万が一にも変な仕事を押し付けられたら困るし」
「否定できないな」
自分も経験者のアレンもうんざり顔である。
「アンのアルバイトが落ち着いたら、ダンジョンにもまた行くよ」
「なんかすみません」
アンがぺこりと頭を下げた。
「気にするな。今まで家のことを何も考えず気ままに過ごしてきたんだ。少しくらい家族のために役に立っているかと思うと、嬉しいくらいだ」
ハイドレンジアのウルヴァリエのお屋敷でも、エルムは穏やかで楽しそうに過ごしていたが、王都のタウンハウスでもその様子は変わらない。
サラにアンの話し相手になってくれと言ってはいたが、アンと二人きりでも意外とうまくやっていけるのではないか。エルムはさすらいのハンターと言われ、一つ所に留まらない。だから人嫌いだとなんとなく思っていたが、思い返してみると、まったくそんなことはない。
一年近く、近いところで過ごしていたのに、エルムという人をちゃんと見ようとはしていなかったんだなと、サラはちょっと反省するのだった。