ようやっと先に
「私は」
「俺は」
アンとハルトは同時に声を上げ、お互いに顔を見合せた。
「「走って領主館に」」
どうやら同じことを考えていたようだ。
「いや。アンとハルトは今回はここで待機してくれ」
「なんでだよ。馬車が着くより、俺が行ったほうが絶対に早い」
何かしたくてたまらないのだろう。悔しそうにハルトが抗議する。
「いいか。ハルトが行ったら、招かれ人の力をあてにされて動けなくなる。同じく、アンが戻ったら、危ないからと当分離してもらえなくなる」
二人ともはっとした顔をした。
「誰にも命の危険がないのであれば、館に着くのが多少早くても遅くても大して違いはない。今は動かないほうがいい」
サラの言いたいことがちゃんとエルムには伝わっている。
しぶしぶ座り込んだ二人を横目にサラとクンツとアレンは急いで山道を登り始めた。
「山道が崩れていても、歩く分にはなんとかなるな」
多少でこぼこしたところがあっても、気合いで何とかなる。だが、馬車は無理だし、足腰の弱い人もすぐに疲れて動けなくなるだろう。
「荒れてはいるけど、大きく崩れているところもないから、意外と早く復旧しそうだな」
ワタヒツジも山道から落ちたくはなかったらしく、道の端が崩れているようなところもなかった。
途中から慣れて早足になったため、半日もかからず、馬車の崩れている現場にたどり着いた。
「うわあ、馬車が粉々だ」
木で作った部分だけでなく、金属の部品もひしゃげてしまっている。
「あの!」
降りてきた御者は、残していたのはおばあさんと娘さんと言っていたが、五〇歳前後のお母さん世代の人が立ち上がって声をかけてきた。その傍らには収納箱や収納袋がいくつも置いてあって、その箱の上におばあさんがちょこんと座っている。
「御者さんに話を聞いて、助けに来ました」
「ありがたいわ。ええと、馬車で来られたのかしら」
来たのは若者が三人だけ、しかも一人は女性である。馬車がなく歩きだということを見て取った娘さんは、返事を待たずにすぐに決断した。
「私は歩くので、どなたか母さんを背負っていただけないでしょうか」
「いいですよ。ふもとまで数時間ですから、もう大丈夫です。あと、ちょっと待ってくださいね」
きれいにまとめられた荷物の一番下に、薄いバリアを送り込み、硬くする。そしてそれを覆うようにバリアをかけ、そのまま持ち上げてみる。要は、担架を一回り大きくすればいいだけだ。
「よっと。うん、できるな」
サラは荷物を浮かせたまま、いきなり宙に浮いた荷物に驚く娘さんのほうをじっと眺めた。
「荷物とは別に、担架を作るって二人を運ぶ。それはできるけど、二つのバリアを操りながらさっきの山道を行くのは結構厳しいな。そうだ!」
最初におばあさんがしていたように、収納箱に座ってもらい、荷物ごと持ち運べば、バリアが一つで済む。
サラは荷物を地面にそっと下ろした。
「あの、人ごと運びますので、娘さんも一緒に、さっきみたいに収納箱に座ってもらえますか」
「ええ……と。はい」
訳がわからないながらも、サラの指示に従ってくれたおばあさんと娘さんを収納箱に乗せたまま、先ほどと同じように荷物をバリアに入れ、今度は不安を抑えるために、腰から下くらいの高さで、バリアに色を付けていく。馬車に乗っている感を出すために、茶色にした。
バリアがサラに付いてくるか、行ったり来たりして試してみると、荷物も人ごと行ったり来たりする。
「揺れないですか?」
「はい。景色が揺れますけど……」
「つらかったら途中で声をかけてくださいね」
もう午後もだいぶ遅い。早く戻りたい。
「じゃあ俺が道を確認しながら先行する」
「俺は後ろから見守る」
クンツを先頭に、下り道を飛ぶように走って帰った。
なんとか足元が見えなくなる前に、山を下りきることができたサラはほっとした。
もちろん、明かりの魔法を使うことはできるけれど、人と荷物を慎重に運んでいる中で、集中力がもつかどうか自信がなかったのだ。
サラは後ろを振り向いて、荷物とおばあさんと娘さんを地面にそっと下ろした。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうねえ」
ずっと座っていたせいか、揺れる景色のなか過ごしていたせいか、ふらふらとぎこちなく立ち上がった親子は、それでも心から感謝してくれた。
「今日はもう遅い時間だから、明日、この馬車で目的地まで送ります。今日は野営になります」
エルムが代表者として親子に説明してくれた。
説明の通り、次の日の朝早く、馬車は領主館に向かっていった。
その場に残ったのは、アンとエルム、サラとハルト、そしてアレンとクンツの六人だ。
「結局、行きから一人増えただけだね」
あの時は徒歩で行くんだと驚いたが、結局は王都までも徒歩で行くことになるんだと思うと、サラはおかしくなってフフっと笑ってしまう。
「えっと、私」
まだ戸惑っているようすのアンに、エルムがあきれたように目を向けた。
「何度説明してもこうだ。サラ、なんとか言ってやってくれないか」
「え、私ですか」
そういえば最初に徒歩を提案したのはサラだった。
「ええとね」
どう説明すればわかってもらえるのか。
「いいか」
サラが考えている間に、アレンが話し始めてしまった。
「俺はずっとサラのそばにいたからわかる。招かれ人は力があるだけじゃなく、おひとよしだ。善意で手伝えば、とことんまで付け込まれる」
そこまでではないし、だいたい納得して手伝ったんだけどなあというのがサラの本音である。
「だから一昨年、サラはガーディニアの領主夫人に利用され、傷つけられたんだ」
「そんな」
そこで詰まったアンは、一昨年のラティの言動を思い出したのだろう。しゅんとしてうつむいてしまった。
あの時、怒ってラティの相手をしてくれたのは、アンでもあり、ネリーでもある。それどころか、ラティに教育的指導までしてくれた。だから、そのことはもういい。
サラがそう言おうとすると、アレンは手を挙げてサラを止めた。
「ハルトだって、ブラッドリーだってそうだ。だから一度魔の山に引っ込んだんだ」
「まあな。利用されるだけの自分に十分反省したから、出てきたんだけどな」
ハルトはずっとそうだ。利用してきた周りを責めたりせず、自分が変わろうとしてきた。
「また今回も、自分にできることはないかって走り回ろうとして、ちょっと反省した。誰かのために動かないと、役に立たないといけないって焦ってしまう気持ち、なんなんだろうな」
アンと一緒にこの拠点に残らされて、少しは考えることがあったようだ。
そのハルトの言葉を受けて、アレンはまたアンに話しを続けた。
「そうして助けたことで、相手が自分でできる力を奪ってしまうことがあるんだ。いいか、アン」
普段、あまり親しくしようとしないアレンが自分に真剣に話しかけていることに気づいたのか、アンは、しゅんとしながらもちゃんと耳を傾けようとしているように見えた。
「トリルガイアには、招かれ人のいない時代のほうが多いんだ。招かれ人がいなくても、トリルガイアはなんとかしなくちゃいけないし、実際、招かれ人がいなくても回ってきた。わかるか」
「はい」
素直に頷いたアンに、エルムがやれやれと肩をすくめた。
「そしてラティは、子離れをしなくちゃいけない。その機会をラティから奪っちゃだめだ」
皆でいろいろ説得はしたが、それが一番大きな理由だ。
「結局、私、何も説明しなかったね」
アンの話し相手にと連れてこられたはずだったが、エルムだけでも大丈夫な気がしてきたサラである。
「ハハハ。さあ、行こうぜ。俺たちだけなら、一日もかからずに山を越えられるだろう」
アレンは既に山道のほうを向いている。
「さあ、王都に向けて出発だ」
ようやっと先に進めそうだ。