事件発生
相変わらずアンとハルトは、街道を行ったり来たりとせわしないが、ついに西側に抜ける山道が近づいてきた。
「南側と同じ、馬車一台分の道幅だね」
山道なので、整備してあるだけましである。王都側からの馬車とすれ違えるように、ところどころ、引き込み場所が作ってあるのも南側と同じだ。
先行したアンとハルトが、山道の手前で深刻な顔をして待っていた。
「みんな、ちょっとこっちに来てみてくれる?」
馬車をいったん止めて、アンとハルトと共に山道を見上げる。土魔法の使い手がいるこの国では、山道といえど、きちんと土が固められている。
その山道を見上げると、その固められた土がところどころ崩れかけており、明らかにワタヒツジの足跡らしきものも見える。
「ワタヒツジは山道に向かったのか」
エルムがかがんで地面を観察し、棒で何かをつついている。
「比較的新しい糞が落ちている。どうやら、山を越える気らしいな。というか、越えてしまったか」
そもそもが、ガーディニアのワタヒツジは西側から山道を越えてやってきたという。
「餌がないから、西に戻るのか。もともと移動する魔物ではあるが、山を越えるとはなあ。しかも人の作った道を」
ワタヒツジには人が作ったかどうかは関係なく、ただ行きやすい道を選んで進んだだけなのかもしれない。
「群れとはいえ、西側で発生する大きな群れと比べるとだいぶ小さい。向こう側への影響はほとんどないだろう。問題は私たちだが、さて、行けるか?」
そこでクンツが手を挙げた。
「俺、父親が土魔法の職人なんで、応急処置的な整地はできると思う。あと、サラもハルトもだ」
「え? 私?」
突然の指名にサラはひっくり返りそうである。
「タイリクリクガメの時、レンガを作ってただろ。あれの応用だよ」
「ああ、型枠に土魔法でブロックを作る、あれね」
王都で訓練をしたのを思い出した。
「確か、型枠が土に接していると作りやすいんだったはず」
サラが頭を指先でトントンと叩きながら思い出していると、ハルトが急に噴き出した。
「型枠でブロックどころじゃなかっただろ。タイリクリクガメを防いだ防壁を一気に作ったのは誰だよ」
「あ」
サラもハルトも。
そう指名されたのは、二人で防壁を作ったからだ。
「バリアで型を作って、一気にやったんだっけ。やる?」
「やるか?」
この山道の、目に見えるところを一気に行く。
二人で両手を前に出してバリアの準備に入る。
「待て待て待て。待ってくれよー」
その慌てように気が抜けたサラは、止めたクンツを振り返った。
「街道はさ、特に山道は、傾斜の角度とか、雨水がうまく流れるようにとか、道を作る専門の人がちゃんと計算して作っているんだよ。慎重にやろうよ」
「そうなんだ」
さすがクンツ。お父さんが職人なだけのことはある。
「定期便が通っているはずなんだけど、どうなったかなあ」
アンは背伸びして、心配そうに山道を眺めた。
「エドにも報告、いってるのかな。私が戻ったほうがいいかしら」
山道が荒らされて、人や馬車の行き来ができないとしたら大きな問題である。
「どうしよう、どうしよう」
希望を胸に王都へ向かったらこんな事態が起きて、気の毒である。
そんなアンを、エルムがたしなめた。
「アン、落ち着きなさい。状況を整理して、やるべきことをやる。それしかない」
やはりこういう時、年上の落ち着いた大人がいてくれると助かる。
「ここに来るまでに、王都方面からと思われる馬車とはすれ違わなかった。ということは、途中で立ち往生している可能性がある。立ち往生しているならまだいいが、ワタヒツジに巻き込まれている場合、やっかいだな……」
ワタヒツジの群れに巻き込まれたら絶対に助からない。事態が突然重いものになった。
「俺が伝言に戻る。一番足が早い」
アレンが立ち上がった。
「俺は山道を先行して、様子を見てくる。身体強化も強いし、なんならバリアも張れる。ついでに結界箱も持ってるしな」
ハルトも立ち上がった。このメンバーは、とにかく行動が早い。
「そうだ、結界箱があれば、ワタヒツジでもなんとかなる!」
サラはほっと胸を撫でおろす。結界箱をうまく使えれば、ワタヒツジの群れの中でも助かっている可能性はあるのだ。
その時、山道から呼びかけてくる声が聞こえた。
「おーい! おーい!」
徒歩の人が数人、大きく手を振っている。
「馬車がバラバラになっちまった! 馬車のところで動けない奴もいる! 助けてくれ!」
アンと他の三人が走って迎えに行く中、エルムは腕を組んでその場から動かない。静かに考えを巡らせているようだ。
サラは歩いてきた人の中に、怪我をしている人が見当たらないことを遠目で確認したうえで、エルムのそばで待機している。サラが動くとすれば、もっと緊急の時でいい。
「アレンを連絡に走らせるべきか。いずれにしろ、アンの王都行きは延期になりそうだな」
サラははっとしてエルムを見上げた。
さっきまでは、山道を直しつつ、王都へと向かおうとしていたはずだ。
だが、定期便や人が巻き込まれているとわかったからには、ガーディニア全体を巻き込む大きな案件になってしまったと言える。それを放っていくわけにも行かないのだろう。
サラもエルムのように、腕を組んで静かに考えを巡らせた。
エドに報告するにして、ガーディニアとしてどう対策をするか。
おそらく、ワタヒツジは西に抜けてしまっているだろうから、街道の整備が急務になる。
だが、そこにアンは必要だろうかというと、別に必要はないと思うのだ。
タイリクリクガメを防ぐための壁を作ったとき、確かにサラもハルトも役にたった。
だが、クンツが言っているように、街道や山道を整備するには専門家が必要だ。
サラたちが参加するにしても、大量にレンガを作るとか、そのくらいしか手伝うことはできない。もっとも、手伝えば手伝うだけ、整備は早く終わるだろう。
だが、地元の人が時間をかければできることを手伝うのが、サラたちの仕事だろうか。
サラは薬師、ハルトはハンターだ。
冷たいようだが、ここは最低限、手伝えることだけ手伝ったら、王都に行くべきではないのか。
「エルム。話を聞いてください」
サラは今考えたことを説明した。
「だが、この感じでは馬車二台どころか、一台でも難しそうだぞ」
クンツの言う応急処置だけでは、馬車が山を越えるのは難しそうなのは確かだ。
サラは、山道を下ってくる仲間たちを見つめた。
どこから頑張って歩いてきたのか、くたびれ果てた人たちを背負ったり、励ましたりしながら降りてくる。
いつものサラと同じように、ガーディニアが大変だからと助けを求められたら、内心はともかく、断りはしないだろう。
それはそれで正しい。
けれど、ここで招かれ人の力を使うのは違う気がする。
この旅の目的は何だっただろうか。
アンを迎えに来て、王都に連れていく。
そして、騎士になるために支えることだ。
「馬車は置いていきましょう。私たちは、歩いていけばいい。ガーディニアに来た時のように」
「だが、侍女と侍従、それに荷物は」
「置いていきましょう。というか、今来た人たちを馬車に乗せて、領主館に戻ってもらいましょう。ついでに状況説明もお願いして」
「俺たちは、徒歩で身軽に王都に行けばいい、か」
サラができる提案はした。
あとは、この場でできることをしよう。
サラは、お付きの人たちに手伝ってもらって、敷物を敷いたり、テーブルと椅子を出したりして、休ませる準備を整え始めた。もちろん、飲み物や食べ物の準備も忘れない。
アレンとクンツが背負ってきた人は、どうやら定期便の御者らしい。
「俺らは定期便の馬車なんですが、突然前からワタヒツジの群れがやってきて、慌てたのなんのって」
椅子に座って、ありがたそうにお茶を飲みながら、状況を説明してくれた。
おかしい気配がしたから、偵察の人を先行させて、ワタヒツジを確認すると、途中の引き込み場所に馬車を置いて、急いで乗客を山の中に入らせたらしい。
「おかげで乗客は助かったが、馬車はどうしようもなかった。幸いなのは、馬車から荷物を引き出して、結界箱で囲えたことですわ。馬車ごと結界箱に入れるのは無理だったんで」
慌てたと言っている割に、冷静で行動力のある人のようだ。しかも、馬車がなくなっても、こうして歩いて助けを求めに来る気概まである。
「一本道で迷いようがないから、とりあえず歩けそうな人たちは連れてきたんですが、足の悪いばあさんと、その娘さんがその場に残ってるんです。もちろん、結界箱と食料は置いてきてまさあ」
「場所はわかるか?」
「歩いて半日。こちらからだと、峠まで半分くらいの引き込み場ですわ。山道は一本道で、迷うことはないはずだが」
話を聞いていたハルトがまた立ち上がった。
「俺が行こう」
「待って」
サラはハルトを止めた。
「少しだけ待って。やることを整理して、効率よく分担しよう」
みんな行動が早くて助かるが、ここは少し待ってもらうことにする。
さっきまでじっくりと対策を考えていたエルムだが、御者から話を聞いた後の決断は早かった。
「私たちの馬車を一台使おう。少し休んだら、この馬車に乗って、ガーディニアの領主館に向かってもらえるか。そして状況を説明してきてほしい」
「わかりやした」
これで今ここに下りてきた人の問題は解決した。
「では、山の中に残った人たちを連れてくるのは」
「私が行きます」
真っ先にサラが手を挙げた。
「しかしな。老女は背負ってこなければならないから、サラには難しいだろう。あ」
何かを気づいたエルムに、サラはにっこりと頷いた。
「バリアで担架が作れる私ですよ。おばあさんも荷物もまとめて持ってきます」
「じゃあ俺も」
次に手を挙げたのはクンツだ。
「サラと一緒に行って、山道の崩れ具合を確認してきます」
アレンも黙って立ち上がる。
「それでは三人にお願いしよう」




