ワタヒツジ
そこからは楽しく話しながら進んだ一行だったが、前回クサイロトビバッタが発生したところで、いったん馬車を止めてもらった。バッタが見たいわけではなくて、一面にバッタがいたあの風景がどうなっているのかが見たかったからだ。
「わあ、荒涼としてる」
春先とは言え緑が少なく、土や岩肌がむき出しである。昨年もクサイロトビバッタが多めだったと聞いたが、そのせいだろうか。
「でも、今年はまだ卵から孵っていないんじゃないのかなあ」
サラがきょろきょろと周りを見ていると、アンがそばに来て説明してくれた。
「黒くなったクサイロトビバッタは、草の根まで食べちゃうから、元に戻るのがゆっくりなんですって。でもそれだけじゃなくって。地面と岩のところをよく見てみて」
「地面はわかるけど、岩?」
いわばむき出しになっているとことに近寄ると、表面が白く削れているところがある。一か所見つけると、あちらこちらが傷だらけなのが目に入ってくるようになった。
「あれ、これ、なんか記憶にある」
いつのことだったか考えていると、アレンが隣にやってきた。
二人で並んで見た景色の記憶がよみがえる。
「あ、ワタヒツジ」
「だな」
ワタヒツジを念頭に置いてもう一度観察すると、群れが移動したところが帯のようになっている。その幅を見る限り、ローザの東の草原で見た群れよりだいぶ小さい群れのようだ。
「ワタヒツジは魔物だそうだけど、ガーディニアの北部にもいてね。数が少ないし、バラバラで群れともいえない小さな集団で暮らしているみたい。もともとは、西から山を越えてやってきたんじゃないかと言われてるの」
アンが説明をしてくれる。
「それがね、クサイロトビバッタのせいで草が少なくなっているせいか、一つの群れにまとまってしまって。なんでも群れになってしまうと、面倒なことになるのね」
「ローザで見た時は、天災と同じだって言ってた気がする。通り過ぎるのを待つしかないって言われたような?」
印象的な出来事ではあったが、だいぶ前なのでうろ覚えのサラは、ヨゼフにもらったヒツジ飴のほうが頭に浮かんでしまう。
「北上して、人の少ない地域に向かったというから、とりあえず心配ないと思うわ。エドにくっついて、ガーディニアもあちこち見て回っていたの」
腕を組んでふふんと胸を張っているアンはとてもかわいい。
「このまま北回りで王都に行くことになるから、ワタヒツジがどうなったか見られるかしら」
心配そうに街道のほうを向くアンは、この二年で確かにガーディニアに馴染んだのだなと思わせる。
「どうせ途中で見られるんだから、早く行こうぜ」
この場所に何の思い入れもないハルトの声掛けで、一行は出発することになった。
「じゃあ私は、ここからは走ります!」
「よっし! 俺もだ!」
「ああ! 待って! 行っちゃった……」
アンとハルトは街道をまっすぐに走って行ってしまった。
「とりあえず御者さんが困ってるからさ。俺たちはゆっくり馬車で行こうぜ」
苦笑しながら気遣いの人であるクンツが提案してくれたので、残されたサラたちは馬車に乗り込んだ。
「元気がなくて湿っぽかった前回よりだいぶましじゃねえ? それにハルト属性には慣れてるしな」
アンへのクンツの評価はこれである。どうやらハルトとひとくくりらしい。
「自分のやりたいことは自分で切り開いていくタイプなんだろ。いい子なのは間違いないんだろうが、サラが考えるべきは、アンを守ることじゃなく、アンの暴走を止めることだと思うぞ」
アレンの助言に、サラはガクリとうなだれた。
「既に止められませんでした」
「ブフッ」
珍しくエルムが噴き出している。
「フフッ。俺がサラに来てもらったのは、お目付け役をしてほしかったんじゃなくて、アンが寂しいときに話し相手になる自信がなかったからだ。すまん」
「フフッ。自信がないんですね」
今度はサラが噴き出す番だ。
「人に迷惑をかけない限り、暴走は止めなくていいと思うぞ」
そもそも暴走は迷惑だと思う、とは言わないでおくサラである。
走っていた二人は、走って戻ってきた。
「今日泊まる予定のところまで行ったんだけど、することがなくて戻ってきちゃった」
そう笑うアンとハルトは、目的地までに無駄に動いてしまう幼児のようだった。気が合うようで、なによりである。
「騎士隊は体力勝負だから、体を鍛えながら行くというのは理にかなっている」
エルムのお墨付きもあり、アンは目いっぱい体を鍛えていくつもりのようだ。走るどころか、野営の場所に着いてもまだ元気がある。
「剣の相手をお願いします」
「それは俺も」
「俺も」
「俺もだ」
騎士隊に入っていた経験のあるエルムは、身体強化だけでなく剣も得意らしい。他の三人はアンにつられたように見えるが、野営の時は毎回、エルムに教えを乞うているから毎度のことだ。
本格的な野営は、アンもお付きの人も初めてで、ずいぶん恐縮されたが、問題ない。
アンに持たされた食材と道具をありがたく受け取り、サラが調理した。
「最終的には皆さんにお願いしますから、今日は見ててくださいね」
アン一行は、収納ポーチにちゃんとした料理も持たされているのだが、野営と言えば、空の下、自分たちで料理をするのが楽しみの一つである。
後片付けも手分けをしてやった後、テントを張るが、サラは敷物を広げてアンを呼んだ。
「こっちこっち。さあ、隣に寝転んで」
敷物越しではあるが、背中に感じるのは冷たい土の感触だ。
春の夜はまだ寒い。
ぶるっと震えたアンを覆うように、サラはバリアを広げた。
「あったかい」
「バリアの中は温度調節をしてるんだよ。一晩中あったかいよ」
「いいなあ」
寝転がるサラとアンの周りで、まずハルトが、そしてアレンとクンツどころかエルムまで寝転んでいる。もちろん敷物などない。
「サラ、俺たちにもバリアを張ってくれよ」
「みんな身体強化で自分であっためられるでしょ」
魔物がほとんどいないのだから、バリアを張る必要はない。
サラは甘えたハルトを、突き放す。
「え、身体強化はそんなこともできるんですか」
「できると思うよ。少なくともネリーはそうやってた」
アンは飛び起きたが、サラはまあまあともう一度寝転がるよう指示を出す。
「魔の山での野営はたいていテントなしだったの。そうするとね、夜空に星が瞬いてすごくきれいなの」
「わあ……。こんな夜空初めて見た」
人数が多いし、仲間と過ごすのが楽しすぎると、意外と周りに目がいかないものだ。
にぎやかなハルトが口を閉じると、まるで周りに誰もいないかのように静かになる。
聞こえるのは風が枯れ草をカサカサと揺らす音だけだ。
そうしてしばらく時を過ごし、そろそろちゃんとテントに寝ようとサラはアンに声をかけた。
「山を越えたら、草原にはフレイムバットがいるよ。あれ」
「すー、すー」
隣を見れば、ぐっすりと寝るアンがいる。
「いっぱい走ったし、みんなと剣を振ったし、いろんな初めてがあって疲れたよね」
エルムがそっと抱き上げても起きないほど熟睡していたアンは、次の日、前日の話を聞かされたのか、恥ずかしさでなかなかテントから出てこなかった。
寝落ちするくらい充実した毎日はむしろいいことだ。
サラがそう思うくらい、アンは一生懸命毎日を過ごしていた。
一方でサラも、新しい素材でポーションを作ったりしてみたが、効果のほどはわからない。
「鑑定でもあればいいんだけど、そんな便利な魔法はないんだよねえ」
作っては見たものの、効果は未知数な苔の汁が入ったポーション瓶を日に透かして、サラは嘆く。
基本が紫だったためか、薄い赤色だ。
「魔力は自分の思い描いたとおりの力になる。自分の魔力量に応じて、無理せず、自由に自分の思い描いた通りに、だよな?」
クンツが、魔法の教本の一番最初を引用する。盾のバリアを自分なりにアレンジした時から、クンツもその前書きの重要性を認識したらしい。
「鑑定魔法がなにかよくはわからないけど、思い描けないのか?」
サラはハルト、そしてアンと顔を見合わせた。
「鑑定魔法って言いうのはね、例えば草を見ると、薬草、とか毒草、とかわかったりする、っていうものなの。今必要なのは、これが薬草かどうか判別する力なんだけど、うーん」
バリアは、魔法を跳ね返すものだが、魔力というものがあってそれをどう動かしたり変質したりするかという想像ができたから作れた。だが、鑑定はどうだろうか。
「自分がまったく知らないものでも、名前がわかったり、効果がわかったりするためには、どうしたらいい?」
サラの想像力では、どうしようもない。
では、他の二人はどうか。
「ハルトは?」
「無理だな。俺が工夫できたのは、今ある魔法を大きく複雑にすることだけだ」
「アンは?」
「工夫できるほどには、魔法ができません」
実際にやってみると、思い描いた通りに魔法を使うのはとても難しい。
「そうやって考えてみると、異世界転移三点セットの中で、鑑定がダントツで難しいんだな」
これがハルトの感想である。
「異世界転移三点セット?」
クンツがそれはなんだと聞き返した。
「言語理解、アイテムボックス、いや、収納ポーチ、鑑定」
ハルトがこの世界に合わせて言い直している。
収納ポーチも難しそうだが、仕組みとしては、たくさんの魔力をポーチの中で迷子にさせて、独立した魔力空間を作り出すらしい。サラには仕組みはよくわからないが、感覚としては理解できるので、作れと言われたら作れるかもしれないとは思う。
だが、鑑定はどう作ったらいいのかやっぱり見当もつかない。
「要は、俺たちの知らない知識を魔法でどう引っ張ってくるかなんだけど、ちょっと無理っぽい。その知識、どこにアクセスしたらいいんだよ」
ハルトの説明に、アレンとクンツははてな顔だったが、どうやらハルトもできそうにないということだ。
「怪我をした生き物がいたら実際に使ってみるくらいかなあ」
動物実験も人体実験もせずに効果を確定することは難しい。食べて薬としての効果のある物から探っていくか、植物としての同じ種類の物から探っていくか、地道な作業になる。
「これは瓶にちゃんと現物とメモを付けておいて、今度クリスに会った時に聞いてみよう」
サラは苔を紙に包み、瓶と共に袋に入れると、そっとポーチにしまうのだった。
「王都に行くなら、王都で聞けばいいのでは?」
アンが不思議そうだ。
確かに、王都が一番大きな町なのだが、ポーションのことならぜったいクリスに聞いたほうがいい気がする。それだけ信頼もある。
「図書館とか、ないんですかねえ」
「それだ!」
サラは、この世界であまり書籍に触れてこなかった。
印刷技術はわからないが、薬草一覧のように、安くはないが庶民でも買える程度の値段で本は売っているし、ブラッドリーに至っては、本棚をいくつも埋めるほどの本を持っていたから、本はたくさんあるはずだ。
「薬師ギルドにも、資料室のようなところがきっとあるはず。それを見せてもらおう」
薬師として初心者はとっくに卒業できたと思うが、まだまだ勉強できることはある。
王都に行くのがますます楽しみになってきた。
 




